おはようございます、今日も少しだけ昔話などさせていただこうと思います。
天王寺駅の8番線側に「釜めし屋」さんだかががあったことを覚えている方はどれほどいるでしょうか。
今は、自動販売機などが並ぶスペースですが、当時は細長い店舗が並んでいました。
思い出すだけでも、喫茶店・「すっぽんの粉末?」、それと釜めし屋さんですかね。
これらの店舗は国鉄末期の昭和59年頃から出現して平成3年頃には消えていったように思います、・・・実はこちらの「釜めし屋」も国鉄の民営化に際し、職員の職場対策で作られた国鉄直営店でした。
私も郵政局に通っていた頃は、阪和線4番線ホームの屋台共々良く利用させてもらったものです。
店は本当に狭くて細長い厨房とカウンター、一応座れるように配慮されていましたが椅子の後ろがすぐ出入り口と言うことで落ち着かない事甚だしかったように記憶しているのですが、さすがに30年ほど前の記憶なのでちょっとあやふやです。苦笑
まぁ、釜めし屋さんをよく利用した一つには国鉄(JR直営店)ということで利用していたと言ったところもあったかもしれません。
こうした直営店に配置された方、多くは国労の組合員で有ったと思います。
最近、国鉄職員の方で一時期出向で働いておられたという方のコメントをいただきましたので、関連事業に関しても、出向と同じで直営売店で働いておられた方もいたのだなぁと知った次第です。
私の父親も国鉄だったのですが、天鉄局勤務であり、管理者でしたので職員を選別する立場でした。
最終的には、本人の判断でJRに採用されていたものの退職の道を選びました。
今から考えれば、そのままJR西日本に移籍した方が本人のためにも良かったのかと思いますが、鬼籍に入ってかれこれ10年近く経ちますので聞くこともままなりません。
国鉄の急速な合理化は、過員(業務に対して過剰な人員を生み出すこととなってしまいました。それを吸収すべく、ある程度は駅への増員配置で、旅客や貨物営業などの要員などに回すことがなされましたが、CTC化なども含めて駅自体の要員も不要となり、民間企業への出向などが行われた他、先程も書いたような、新しい形態の直営店舗が開発されていきました。
人材活用センター・直営売店…等々
ヤード系輸送の廃止に伴う機関車乗務員を中心とする過員問題は当然のことながら仕事がない人を生んでしまう結果となり、出向や期間を決めての派遣が行われるとともに、他省庁や地方公務員への転職といったことも行われました。
そんな中で咲いた、直営店は、現在の世代から見たらどのように写るのでしょうか。
やがて、これら直営売店は、JRの子会社に移行し、従業員も国鉄職員から一般の採用されたおばちゃん?などに変わっていったと記憶しています。
そんな中で、私自身が一番印象に残っているのが、大阪駅に有ったカレー屋さんです。
現在も大阪駅にハートイン(現在はセブンイレブンに変更)のコンビニの横に「カレーショップ」名称はちょっと忘れたのですが・・・有ったかと思うのですが。
私の記憶が確かならば、国鉄直営店でスタートしたように記憶しています。(もしかしたらそれ以前からあったかもしれませんが、大阪駅構内でカレーショップがあって、そこで国労の元運転士がそこでカレーを販売していたと言う記憶があるからです。
何故?と思われるかもしれませんが。
天王寺駅の場合は国労バッチとか付けていなかったのですが、大阪駅のカレー屋さんでは。胸に国労バッチをして名札が元の所属を書いた名札を着用。「元高槻電車区加藤」みたいな・・・・。
感じで自己主張していたのでよく覚えているのです。
私自身、「国鉄は潰れない」、「親方日の丸」と言った言葉を母親から聞かされていましたので、「親方日の丸の企業」が今潰されようとしていることの凄く衝撃を受けて、幸い中等部と言って働きながら学べる環境に居たことから授業が終わってから毎日図書室でそうした記事をスクラップしたり、当時の「公企労レポート」をコピーして読み込んだりしていたものでした。
国鉄改革から30年以上経っていまこうして蘊蓄を語れるのも当時こうした資料を集めていたことも大きな要因だと思っています。
ただ、複数の引っ越しと経済的困窮などで手放してしまった資料や散逸してしまった資料も多数ですが、今一度体系的に整理して自分の中で発表して行ければと思っています。
天王寺駅の8番線側に「釜めし屋」さんだかががあったことを覚えている方はどれほどいるでしょうか。
今は、自動販売機などが並ぶスペースですが、当時は細長い店舗が並んでいました。
思い出すだけでも、喫茶店・「すっぽんの粉末?」、それと釜めし屋さんですかね。
これらの店舗は国鉄末期の昭和59年頃から出現して平成3年頃には消えていったように思います、・・・実はこちらの「釜めし屋」も国鉄の民営化に際し、職員の職場対策で作られた国鉄直営店でした。
私も郵政局に通っていた頃は、阪和線4番線ホームの屋台共々良く利用させてもらったものです。
店は本当に狭くて細長い厨房とカウンター、一応座れるように配慮されていましたが椅子の後ろがすぐ出入り口と言うことで落ち着かない事甚だしかったように記憶しているのですが、さすがに30年ほど前の記憶なのでちょっとあやふやです。苦笑
まぁ、釜めし屋さんをよく利用した一つには国鉄(JR直営店)ということで利用していたと言ったところもあったかもしれません。
こうした直営店に配置された方、多くは国労の組合員で有ったと思います。
最近、国鉄職員の方で一時期出向で働いておられたという方のコメントをいただきましたので、関連事業に関しても、出向と同じで直営売店で働いておられた方もいたのだなぁと知った次第です。
私の父親も国鉄だったのですが、天鉄局勤務であり、管理者でしたので職員を選別する立場でした。
最終的には、本人の判断でJRに採用されていたものの退職の道を選びました。
今から考えれば、そのままJR西日本に移籍した方が本人のためにも良かったのかと思いますが、鬼籍に入ってかれこれ10年近く経ちますので聞くこともままなりません。
国鉄の急速な合理化は、過員(業務に対して過剰な人員を生み出すこととなってしまいました。それを吸収すべく、ある程度は駅への増員配置で、旅客や貨物営業などの要員などに回すことがなされましたが、CTC化なども含めて駅自体の要員も不要となり、民間企業への出向などが行われた他、先程も書いたような、新しい形態の直営店舗が開発されていきました。
人材活用センター・直営売店…等々
ヤード系輸送の廃止に伴う機関車乗務員を中心とする過員問題は当然のことながら仕事がない人を生んでしまう結果となり、出向や期間を決めての派遣が行われるとともに、他省庁や地方公務員への転職といったことも行われました。
そんな中で咲いた、直営店は、現在の世代から見たらどのように写るのでしょうか。
やがて、これら直営売店は、JRの子会社に移行し、従業員も国鉄職員から一般の採用されたおばちゃん?などに変わっていったと記憶しています。
そんな中で、私自身が一番印象に残っているのが、大阪駅に有ったカレー屋さんです。
現在も大阪駅にハートイン(現在はセブンイレブンに変更)のコンビニの横に「カレーショップ」名称はちょっと忘れたのですが・・・有ったかと思うのですが。
私の記憶が確かならば、国鉄直営店でスタートしたように記憶しています。(もしかしたらそれ以前からあったかもしれませんが、大阪駅構内でカレーショップがあって、そこで国労の元運転士がそこでカレーを販売していたと言う記憶があるからです。
何故?と思われるかもしれませんが。
天王寺駅の場合は国労バッチとか付けていなかったのですが、大阪駅のカレー屋さんでは。胸に国労バッチをして名札が元の所属を書いた名札を着用。「元高槻電車区加藤」みたいな・・・・。
感じで自己主張していたのでよく覚えているのです。
私自身、「国鉄は潰れない」、「親方日の丸」と言った言葉を母親から聞かされていましたので、「親方日の丸の企業」が今潰されようとしていることの凄く衝撃を受けて、幸い中等部と言って働きながら学べる環境に居たことから授業が終わってから毎日図書室でそうした記事をスクラップしたり、当時の「公企労レポート」をコピーして読み込んだりしていたものでした。
国鉄改革から30年以上経っていまこうして蘊蓄を語れるのも当時こうした資料を集めていたことも大きな要因だと思っています。
ただ、複数の引っ越しと経済的困窮などで手放してしまった資料や散逸してしまった資料も多数ですが、今一度体系的に整理して自分の中で発表して行ければと思っています。
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