国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

駅員・松井寅次郎奮戦記

2006-07-21 23:13:34 | 国鉄思いで夜話
> 寅次郎さん、少し苦笑しながら、「ちょっと待っててな」
>  そう言いながら。奥の部屋に入っていったのでした。

すみません、2週間ほど空いてしまいまして。大汗

しばらくして、寅次郎は長細い板を何枚か重そうに持ってきました。

「正木君。これが本当のサボだよ。」

正木君は、まじかでサボを見たことがなかったので、しげしげと見てみました、紺色に白色で文字が書いてありました。
 「大阪行」その下には「FOR OSAKA」と書いてありました、そして裏面を見るとびっくり「下関行」「FOR SHIMONOSEKI」と書いていたのです。
 別の板には、「米子行」や「浜田行」といった名前がズラリ並んでいました。
寅次郎さんは、少し誇らしげに。
 「これは、客車の両側に1枚づつついていて、駅ではこれを付け替えるのさ。」
 寅次郎さん、少し嬉しそうに話してくれました。
 さらに、寅次郎さんは「他にも、特急列車や急行列車などではサボの色も違ったりしたのさ」と教えてくれました。

 正木君は、寅次郎に質問してみました。
 「おじさん、僕が見たのは電車のサボだったけど、これは色が違ったんだけど・・・・」
寅次郎は、すかさず。
「いいところに気がついたねぇ、確かに電車等のサボは少し小ぶりだし、急行や特急では、サボの色自体が違うのさ。」
 更に寅次郎の話は続きます。
「特急列車(電車)のサボは白地に赤で書かれていたんだ、これは僕の宝物なので譲ってあげることは出来ないけど、ご覧。特急「こだま」に使っていたときのものだよ。」
寅次郎は、東海道新幹線が開業する前に使っていた、東京~大阪・神戸間のサボを譲ってもらい大切に保管していたのでした。
 「おじさん、これは?」
 
「これは、こだま号で使っていたものだよ。」

 「うそだー、「こだま」って新幹線じゃないか」

正木君は、寅次郎さんが冗談で言っているのだと思ったのです、寅次郎さんは苦笑しながら、
「違うんだよ、こだま号はいまでこそ、新幹線で走っているけれど、元々東京~大阪間を走る列車として今から20年前の昭和33年から昭和39年の新幹線開業まで走っていたんだよ。そのときに使っていたサボがこれなんだ。」
 寅次郎の説明に、(・。・)(目が点)な正木君。そしてしばらくすると、「へぇ。そうなんだ。」
 寅次郎の説明に納得するやら感心するやらの正木君であった。

寅次郎さんは、もう少し話したそうでしたが、正木君肝心の宿題をしていなかったので、そそくさと自宅に帰ったのでした。
 お終い。

長く間があいてしまって申し訳ございませんでした。
次回のシリーズをお楽しみに。
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