国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

ブルートレイン華やかし頃

2006-05-31 23:29:11 | 国鉄思いで夜話
かっては、日本全国を走っていた寝台列車、特に特急列車は、ブルートレインとか走るホテルと揶揄されて、庶民には憧れの列車と言われていた。

ブルートレインの元祖といえるのが、昭和33年の時刻改正で新型20系客車に置換えられた「あさかぜ」
 この列車は、1人個室・2人個室のナロネ20と開放式寝台ナロネ21の他ナロ20、食堂車などが連結された豪華版、2等寝台(現在のB寝台)こそ、3段式52cmと言う今では到底利用したくないような代物では有るが、戦後13年でこんな立派な車両がデビューすることの方が驚きであったろうと思う。
 今から13年前といえべ、平成3年(バブルかバブルがはじけたくらいかな???)
 そんな風に考えてみるとよくわかるが、何もない時代から、復興して冷暖房完備の車両が走りだせば、多少の窮屈さは苦にならないであろう・・・・
 おっと、話がそれてしまったが、このあさかぜ号、大阪を通過するという離れ業をやってのけた割には、寝台ばかりでは不安とばかりに、1等座席車の他に2等座席車を2両も連結していた。
 さらには、ナハ20には、売店設備まで設置していたから驚く。
 当時は、食堂車にいけるのはある程度限られた階層で、一般庶民は駅弁で済ませる人が多かったことによると言われている。
 現在のように、夜行列車であっても食堂車すらない列車が当たり前の時代、何とも贅沢なことであったと思う。
 もちろん、特急列車に乗れること自体が既に限られた客層であり、一般庶民は急行で移動するものとされていた。(これは事実)

 そんな、寝台列車であったが蓋を開けてみれば、寝台車は満員、全車寝台化への要望は強く、順次座席車は寝台車に置き換わっていった。
 特に九州特急は寝台化の需要が大きく、昭和39年6月1日には、最後まで残った
特急「さくら」・「はやぶさ」の付属編成と「みずほ」の基本編成に連結の座席車は、寝台車に置き換えられた。
 ということらしい・・・・。

すみません、この記述間違っていました。昭和41年か42年に廃止になったのではないかと思います。
もうお少し後みたいですので、詳細がわかり報告します。
なお、拙サイトの内容も明日以降修正しておきます。m(__)m
ご迷惑をおかけいたします。

参考 国鉄があった時代、あの時こんなことが。

http://page.freett.com/anotoki_kokutetu/
 

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