Hirokaz' Diary

Ondangwa Life in NAMIBIA

危険予知

2006-11-30 17:37:29 | Weblog
 学校がお休みになって、学校内はとても静まりかえっています。学校の外に一歩出てみると、近くの空き地で、たくさんの子どもたちがボール一つで遊んでいました。大きい子から小さい子まで、学年もバラバラで、私が子どものころの日本みたいです。独自にルールを決めて、サッカーのような遊びをしていました。ゴールは棒2本が両サイドに立っていて、その間だそうです。写真のように、壊れた車が観覧席になっていて、とてもアフリカらしい感じがしました。
 でもよく見ると、この壊れた車、鉄板がむき出しで、腐食(さび)も進んでいるし、足を踏み外したりすれば、ケガをしそうです。日本だったら、こんな所に車を放置した人が悪いという話になって、責任問題が浮上しますね。しかし、こちらではそんなことにはなりません。万一、ケガをしたとしても、ケガをした人が悪いということで片付けられます。日本では、用水路に落ちれば、柵がないからとか、鉄塔に昇って感電すれば、囲いがないからとか、すぐに管理側の責任が問われます。管理側も責任を問われる以上、気を遣いますし、配慮も行き届きます。安全対策上、ものすごい効率がよさそうに感じるけど、こちらに来て、このことに疑問を感じるようになりました。
 今までは当たり前だと思っていたんですが、ふと考えてみると、日本は守られすぎているんじゃないかな?あるいは責任を逃れるための策(理屈)に思えてきました。何の解決にもなっていないのでは?つまり、どういうことかというと、逆に、日本の子どもたちは無警戒すぎます。危険が察知できない状態を育てているのです。こちらの子どもたちは、かなり危険な状況下でもケガをしません。こうしたらどうなるか、危険を予測しているからです。もし、こちらに日本の子どもを連れてくれば、ものの数分以内に重大なケガをすると思います。
 私の学校をみても、割れたガラスがそのままになっていたり、金属製の樋が壊れてめくれていたり、有刺鉄線のフェンスが倒れていたり、すごく危険な箇所がたくさんあります。しかし、誰一人、ケガをしません。日本だったら、誰かがすぐにケガをして、速攻、学校側の責任問題に発展しちゃうんだけどなぁ…。

荒療治…

2006-11-30 17:31:57 | Weblog
 3台のパソコンに分かれて、打ち込み作業がはじまっています。写真はそのようすです。自然と2人1組になって、打ち込んでいます。一人が得点や評定を読み上げ、もう一人が打ち込んでいくみたいな感じになっています。でも、なんで独身の若い男女のペアなんだろう?まあ、それはどうでもいいとして、私の学校では、自分の採点を違う先生にチェックしてもらうこと(moderationと言います)が義務づけられているので、協力体制は自然にできあがっています。他の隊員に聞いた話ですが、「自分の採点が終わったら、他の先生のことなんてお構いなし、自分勝手に学校に来ない先生がいる…」と、このような状況もあるのに、私の学校ではみなさんとても協力的です。私は全体のサポートに徹しています。
 さて、生徒もいないのに、クーラーがついた涼しい部屋(パソコン室)で採点をしている先生がいます。仲のいい先生も何人か集まって、涼んでいます。不思議なことに、他の先生からは文句が出ていません。この国の人たちは寛容なのか、他人に関心がないのか、よくわかりません。日本人はとかく平等であることや、同じであることを強く望むのに…。私も、ときどきパソコン室に来ては、電話線の状況をチェックしています。相変わらず壊れたままですが、ごくたま~に繋がったりしますので、ほんと不思議です。晴れが続くと、どうやら繋がることがわかってきました。でも、今は雨季…。
 結局、電話会社の人は一向に来てくれません。間違いなく雨が原因でしょう。ここに赴任したころは安定していましたので。雨季に入って、繋がらないことが多くなったように思います。それに一度雨が降ると、何日も連続して繋がらなくなります。昨夜も雨が降りました。当然、電話線は不通でした。電話線の内部まで浸水している箇所がどこかにあるはずです。試しに、屋外の電話線をたどりながら、電話線そのものを棒でバシバシ叩いてみました。ショートを起こしている水分を散らし、気泡が一時的にショートを妨げてくれるかも?と考えたからです。
 見事に繋がりました。今日だけかもしれませんが…直りました。でも、どこがショートしているのかはわかりません。荒療治ですが、自分で方法を探るしかなさそうです。