昭和31年の改正で2往復となった紀勢夜行ですが、未だ紀勢本線は全通しておらず、昭和34年7月15日に、三木里駅~ 新鹿駅間が開通して紀勢本線として、和歌山市~亀山間が繋がりました。
さて、この改正号を持っていないので、昭和35年3月号を参照しますと、天王寺23:00に出発する列車は、準急「はやたま」となっています。
そこで、その間を埋めるべく、昭和33年11月号の時刻表を参照しますと、昭和31年の時刻表と同じく2往復とも普通列車の扱いになっています。
そして、昭和35年3月のダイヤを見てみますと、23:00前後に出発する普通列車は、準急に格上げされ、「はやたま」を名乗っています。
準急「はやたま」が誕生、普通列車は912列車と列車番号を変更、新宮で南海電車乗入れの客車を切り離すことになっていますが、寝台車は未だに連結されていません。
さらに、もう少し進んで昭和36年3月の時刻表を見てみましょう。
昭和36年3月の時刻改正では、愛称が再び変更されており、準急列車であることに変わりはないのですが、「はやたま」→「南紀3号」と変更になり、気動車化されています。
ちなみに、南紀1号は、天王寺8:30発、新宮着 11:31 南紀2号は、天王寺16:40発、新宮着21:46でした。
なお、当時は急行列車は設定されておらず、「くろしお」も準急の列車名でした。
そして、昭和36年は10月に再びダイヤ改正が行われるのですが、それは次回に致しましょう。
続く
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ちなみに、南紀1号は、天王寺8:30発、新宮着 11:31 南紀2号は、天王寺16:40発、新宮着21:46でした。
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