私達の愛猫「ココ」です。
href="http://https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/d8/b8eff946fe8f0a0d5fe362e652875f2b.jpg">
今年の2月を以って家内は4年目を迎えました。 症状は夫々人によって異なる事は当然の事ですが、過去3年間を振り返って見ますと、もっと自分に為すべき事、してやれる事は無かったのだろうかと考え込む様になりました。 専門医と掛かり付けのファミリードクターの指示による処方された薬とリハビリを頼る以外には何も出来なかったのであろうかと疑いたくなるのです。 認知症と診断された患者は医師からも見放されるのは当然の事の様に止むを得ないのだろうかなどと遣る瀬無い気持ちを抑え、耐えていますが如何する事も出来ません。 不治の病と承知の上で症状の進行を抑えて遅らせる高価な薬を2種類毎日服用させていますが、何とも空しい思いです。
本人の意識が有る限り最善を尽くして楽にさせて遣りたい、然しその反面で本人の生命力が徐々に失われつつ有る事も否めない事実です。果たして意識が完全に麻痺してしまった後は如何程生き永らえる事が可能なのでしょうか? 体験者の方の話を伺いますと、完全に記憶喪失に陥った時期が取り残された家族にとって尤も辛い体験を負わさせられる時である事を知らされています。 何時の日か自分にもその日が必ず訪れてくる事を前以て心の準備を充分備えておかねばならないと言い聞かせております。
此れまでに体力を維持さす為にずーっとリハビリを続けさせて参りましたが、一向に丈夫になる兆しは愚か、益々日増しに体力の減退を意識するようになりました。今では自ら自分の身体を支える体力も無く、真っ直ぐ立っている事も出来ません。意識だけが未だはっきりしており無口になりましたが、会話を交わす事は出来ます。会話を理解する事は出来ても動作の動きが鈍く思い通りに動かす事が出来ませんので、常に介護の援助が必要となります。 又、自らの個人的な身の嗜み(たしなみ)や生理的な管理を施す事は最早不可能な状態で、将に赤ん坊の世話を看るのと何ら変りは有りません。 当然の事ながら衣服の着替え、洗顔、歯磨き、入浴、頭髪の手当て、食事を取る事から下半身の世話に至るまで総て人の手に委ねざるを得ません。 それらの世話が今の私の日課となっています。
毎朝目を覚ましても全く何事をする意欲も持たない人形同然で、唯為されるままに文句も言わずに応じています。 日中は毎日リビングのソファーかリクライニングチェアに座って特にテレビに注目するでも無く、読書する意欲も無く、殆ど居眠りして時を過ごしています。 眠りから目を覚ますとひっきりなしに私の名前を呼び続け、その都度返事をしてもその返事に応対する事無く、更に呼び続けています。傍に行き近着くと呼びながら手を差し伸べて手を握るように催促をして来ます。 手を握ってやると暫くの間大人しくなり、何時までも握り締めていますが、恐らく自分の心に不安を感じている為なのでしょうか?
彼女の動作には完全に頼り切って安心感を覚えた面と甘えが半分交差して、時折発する声に言語障害に似た症状も僅かながら見受けられるようになりました。 発する声は言葉になっておらず全く意味不明で聞き取れません。 何かを訴えている様子ですが、何度訊ねても唯意味無く頷くだけで応えてくれません。 こんな時の彼女は果たして何処まで正気で応対してくれているのだろうかと考えさせられます。
認知症状にも色々有ると思うのですが、一般には記憶喪失が伴い昨日、今日の出来事も直ぐに忘れてしまうのですが、未だ元気だった頃の出来事は総て鮮明に記憶に残っているのです。ですから古くから親しくしていた友人達からの電話を頂くと急に人が変わった様に昔の彼女に戻り元気を取り戻して、たどたどしくも話が出来るのです。日本に居る妹達からの電話の会話もちゃんと受け応え出来るので、妹達にとっては現実の状態が充分把握出来ません。然し話が少し長引くに連れて会話の内容が繰り返される様になります。
今では毎日この様な生活を余儀なく過ごしていますが、果たして本人自身は自分の生き方に何処まで生き甲斐を感じているのか、又、満足出来ているのかに就いては最早考える気力さえ持ち合わせていないと思われますので、悩みも苦痛も感じる事は有り得ないと思います。 私がどんなに彼女に愛情を込めて介護に一生懸命尽くしても、その気持ちを感じ取る能力さえも消え失せているのではないかと思われます。 此れが私達に与えられた運命を生かされているのだと、ただただ最善を尽くすのみで、常に前向きに頑張るしか無いものと思っています。 人間は苦労を重ねる事で強くなれるものだと言う事を実感しています。 子宝に恵まれなかった孤独な二人だけの人生を荒波に揉まれながら此処まで辿り着いて来られた事を思いますと、今更此処で挫ける訳には参りません。必ず明日と言う日が訪れて来ますので強く生きて行きたいと思います。
まだまだ話し尽くせない事も多く有りますが、私達の人生の一こまを述べさせて頂きました。私よりもっと過酷な苦労をされて日夜悩まされておられる方々は大勢いらっしゃると思いますが、それに較べると私如きの苦労は未だ「苦労」とは言えるものでは無く序の口にも至っていないでしょう。皆さんのご苦労話も是非お聞かせ下さい。
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今年の2月を以って家内は4年目を迎えました。 症状は夫々人によって異なる事は当然の事ですが、過去3年間を振り返って見ますと、もっと自分に為すべき事、してやれる事は無かったのだろうかと考え込む様になりました。 専門医と掛かり付けのファミリードクターの指示による処方された薬とリハビリを頼る以外には何も出来なかったのであろうかと疑いたくなるのです。 認知症と診断された患者は医師からも見放されるのは当然の事の様に止むを得ないのだろうかなどと遣る瀬無い気持ちを抑え、耐えていますが如何する事も出来ません。 不治の病と承知の上で症状の進行を抑えて遅らせる高価な薬を2種類毎日服用させていますが、何とも空しい思いです。
本人の意識が有る限り最善を尽くして楽にさせて遣りたい、然しその反面で本人の生命力が徐々に失われつつ有る事も否めない事実です。果たして意識が完全に麻痺してしまった後は如何程生き永らえる事が可能なのでしょうか? 体験者の方の話を伺いますと、完全に記憶喪失に陥った時期が取り残された家族にとって尤も辛い体験を負わさせられる時である事を知らされています。 何時の日か自分にもその日が必ず訪れてくる事を前以て心の準備を充分備えておかねばならないと言い聞かせております。
此れまでに体力を維持さす為にずーっとリハビリを続けさせて参りましたが、一向に丈夫になる兆しは愚か、益々日増しに体力の減退を意識するようになりました。今では自ら自分の身体を支える体力も無く、真っ直ぐ立っている事も出来ません。意識だけが未だはっきりしており無口になりましたが、会話を交わす事は出来ます。会話を理解する事は出来ても動作の動きが鈍く思い通りに動かす事が出来ませんので、常に介護の援助が必要となります。 又、自らの個人的な身の嗜み(たしなみ)や生理的な管理を施す事は最早不可能な状態で、将に赤ん坊の世話を看るのと何ら変りは有りません。 当然の事ながら衣服の着替え、洗顔、歯磨き、入浴、頭髪の手当て、食事を取る事から下半身の世話に至るまで総て人の手に委ねざるを得ません。 それらの世話が今の私の日課となっています。
毎朝目を覚ましても全く何事をする意欲も持たない人形同然で、唯為されるままに文句も言わずに応じています。 日中は毎日リビングのソファーかリクライニングチェアに座って特にテレビに注目するでも無く、読書する意欲も無く、殆ど居眠りして時を過ごしています。 眠りから目を覚ますとひっきりなしに私の名前を呼び続け、その都度返事をしてもその返事に応対する事無く、更に呼び続けています。傍に行き近着くと呼びながら手を差し伸べて手を握るように催促をして来ます。 手を握ってやると暫くの間大人しくなり、何時までも握り締めていますが、恐らく自分の心に不安を感じている為なのでしょうか?
彼女の動作には完全に頼り切って安心感を覚えた面と甘えが半分交差して、時折発する声に言語障害に似た症状も僅かながら見受けられるようになりました。 発する声は言葉になっておらず全く意味不明で聞き取れません。 何かを訴えている様子ですが、何度訊ねても唯意味無く頷くだけで応えてくれません。 こんな時の彼女は果たして何処まで正気で応対してくれているのだろうかと考えさせられます。
認知症状にも色々有ると思うのですが、一般には記憶喪失が伴い昨日、今日の出来事も直ぐに忘れてしまうのですが、未だ元気だった頃の出来事は総て鮮明に記憶に残っているのです。ですから古くから親しくしていた友人達からの電話を頂くと急に人が変わった様に昔の彼女に戻り元気を取り戻して、たどたどしくも話が出来るのです。日本に居る妹達からの電話の会話もちゃんと受け応え出来るので、妹達にとっては現実の状態が充分把握出来ません。然し話が少し長引くに連れて会話の内容が繰り返される様になります。
今では毎日この様な生活を余儀なく過ごしていますが、果たして本人自身は自分の生き方に何処まで生き甲斐を感じているのか、又、満足出来ているのかに就いては最早考える気力さえ持ち合わせていないと思われますので、悩みも苦痛も感じる事は有り得ないと思います。 私がどんなに彼女に愛情を込めて介護に一生懸命尽くしても、その気持ちを感じ取る能力さえも消え失せているのではないかと思われます。 此れが私達に与えられた運命を生かされているのだと、ただただ最善を尽くすのみで、常に前向きに頑張るしか無いものと思っています。 人間は苦労を重ねる事で強くなれるものだと言う事を実感しています。 子宝に恵まれなかった孤独な二人だけの人生を荒波に揉まれながら此処まで辿り着いて来られた事を思いますと、今更此処で挫ける訳には参りません。必ず明日と言う日が訪れて来ますので強く生きて行きたいと思います。
まだまだ話し尽くせない事も多く有りますが、私達の人生の一こまを述べさせて頂きました。私よりもっと過酷な苦労をされて日夜悩まされておられる方々は大勢いらっしゃると思いますが、それに較べると私如きの苦労は未だ「苦労」とは言えるものでは無く序の口にも至っていないでしょう。皆さんのご苦労話も是非お聞かせ下さい。