今日は、JRが誕生して満18年となる、本当は昨日コメントを書きたかったのであるが、ばたばたしているうちに時間だけが経過し、今になってしまった。
18年前の今日、まず何が変わったと言えば、車体に貼り付けられたJRマークであろう。
それ以外は何も変わっていない、運賃が改訂されたわけでなく、制服が変わったわけでもない。
国鉄(JNR)という組織が消滅し、JRというなんとも奇妙な会社が誕生したことだけは間違いない。
しかし、車体に描かれた、実際は貼り付けれたJRマークを見たとき、国鉄と言う組織はなくなってしまったことを改めて実感として感じたものであった。
当初、JRマークは白、若しくはグレー、黒などのモノトーンで行くということが決められていたそうで、これは将来はJR各社が再び統合するのを前提としているからといった意見もまことしやかに聞かれたが詳細は私も勉強不足でわからない。
ただし、九州旅客鉄道だけが、当初からその申し合わせを反故にして独自の白い縁取りをもつ赤色JRマークを作ったのは有名な話。
その後は、各社が独自にJRカラーのマークを貼るにつけ当初の再統合の話しなどはどこかに消えてしまった。
国鉄最後の日である3月31日を思い出してみれば、これまたお祭り騒ぎとなっていた、「謝恩切符」が発売され、民族大移動ならぬ鉄道大移動がおこり、東京駅ではJR各社に向けての記念列車(旅立ちJR号)が運転されていた。
そして、鉄道発祥の地「汐留」ではイベントが開催されテレビ局各局は一斉にその模様を報道していた。
まるで大晦日のような賑わい。あくまでこれは虚の賑わいであるのだが。
そんな中で、国鉄を退職した人も多数いた、また将来を悲観し、自らの命を絶った人も前年から多数いた、志半ばで国鉄から他の職場に転職した人もまたしかり、多くの犠牲を伴いながら国鉄はJRにと衣替えをした。
4月1日になると、何時も思い出す。
3月31日、黙々と仕事についていた人たちのことを、華やかな部分の影で黙々と働いた人々。
もっとそんな人たちの働きに、拍手を送ってあげてください。
決して目立つことではない、でもそんな毎日の公から民への変換の瞬間にもただ忠実に仕事を続けた素晴らしい人たちがいたことを忘れないで欲しい。
もっと軽い感じで書きたかったのですが、つい感情が移入してしまいました。m(__)m
18年前の今日、まず何が変わったと言えば、車体に貼り付けられたJRマークであろう。
それ以外は何も変わっていない、運賃が改訂されたわけでなく、制服が変わったわけでもない。
国鉄(JNR)という組織が消滅し、JRというなんとも奇妙な会社が誕生したことだけは間違いない。
しかし、車体に描かれた、実際は貼り付けれたJRマークを見たとき、国鉄と言う組織はなくなってしまったことを改めて実感として感じたものであった。
当初、JRマークは白、若しくはグレー、黒などのモノトーンで行くということが決められていたそうで、これは将来はJR各社が再び統合するのを前提としているからといった意見もまことしやかに聞かれたが詳細は私も勉強不足でわからない。
ただし、九州旅客鉄道だけが、当初からその申し合わせを反故にして独自の白い縁取りをもつ赤色JRマークを作ったのは有名な話。
その後は、各社が独自にJRカラーのマークを貼るにつけ当初の再統合の話しなどはどこかに消えてしまった。
国鉄最後の日である3月31日を思い出してみれば、これまたお祭り騒ぎとなっていた、「謝恩切符」が発売され、民族大移動ならぬ鉄道大移動がおこり、東京駅ではJR各社に向けての記念列車(旅立ちJR号)が運転されていた。
そして、鉄道発祥の地「汐留」ではイベントが開催されテレビ局各局は一斉にその模様を報道していた。
まるで大晦日のような賑わい。あくまでこれは虚の賑わいであるのだが。
そんな中で、国鉄を退職した人も多数いた、また将来を悲観し、自らの命を絶った人も前年から多数いた、志半ばで国鉄から他の職場に転職した人もまたしかり、多くの犠牲を伴いながら国鉄はJRにと衣替えをした。
4月1日になると、何時も思い出す。
3月31日、黙々と仕事についていた人たちのことを、華やかな部分の影で黙々と働いた人々。
もっとそんな人たちの働きに、拍手を送ってあげてください。
決して目立つことではない、でもそんな毎日の公から民への変換の瞬間にもただ忠実に仕事を続けた素晴らしい人たちがいたことを忘れないで欲しい。
もっと軽い感じで書きたかったのですが、つい感情が移入してしまいました。m(__)m
なぜか鉄道ファンを自認する人がたくさん退職してしまいました。その人たち・・僕も含めて・・鉄道ファンは未だに継続しているのですから不思議なことです。
僕にとって鉄道は憧れでなければならなかった・その鉄道や鉄道の労組が垣間見せる醜態は、僕自身には我慢が出来ないものであった・・そして、大好きな部分である全国的な国鉄の、あの大きさが中途半端な改革で分断され、国民の資産が切り売りされることにも、僕は到底思考をそれにあわせることは出来なかった・・
ということではないかと思うのですが・・ま・・人生、いろいろあるものですから・・苦笑。。
国鉄改革で不思議なのはどうして、東日本という巨大組織を作りながら、四国や北海道という地位なさ組織・・それも初めから経営が成り立たないとわかっている組織をつくったのか?
例えば四国は西日本の広島、岡山と併せた会社にしたり、北海道と東北を一つにすることも可能だったはずで、結局は地方無視、東京重視、政治家の大馬鹿判断ってこんなものなのでしょうね・・
郵政民営化・・何のためという基本がすでに崩壊しており、これは国鉄以上の悪政に他なりませんね・・
すみません、中々お邪魔できなくて。
確かに分割民営化の際の3島会社は疑問が残ります。
東海という会社もこれまた作る必要があったのかといわれていますしね。
3島会社の場合は最初から経営が成り立たないのはわかっているので過去債務を持たさず、かつ運用基金を準備するという言わば持参金付で作った会社ですが、多くの犠牲の上に成り立った改革であることには間違いないですね。
現在の郵政改革は既に破綻しています、公社という中途半端な形態、そしてこれを改組した程度の民営会社では恐らく国鉄以上に国民は不便を強いられると思われます。
政治家に振り回される、窓口ネットワーク会社、特定局長の顔色を伺う国会議員、そんな輩が今度は、郵便会社などに圧力をかける・・・・
そんな気がしてなりません。