イザヤ書 66章。
19 その日、エジプトの国の中に主をまつる一つの祭壇があり、その境に主をまつる一つの柱がある。
20 これはエジプトの国で万軍の主に、しるしとなり、あかしとなる。彼らがしえたげる者のゆえに、主に叫び求めるとき、主は救う者をつかわして、彼らを守り助けられる。
21 主はご自分をエジプトびとに知らせられる。その日、エジプトびとは主を知り、犠牲と供え物とをもって主に仕え、主に誓願をたててこれを果す。
22 主はエジプトを撃たれる。主はこれを撃たれるが、またいやされる。それゆえ彼らは主に帰る。主は彼らの願いをいれて、彼らをいやされる。
23 その日、エジプトからアッスリヤに通う大路があって、アッスリヤびとはエジプトに、エジプトびとはアッスリヤに行き、エジプトびとはアッスリヤびとと共に主に仕える。
24 その日、イスラエルはエジプトとアッスリヤと共に三つ相並び、全地のうちで祝福をうけるものとなる。
25 万軍の主は、これを祝福して言われる、「さいわいなるかな、わが民なるエジプト、わが手のわざなるアッスリヤ、わが嗣業なるイスラエル」と。
*神ヤハウェとイエスキリストは例えを用いて話す。
エジプト=日本の事。 古代イスラエル民がしえたげられた国はエジプト。今現代で聖徒がしえたげられているのは日本。なので日本=エジプトと例えている。
聖徒が日本社会で行き詰る故に、三位一体の神に叫び求める時、神は救う者(聖霊=洗礼者ヨハネ)を遣わして、彼ら聖徒を加護る。
主はエジプトを撃たれる=神ヤハウェとイエスキリストが日本を陥れている。しかし、聖徒は神の国に避難させ癒される。
「さいわいなるかな、わが民なるエジプト、わが手のわざなるアッスリヤ、わが嗣業なるイスラエル」
エジプト=イスラエルと例えている。
イスラエルは聖霊ヤコブの子孫。
つまり、幸いなるかな、我が民なる日本の聖徒達と言っているわけ。