一週間以上放置してしまいました。
今回も、紀勢本線を走った夜行列車のお話しと言うことで、924列車【後のはやたま】を中心にしたお話をさせていただこうと思います。
公益社団法人 和歌山県観光連盟 から引用 那智の滝
昭和49年からと言うことになるのですが、現在、私の手元にある時刻表が探してみますと、昭和49年2月号、10月号、50年3月号しか有りません。
一先ず、この中から動きを見ていこうと思います。
こうした時刻表もそうなのですが、集め始めると際限がなくなってしまいますので、どこかで止めなくてはと思っています。
ただ、コレクターと言うよりも、実際に時刻の変遷を知りたいのである程度幅は持てると思うんですけど、微妙に毎月変わっていたりすると、それを確認したくて探してしまうと言う悪循環です。苦笑
さて、それでは、早速昭和49年2月の時刻表から見ていきたいと思います。
昭和49年2月の時刻表では924列車が、始発列車の欄に移動して一番左側に移動しています。
恐らく、紀勢本線の場合は和歌山市~亀山であり、上り列車は名古屋になりますので、【ちなみに、阪和線は天王寺行きが上り列車になります。ただ、紀勢本線直通列車は上り列車扱いなので、天王寺始発列車は全て上り列車になるので、偶数の番号が割り振られることになります。
2D 天王寺発名古屋行き等
さて、この時刻表を見ますと、南海電鉄直通時代の名残で、和歌山市発の直通列車が引き続き一両、天王寺からの列車はB寝台車が連結された堂々たる列車でした。
天王寺発の時刻も相変わらず、22:40、和歌山着は23:39で、阪和線内ノンストップとはいえ、結構ゆっくりとしたダイヤです。
和歌山市発の列車は、和歌山市を23:28に出発、紀和、23:32、和歌山 23:36着、天王寺からの924列車が到着すると、機関車が、和歌山市に残された客車を拾って、再び924列車に連結していたように記憶しています、その際荷物車の前に和歌山市発の客車が連結されていたように記憶しているのですが、記憶違いかもしれませんので、詳細ご存じの方居られましたらご教示願います。
和歌山駅で、和歌山市からの列車を拾うと23:50に和歌山駅を発車、途中、宮前・黒江・冷水浦は通過して、ついでに紀伊内原も通過して御坊着、御坊からは快速運転ですが、周参見以降は再び各駅にこまめに停車しながら、新宮に5:12着、ここで最後尾の寝台車と、和歌山市からの列車を切り離し、寝台車は夜までしばしお休みに、和歌山市発の客車は121列車で戻されたようです。
121列車は、新宮6:32、宮前以外の各駅に停車しながら、13:13に和歌山市に戻っています。
さて、この時期ですので、「いそつり」は運転されておらず、きのくに15号が23:30天王寺発、5:30新宮着で運転されているだけでした。
昭和49年は紀勢本線はまだ電化はされていませんが、高速道路も未整備であったため、特急列車や急行列車の設定は旺盛で、「くろしお」は6本【1本は週末運転の季節列車】、他に急行きのくにが15本【6本が週末運転の季節列車、それ以外に臨時列車が1本】、急行「紀州」が1本天王寺~名古屋間を走っており、普通列車はその合間を走る、そんな感じです。
昭和49年2月時刻表
10月号の時刻表を見ますと、臨時列車にも特急指向あるのか、新宮行きの列車が特急になっています。ただし、日によって運転区間と時間が異なっていたようで、列車愛称も分けていました。
くろしお51号は、新宮行きで、11月3日・24日運転で、天王寺発が16:58 くろしお52号は、白浜止まりで、11月2・4・22・23日運転で、17:18発となっていました。
手元の、昭和49年10月の時刻表では、既に「南紀」の名称を見ることができます、現在3月~9月までの間で時刻表が手元にありませんので確証はありませんが、宮崎電化の昭和49年4月頃ではないかと推測しています。
昭和49年10月時刻表
昭和50年3月のダイヤ改正は、新幹線博多開業によるダイヤ改正でした。
時刻表を見ると、924列車は再び、夜行列車として、見開き右側に他の列車と共に揃えられています。
この時期の時刻表では、「いそつり」もダイヤが掲載され、いそつり・南紀・きのくに15号の3夜行列車が並んでいます。
昼間の列車を見てみますと、名古屋行き2Dの出発後2分後に続行する形で、くろしお51号が運転されています。
臨時列車の悲しさ、2Dで49分で和歌山まで走るのに対して、臨時の51号は1時間1分、和歌山到着で13分の
差を付けられます。その後2分ほど短縮しますがそれ以上は縮まりませんが、紀伊勝浦まで運転され、13:36に到着しています。
予備車のかき集めなのでしょうか、食堂車の連結もないのはちょっと寂しく感じます。
続く
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国鉄があった時代 JNR-era
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今回も、紀勢本線を走った夜行列車のお話しと言うことで、924列車【後のはやたま】を中心にしたお話をさせていただこうと思います。
公益社団法人 和歌山県観光連盟 から引用 那智の滝
昭和49年からと言うことになるのですが、現在、私の手元にある時刻表が探してみますと、昭和49年2月号、10月号、50年3月号しか有りません。
一先ず、この中から動きを見ていこうと思います。
こうした時刻表もそうなのですが、集め始めると際限がなくなってしまいますので、どこかで止めなくてはと思っています。
ただ、コレクターと言うよりも、実際に時刻の変遷を知りたいのである程度幅は持てると思うんですけど、微妙に毎月変わっていたりすると、それを確認したくて探してしまうと言う悪循環です。苦笑
さて、それでは、早速昭和49年2月の時刻表から見ていきたいと思います。
昭和49年2月の時刻表では924列車が、始発列車の欄に移動して一番左側に移動しています。
恐らく、紀勢本線の場合は和歌山市~亀山であり、上り列車は名古屋になりますので、【ちなみに、阪和線は天王寺行きが上り列車になります。ただ、紀勢本線直通列車は上り列車扱いなので、天王寺始発列車は全て上り列車になるので、偶数の番号が割り振られることになります。
2D 天王寺発名古屋行き等
さて、この時刻表を見ますと、南海電鉄直通時代の名残で、和歌山市発の直通列車が引き続き一両、天王寺からの列車はB寝台車が連結された堂々たる列車でした。
天王寺発の時刻も相変わらず、22:40、和歌山着は23:39で、阪和線内ノンストップとはいえ、結構ゆっくりとしたダイヤです。
和歌山市発の列車は、和歌山市を23:28に出発、紀和、23:32、和歌山 23:36着、天王寺からの924列車が到着すると、機関車が、和歌山市に残された客車を拾って、再び924列車に連結していたように記憶しています、その際荷物車の前に和歌山市発の客車が連結されていたように記憶しているのですが、記憶違いかもしれませんので、詳細ご存じの方居られましたらご教示願います。
和歌山駅で、和歌山市からの列車を拾うと23:50に和歌山駅を発車、途中、宮前・黒江・冷水浦は通過して、ついでに紀伊内原も通過して御坊着、御坊からは快速運転ですが、周参見以降は再び各駅にこまめに停車しながら、新宮に5:12着、ここで最後尾の寝台車と、和歌山市からの列車を切り離し、寝台車は夜までしばしお休みに、和歌山市発の客車は121列車で戻されたようです。
121列車は、新宮6:32、宮前以外の各駅に停車しながら、13:13に和歌山市に戻っています。
さて、この時期ですので、「いそつり」は運転されておらず、きのくに15号が23:30天王寺発、5:30新宮着で運転されているだけでした。
昭和49年は紀勢本線はまだ電化はされていませんが、高速道路も未整備であったため、特急列車や急行列車の設定は旺盛で、「くろしお」は6本【1本は週末運転の季節列車】、他に急行きのくにが15本【6本が週末運転の季節列車、それ以外に臨時列車が1本】、急行「紀州」が1本天王寺~名古屋間を走っており、普通列車はその合間を走る、そんな感じです。
昭和49年2月時刻表
10月号の時刻表を見ますと、臨時列車にも特急指向あるのか、新宮行きの列車が特急になっています。ただし、日によって運転区間と時間が異なっていたようで、列車愛称も分けていました。
くろしお51号は、新宮行きで、11月3日・24日運転で、天王寺発が16:58 くろしお52号は、白浜止まりで、11月2・4・22・23日運転で、17:18発となっていました。
手元の、昭和49年10月の時刻表では、既に「南紀」の名称を見ることができます、現在3月~9月までの間で時刻表が手元にありませんので確証はありませんが、宮崎電化の昭和49年4月頃ではないかと推測しています。
昭和49年10月時刻表
昭和50年3月のダイヤ改正は、新幹線博多開業によるダイヤ改正でした。
時刻表を見ると、924列車は再び、夜行列車として、見開き右側に他の列車と共に揃えられています。
この時期の時刻表では、「いそつり」もダイヤが掲載され、いそつり・南紀・きのくに15号の3夜行列車が並んでいます。
昼間の列車を見てみますと、名古屋行き2Dの出発後2分後に続行する形で、くろしお51号が運転されています。
臨時列車の悲しさ、2Dで49分で和歌山まで走るのに対して、臨時の51号は1時間1分、和歌山到着で13分の
差を付けられます。その後2分ほど短縮しますがそれ以上は縮まりませんが、紀伊勝浦まで運転され、13:36に到着しています。
予備車のかき集めなのでしょうか、食堂車の連結もないのはちょっと寂しく感じます。
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