東海道新幹線は、開業当初は「超特急ひかり号」が4時間運転、「特急こだま号」が5時間で運転されていて、翌年にはスピードアップされてひかり号は3時間10分運転、こだま号は4時間で運転されることになりましたが、昭和40年10月から運転開始したと思っている方も多いのではないでしょうか。
私も迂闊にもそう思い込んでいたのですが、実は昭和40年11月1日だったのです。
ただし、在来線のダイヤは10月1日に実施されることになりました。)
元々は、在来線のダイヤ改正に合わせて10月からの準備をしていたそうなのですが、6月の梅雨時に集中豪雨で被害を受けたこと、9月の台風シーズンを考慮して、約1ヶ月ずらせることで、より安全な方式を取ることにしたそうです。
東海道新幹線は、その後に作られる山陽新幹線などと異なり盛り土の区間が多いこともその理由とされました。
特に9月の台風などで路盤が緩んでしまうと10月の時刻改正からいきなり徐行、徐行となってダイヤが乱れることになるので、それを嫌って敢えて1か月間猶予を得ることでリスクを避けたと言われています。
実際に9月17日に24号台風が来てこともあり、最終的に後ろにずらせたのは良かったとも回想されています。
新幹線の速度向上は、利用者にしてみれば同じ発車時間であれば1本早い列車に乗車することが出来るため、大きな混乱はなかったと言われています。
参考資料として、当時の時刻表もご覧くださいませ。
比較のためにまず、開業当初の昭和39年10月の時刻表を見ていただきましょう。
最初は、昭和39年10月の開業時の時刻表になります。東海道新幹線と言う名称はなく、単に新幹線と呼ばれていました。
1時間に1本、それもご丁寧に正午の出発はないと言うダイヤでした。
判りにくいのですが、11時発の後は13時発になっています。
そして、昭和40年10月の改正
表紙が「つばめ号」(151系)になっているのですが、この改正でつばめは481系に置き換わるのですが、行き交う車両はいずれも151系です。
改めて表紙を見て思ったんですけどね。
昭和40年の時刻表では、「特急 第1しおかぜ」が新設されていますが、これは、新幹線とは接続されていません。
こうしてみると。見事に4時間運転となっています。
昭和40年11月の時刻表を持っていませんので、昭和41年1月号の時刻表を改めて参照しますと
東京から大阪間は3時間10分となっており、若干の増発もされているようです。
無事、「特急 第1しおかぜ」が新幹線連絡特急としての機能を果たすことになりました。
ユニークなのは、名古屋駅で「特急あすか」に接続と言うところでしょうか。
「特急あすか」大阪を経由しないため利用者が低迷して特急で戦争による理由以外で最初に廃止になった特急でもありました。
当初は、食堂も営業していたのですが、やがて食堂営業も休止となり車両の有効活用を図った結果が赤字を増やす原因になってしまったと言う結果になりました。
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国鉄があった時代 JNR-era
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