国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国鉄労働組合史 301

2011-10-25 23:00:34 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第七節 要求の多数派から組織の多数派へ
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 国鉄の「分割・民営化」策をテコとした手段を選ばぬ〝国労つぶし"攻撃は、たしかに20万国労組織( 組織率90% ) を三年足らずの間に4万余組織( 同20%強) に小さくすることはできた。しかし、その過程で「労使共同宣言」を拒否して闘いつづけた路線は、国鉄労働組合員として苦難の選択ではあったが自らと周囲に恥じるところなく、労働者として誇りある大道であった。職場で管理者に媚びる必要もなく、法と正義にもとづいた主張と要求は職場で組織の違いを越えて支持され、まさに要求の多数派を任ずることができた。
 しかし、要求の多数派をいつまでも旗印としている訳にはいかない。要求の実現は、何よりも多数の労働者の力に依拠して闘いとることが労働組合運動の常道だからである。「国鉄闘争の勝利、JR職場の労働条件の改善・向上と権利の確立は、組織の強化・拡大の取り組みと表裏一体、密接不可分である」( 国労94年度運動方針) 。毎年の運動方針で「組織の強化・拡大」が強調される所以である。
 すでに10年以上におよぶ国鉄「分割・民営化」反対闘争の過程で国労は、1989( 平成元) 年6月17日開催の第53回臨時全国大会( 日本教育会館) において「全面解決要求」を具体的に明らかにし( 第四章第七節参照) 、その実現をめざして闘いを展開してきた。そして、94年12月には、全面解決要求の柱の一つであった202億円損害賠償請求訴訟の取り下げを実現した。その直後に開催された95年1月25日の第166回拡大中央委員会( 国労会館) でも全面解決要求を再確認し、同年7月27・28日開催の第60回定期全国大会( 東京. 九段会館) においても「解雇撤回・JR復帰、不当労働行為の根絶、全面一括解決の実現をめざす闘い」の方針を決定した。
 1996( 平成8) 年1月26日に開かれた第167回拡大中央委員会( 国労会館) では、202億損賠取り下げと同時に和解となっていた国労会館移転の問題についても、新しい会館建設予定地( 東京都港区新橋) が決まり、地上7階地下1階( 全体で約870〇坪) の会館建設着工計画が明らかにされた。
 この拡大中央委員会で本部委員長は冒頭挨拶で、当面する闘争の諸課題を概観するとともに、国労運動50年の歴史を総括しつつ次のように述べた。
 
続く

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