> また、この事故を契機にATS-Pの開発がすすめられ1976(昭和51)年から実用化試験が関西線で行われていたようで運転席の後ろに大型の制御装置を増設して走っていた記憶があります。
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> もう少しこのお話続きます。
皆さまこんばんは、少し間が開いてしまいましたが。
引続き、関西線のお話をさせていただこうと思います。
この事故に関しては、運転士は非常に優秀な方だったようですが、体調不良による錯誤で快速電車と勘違いして速度超過して通過しようとしたことに問題があったと言うことになると思うのですが、人と言うのはミスをする者であると言うことから、こうしたヒューマンエラーを少しでもフォローすることが重要ということで、新型ATSの開発が最重要課題として進められることとなりました。
ATSに関しては、大正10年頃から研究開発が行なわれており、戦前には既に速度照査式のATSが完成していたと言われていますが、戦争突入により有耶無耶となってしまったと言われています。
戦後は、昭和29年京浜東北線・山手線に初めて「車内警報装置」が実施され、これが後のATSの基礎となりました。警報装置とあるように、信号が赤の場合などに警報を発するもので停止機能や速度を制御する機能は持っていませんでした。
当時は、東海道山陽本線など主要幹線信号区間には、連続誘導式のA形車内警報装置がさらに、東京及び大阪の国電区間にはレールに流れる信号電流が遮断されることで作動するB型、さらに地上子方式のC形(後のS形)が使用されていたと聞いています。
昭和37年5月に信号冒進が原因で起こった「三河島事故」を起因として国鉄ではATSを整備することが決められ、昭和41 年4月までに、「車内警報装置」に停止制御機能を付加したATSが整備され、国鉄全線で使用開始されましたが、元々は車内警報装置に停止機能を加えただけのもので、信号冒進を防ぐにはある程度効果はありましたが、速度を連続的に制御できると言った機能は持っていませんでした。
昭和41年に国鉄がATSを導入したのち、運輸省は各大手私鉄に対してATSの導入を通達しますがこの時の通達では国鉄のATSに準ずるものではなく、速度照査機能などを持たせたものであり、私鉄のATSはその点で進んでいたのですが。国鉄はその後も古いATSのままで推移、昭和49年からは新しいATSの開発を関西線で始めようとした矢先に、前回お話した平野駅での脱線事故が起こってしまい。曲線区間などにおける速度制限についても考える必要が出てきたと言われています。
当初関西線で導入して検証実験されたATSはアナログ多変周式のATS-Pが試験導入されたと書かれています。
結局昭和57年頃には実用化したいと言っていた新型ATS-Pは国鉄財政の問題もあったのか、初めて採用されたのがJR化後の昭和63年京葉線の一部路線の開業まで待つしかなかったと言われています。
関西線のお話をするつもりが…ATSのお話だけで終わってしまいましたね。
ということで、もう少しだけJR化になる手前まで引っ張ってしまいそうです。(^^♪
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> もう少しこのお話続きます。
皆さまこんばんは、少し間が開いてしまいましたが。
引続き、関西線のお話をさせていただこうと思います。
この事故に関しては、運転士は非常に優秀な方だったようですが、体調不良による錯誤で快速電車と勘違いして速度超過して通過しようとしたことに問題があったと言うことになると思うのですが、人と言うのはミスをする者であると言うことから、こうしたヒューマンエラーを少しでもフォローすることが重要ということで、新型ATSの開発が最重要課題として進められることとなりました。
ATSに関しては、大正10年頃から研究開発が行なわれており、戦前には既に速度照査式のATSが完成していたと言われていますが、戦争突入により有耶無耶となってしまったと言われています。
戦後は、昭和29年京浜東北線・山手線に初めて「車内警報装置」が実施され、これが後のATSの基礎となりました。警報装置とあるように、信号が赤の場合などに警報を発するもので停止機能や速度を制御する機能は持っていませんでした。
当時は、東海道山陽本線など主要幹線信号区間には、連続誘導式のA形車内警報装置がさらに、東京及び大阪の国電区間にはレールに流れる信号電流が遮断されることで作動するB型、さらに地上子方式のC形(後のS形)が使用されていたと聞いています。
昭和37年5月に信号冒進が原因で起こった「三河島事故」を起因として国鉄ではATSを整備することが決められ、昭和41 年4月までに、「車内警報装置」に停止制御機能を付加したATSが整備され、国鉄全線で使用開始されましたが、元々は車内警報装置に停止機能を加えただけのもので、信号冒進を防ぐにはある程度効果はありましたが、速度を連続的に制御できると言った機能は持っていませんでした。
昭和41年に国鉄がATSを導入したのち、運輸省は各大手私鉄に対してATSの導入を通達しますがこの時の通達では国鉄のATSに準ずるものではなく、速度照査機能などを持たせたものであり、私鉄のATSはその点で進んでいたのですが。国鉄はその後も古いATSのままで推移、昭和49年からは新しいATSの開発を関西線で始めようとした矢先に、前回お話した平野駅での脱線事故が起こってしまい。曲線区間などにおける速度制限についても考える必要が出てきたと言われています。
当初関西線で導入して検証実験されたATSはアナログ多変周式のATS-Pが試験導入されたと書かれています。
結局昭和57年頃には実用化したいと言っていた新型ATS-Pは国鉄財政の問題もあったのか、初めて採用されたのがJR化後の昭和63年京葉線の一部路線の開業まで待つしかなかったと言われています。
関西線のお話をするつもりが…ATSのお話だけで終わってしまいましたね。
ということで、もう少しだけJR化になる手前まで引っ張ってしまいそうです。(^^♪
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