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第四章 JR体制への移行と国労の闘い
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第三節 JR内労働運動の動向
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┌────────────┐
├○一 国鉄労働組合の分裂│
└────────────┘
総評2月臨時大会での論議と総評の「決断」
他方、国鉄当局による採用者候補名簿の作成がすすめられ、4月1日の国鉄分割・民営化へむけた準備が政府の側で展開されているなか、2月4日から開かれた総評第76回臨時大会(九段会館)において、黒川総評議長は冒頭挨拶で国労の分裂問題にふれ、「国労自身の責任であるとの態度で相談がれば総評の方針で指導するが、すすんで調整する意思はない」と述べ、さらに「(国労と鉄産労の)両当事者間が〝もはや決定的離婚"との認識でも、新事業体のもとで総評ブロックの組織が主導権を確保するためにも比例最大組合として存在できるよう双方の努力を要請」した。さらに87春闘方針を提案した真柄総評事務局長は国労問題にふれ、「国労に現に起きている組織的混乱は大枠として総評労働運動の中の内部矛盾とうけとめ、今後も対応策を求めていきたい、だが組織の問題はすぐれて当該単産自身の問題である」と述べた。
ついで質疑討論のなかで、国労代議員は国労の組織問題について現状を報告するとともに、要旨次のように質した。
「国労内で一部幹部が鉄産労を結成し、労使共同宣言路線への屈服と分裂工作に走り、組織的困難に直面している。別組織を結成した諸君は総評・社会党の路線を守ると言っているが、共同宣言は総評路線を逸脱するものだ。この分裂行動に、総評の一部の人が加担しているのではないかという世評が伝えられている。総評が、闘争のさなかにある加盟組織に介入し、組織を弱め、雇用不安を助長するような行為があってはならない。事実なら、総評の綱領と伝統をいちじるしく傷つけることになると深く憂慮する。」
この質疑に対し、真柄事務局長は「総評ブロックの内部矛盾から不団結が起きた、議長挨拶での見解を第一とし、地方でもそうした組織対処をすすめてもらいたい」と答えていた。しかし、後に総評解散後に出版された〝総評40年史"編纂委員会編『総評40年史』(1993年3月刊)には、国労分裂の背景が次のように叙述されている。
「国労臨時大会で敗れた側は、大会代議員のレベルでは少数派であっても組合員レベルではみずからが多数派であることを疑わず、国労内にあっては近い将来の〝奪権"をめざす方向をとっていた。
しかし、国労に失望し不安を抱く組合員の脱退は、臨時大会以後は以前にもましてその数を増やしていた。他に受け皿がないかぎり、国労を脱退した組合員がストレートに改革労協に行ってしまうことは避けられなかった。改革労協はすでに、社会党案ではなく政府案を事実上支持する立場をとっていた。院内での社会党の主張とタイアップできる労働組合の存在が、社会党からつよく求められていた。
加えて〝連合"との関係もあった。このままでは〝連合"に加わる国鉄関係労組は改革労協だけとなり、改革労協の主張がそのまま〝連合"の方針となってしまうおそれが十分にあった。
闘争本部は社会党とともに国労党員協の主力と協議し、国労から分れて別個の産別組織をつくることを決断した。87年2月28日、国労27地方本部のうち25地方本部から約3万5000人の組合員が集まって新たに〝鉄産総連"を結成した。
〝鉄産総連"はまもなく総評に加盟、のちに〝連合"にも、鉄道労連と名を変えた改革労協と並んで加盟した。」
続く
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第四章 JR体制への移行と国労の闘い
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第三節 JR内労働運動の動向
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├○一 国鉄労働組合の分裂│
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総評2月臨時大会での論議と総評の「決断」
他方、国鉄当局による採用者候補名簿の作成がすすめられ、4月1日の国鉄分割・民営化へむけた準備が政府の側で展開されているなか、2月4日から開かれた総評第76回臨時大会(九段会館)において、黒川総評議長は冒頭挨拶で国労の分裂問題にふれ、「国労自身の責任であるとの態度で相談がれば総評の方針で指導するが、すすんで調整する意思はない」と述べ、さらに「(国労と鉄産労の)両当事者間が〝もはや決定的離婚"との認識でも、新事業体のもとで総評ブロックの組織が主導権を確保するためにも比例最大組合として存在できるよう双方の努力を要請」した。さらに87春闘方針を提案した真柄総評事務局長は国労問題にふれ、「国労に現に起きている組織的混乱は大枠として総評労働運動の中の内部矛盾とうけとめ、今後も対応策を求めていきたい、だが組織の問題はすぐれて当該単産自身の問題である」と述べた。
ついで質疑討論のなかで、国労代議員は国労の組織問題について現状を報告するとともに、要旨次のように質した。
「国労内で一部幹部が鉄産労を結成し、労使共同宣言路線への屈服と分裂工作に走り、組織的困難に直面している。別組織を結成した諸君は総評・社会党の路線を守ると言っているが、共同宣言は総評路線を逸脱するものだ。この分裂行動に、総評の一部の人が加担しているのではないかという世評が伝えられている。総評が、闘争のさなかにある加盟組織に介入し、組織を弱め、雇用不安を助長するような行為があってはならない。事実なら、総評の綱領と伝統をいちじるしく傷つけることになると深く憂慮する。」
この質疑に対し、真柄事務局長は「総評ブロックの内部矛盾から不団結が起きた、議長挨拶での見解を第一とし、地方でもそうした組織対処をすすめてもらいたい」と答えていた。しかし、後に総評解散後に出版された〝総評40年史"編纂委員会編『総評40年史』(1993年3月刊)には、国労分裂の背景が次のように叙述されている。
「国労臨時大会で敗れた側は、大会代議員のレベルでは少数派であっても組合員レベルではみずからが多数派であることを疑わず、国労内にあっては近い将来の〝奪権"をめざす方向をとっていた。
しかし、国労に失望し不安を抱く組合員の脱退は、臨時大会以後は以前にもましてその数を増やしていた。他に受け皿がないかぎり、国労を脱退した組合員がストレートに改革労協に行ってしまうことは避けられなかった。改革労協はすでに、社会党案ではなく政府案を事実上支持する立場をとっていた。院内での社会党の主張とタイアップできる労働組合の存在が、社会党からつよく求められていた。
加えて〝連合"との関係もあった。このままでは〝連合"に加わる国鉄関係労組は改革労協だけとなり、改革労協の主張がそのまま〝連合"の方針となってしまうおそれが十分にあった。
闘争本部は社会党とともに国労党員協の主力と協議し、国労から分れて別個の産別組織をつくることを決断した。87年2月28日、国労27地方本部のうち25地方本部から約3万5000人の組合員が集まって新たに〝鉄産総連"を結成した。
〝鉄産総連"はまもなく総評に加盟、のちに〝連合"にも、鉄道労連と名を変えた改革労協と並んで加盟した。」
続く
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