庭にくろがねの木があります。
1月下旬に、妹が、くろがねの木の下に枝や葉っぱがたくさん落ちているので、気を付けてみていたら、小鳥が木の中でけんかしていたよ、と教えてくれました。
2月上旬に、ふと見たくろがねの木に、実が全然なっていないことに気が付きました。
きっと、鳥たちが冬の間に食料にしていたのでしょう。
今年は、かなり実がたくさんなっていたのに、全然なくなっていました。
写真は、去年の11月に選定してもらった頃の実のあるものと、2月上旬の実がなくなった時の写真です。
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小鳥たちが喧嘩しながら、実を取り合っていたことを思うと、自然の中で生きていくことの大変さを思います。
もう10年くらい前になりますが、庭で猛禽類の鳥に、ハトのような鳥が襲われて一緒に落ちてきたことがあります。
襲ったほうの鳥のほうが小さいくらいで、運ぶことができないのか、庭で食べて、何度か飛び立とうとしましたが、なかなか飛ぶことができないようでした。
その襲われた鳥が食べられる場面を、私と母は、何をすることもできず、家の中からじっと見ていました。
やっと運べる大きさになった鳥を、巣に運んで行ったのでしょう、鳥が飛び立った庭を眺めて、怖れと安心とが入り混じったような複雑な気持ちになりました。
それは、とても恐ろしい情景でした。そして、ああ生きるということは、こういうことなのだなーと思ったのでした。残酷で痛々しいものだと。
動物たちのTV番組を見たりすると、野生の動物は、生きるために、子孫を残すために、ひたすら努力しています。そして、弱いものは見捨てられることが多いと思います。
人間は、弱くても、何とか生きられる仕組みを作ってきたのだと思うと、ああ人間に生まれてよかったのだろうな、と思ったりするのです。
小鳥たちの木の実の取り合いから、鳥の狩りを思い出し、そんなことを思った冬の1日でした。