国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

紀勢本(東)線の夜行列車、紀州5号のルーツを探ってみる。第4回

2021-01-21 23:25:13 | 国鉄思いで夜話

本日は、昭和39年新幹線開業前後の紀勢本線を見ていこうと思います。

東海道新幹線は、昭和39年10月1日に開業しますが、この新幹線がその後高速鉄道の世界を作り出すとは当時は誰も予測し得ないことであったことは間違いありませんが、紀勢本線ではどうだったのでしょうか。

早速昭和39年4月号の時刻表を参照したいと思います。

ちょっと見えにくいですが、うしお2号は23:00名古屋発で変更はなく、ひだ3号も四日市まで延長運転されています。

あと、直接「うしお」と関係ないのですが。関西線に乗り入れる東京発の優等列車ですが、3本運転されていました。

東京を20:00に出発する、急行伊勢・那智と、22:45最終列車として出発する急行大和です。

昭和39年4月号の時刻表から 関西線

上、昭和39年4月時刻表/下 昭和39年10月改正

那智・伊勢コンビは、分離され、伊勢は大和と併結、那智は南紀観光団体列車と併結になりました。
また、「うしお」は、その出発時刻が10分繰り下げられて、23:10発となりました。
余裕自分の見直しが行われたのかもしれません。

昭和39年10月時刻表

新幹線開業後直後は、特急は全員新幹線に移行するが、急行利用者はさほど転移しないだろうと予測して、多くの夜行列車なども残されました。

実際には、新幹線への転移が予想以上に多く、昭和40年の改正で、在来線急行列車は大なたを振るわれることになります。

なお、新幹線開業後は那智は併結相手を南紀観光団体専用列車に求めることとなりました。

余談ですが、伊勢・那智は、昭和39年の新幹線開業で、下記のように運用となりました。

下り列車 那智+南紀観光団体専用列車 大和+伊勢

上り列車 那智+伊勢 大和+南紀観光団体専用列車

更に脱線を許してもらえば、この時の南紀観光団体専用列車では、京都には入らず、奈良から関西線で東京に帰るルートとなっていますが、翌年には不評だったのか、再び京都で1泊するコースに変更されています。

「うしお」は、時間も変更なく、紀勢東線の夜行準急列車として活躍することになります。

さらに、昭和40年10月の改正では、再び那智の併結相手が変更され、伊勢・那智のコンビニなります。

「うしお」は、到着時間は殆ど変わらないものの、出発が10分遅くなり、23:20発になっています。

続く

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