10月9日に四十九日の法要を済ませて、夫はお墓に入りました。家の中がちょっと寂しく感じられます。
夫も私も宗教を必要としないのですが、家の宗教が仏教なので、その葬儀をしました。
今もまだ、裁判所に行く用事などがあり、あまり暇があるわけではないのですが、少しずつ夫のものを片づけています。
夫を好きだった人たちに、夫のために働いてくれた人たちに、何か夫のものをあげたいと思うようになりました。形見分けですね。
夫は読書家だったので、本がたくさんあります。それに、自分流のおしゃれをする人だったので、男の人としてはたくさんの洋服を持っています。そして、最後の8年間は、ほとんどパジャマで過ごしましたから、パジャマもたくさんあります。
私は、妹や妹の夫や甥に、洋服をあげようと考えました。そして、あげようと思った洋服を眺めているうちに、これを全部今手放すのは、とても寂しいと思ったのです。
もう着る人もいない洋服がタンスに詰まっているのに、一枚ずつ眺めていると、なんだか無くなるのが寂しいのです。自分のことを結構潔く手放すことができると思っていたのに、自分の物欲にびっくりしているところです。
私が着ることができるのは、セーターとか、マフラーとかしかないのに、無くなるのが嫌なのです。
でも、少し時間がたてば、きっとみんなにあげられるだろうと思います。時間が私の心を穏やかにしてくれるだろうと思います。
姪には、本をあげようと思います。夫が私に勧めてくれた本、「お父さんが話してくれた宇宙の歴史」。とても面白く、二人で宇宙のこと、地球のこと、人類のことなどはなしました。その本をあげたいと思います。
お友達にも、「安藤昌益全集」をあげたいと思っているのだけど、本がありすぎて、処分に困っていることなどを聞くと、なかなか言い出せません。
今、私は、夫のパジャマを着ています。大きいのだけれど、袖もズボンも折りたたんで着ています。それだけでも、夫と一緒にいるようで、安心していられるのです。