今回、出雲が廃止になりかって一斉を風靡したブルートレインも風前の灯といったところでしょうか。
買って東京駅では、16:00から22時まで実に多くのブルートレインが明日を目指して走り去っていったのが夢のようです。
大阪でも同じ、列車名称こそ少なかったものの、あかつき7往復、彗星6往復の大所帯、さらに、明星、きりしまといった寝台電車も走っていたわけで、夜の東海道・山陽筋はにぎやかでした。
当時は子供だった私も、絵本等で見る、20系寝台に憧れを抱いたものでした。
一度、九州に向かう20系あかつきを車窓から見た感激は、30年以上経つ今も鮮やかに蘇ってきます。
濃紺の車体は、夜の帳に溶け込み、窓から見える蛍光灯の光が織り成す無数の点線、そして最後尾に淡いほたるの光で浮かび上がる、「あかつき」の文字
これほど、見る人に感動を与えた車両があっただろうか・・・ふとそう思ってしまった。
多少大げさな言い方だが、今見ても古臭さを感じさせないデザインは、その優秀さを示すものであり、現在の水準で行けば52cmの寝台などもってのほかであろうが、かってクーラーはおろか、テレビさえも高級品であった時代、この車両は驚きと羨望を持って迎え入れられたのは容易に想像がつきます。
願わくは、寝台車が今後も人々の夢をそして希望を運ぶものであって欲しいなどと、甘い妄想を抱きながら、午睡を楽しむこととしよう。
買って東京駅では、16:00から22時まで実に多くのブルートレインが明日を目指して走り去っていったのが夢のようです。
大阪でも同じ、列車名称こそ少なかったものの、あかつき7往復、彗星6往復の大所帯、さらに、明星、きりしまといった寝台電車も走っていたわけで、夜の東海道・山陽筋はにぎやかでした。
当時は子供だった私も、絵本等で見る、20系寝台に憧れを抱いたものでした。
一度、九州に向かう20系あかつきを車窓から見た感激は、30年以上経つ今も鮮やかに蘇ってきます。
濃紺の車体は、夜の帳に溶け込み、窓から見える蛍光灯の光が織り成す無数の点線、そして最後尾に淡いほたるの光で浮かび上がる、「あかつき」の文字
これほど、見る人に感動を与えた車両があっただろうか・・・ふとそう思ってしまった。
多少大げさな言い方だが、今見ても古臭さを感じさせないデザインは、その優秀さを示すものであり、現在の水準で行けば52cmの寝台などもってのほかであろうが、かってクーラーはおろか、テレビさえも高級品であった時代、この車両は驚きと羨望を持って迎え入れられたのは容易に想像がつきます。
願わくは、寝台車が今後も人々の夢をそして希望を運ぶものであって欲しいなどと、甘い妄想を抱きながら、午睡を楽しむこととしよう。
あの機関車の警笛は物悲しくて、ある意味夜を走り抜けるそんな気持ちにさせてくれましたよね。
何時までも走って欲しいと思いますが、JR西は夜行列車をできるだけ電車化したいらしいので、後数年もすると、ブルートレインと言う言葉とともども関西では消えてしまうかもしれないですね。 案外、JR貨物が寝台列車を運行していたりして。笑