国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

特急はつひ号運転

2018-01-01 05:35:10 | 国鉄思いで夜話
あけましておめでとうございます。
新しい年の始まりでございます。

私は昨日22:00が仕事納め、今日は7:00から仕事始めでございます。
昨年は、職場で新年を迎えましたし、ここ数年は大晦日なり正月という概念がございません。苦笑

まぁ、お正月だからと言っても関係なく働いておられる方も多数おられるわけですからいたずらに頑張っているだろうと言うつもりはありません。
本日は、お正月らしい話題として1本アップさせていただこうと思います。

伊勢神宮に参拝される方も多く、夫婦岩で有名な二見浦に参拝される方も多いのではないでしょうか。
二見浦はJRで行って二見浦駅から歩くのが一般的でしたが、最近は直接バスで乗りいれてしまう場合が多く、駅前商店街なども寂れてしまっています。
しかし、今から50年前、1968年1月1日に実は、特急列車が運転されたのです。
幣サイト、国鉄があった時代を参照していただきますと、「臨時特急はつひ」が運転されたと書かれています。

臨時特急「はつひ」運転される。1/1

臨時特急「はつひ」は岐阜~伊勢市間(上りは二見浦)間に運転された。
「あすか」廃止により、南紀特急「くろしお」が、名古屋停泊になったことによる間合い運用で運転した列車である。

昭和43年前半 鉄道ニュース

ここに書かれていますように、元々「特急くろしお」は名古屋到着後、そのまま「あすか」として運転して当時の所属区であった和歌山に戻す運用が組まれていました。
ただし、和歌山駅、当時は東和歌山7:00発、和歌山到着22:00は余りにも遅すぎるうえ、天王寺駅に入らない。(阪和貨物線経由ですので、阪和線内は堺市に停車)運用でしたので名古屋~大阪間の需要も拾えず、連日回送列車を走らせているようなものでした。
結局、「あすか」は廃止となり、名古屋停泊の運用が組まれたのですが、その停泊中の間合いを使って運転されたそうで、私も手元に時刻表が無いので正確な時間がわからないのですが、終夜運転に近かったような気がします。
ご存じの方おられましたら是非ご教示願います。

国鉄としては、臨時列車としてその後も運転できることを期待したようですが結局この年のみであり、その後は運転されることはありませんでした。

歴史にIFはありませんが、戦前同様に国鉄が参宮線の輸送に力を入れて居たら・・・とか、鳥羽から賢島までの区間が近鉄ではなく国鉄が国有化していたら・・・また違った世界が展開していたような気がします。

余談ですが、元々鳥羽から賢島間は、元々三重交通の区間であり、国鉄買収を意識して狭軌で建設されていました。

50年前のきょう、運転された、臨時特急のお話でした。

画像は、wikipediaから参照した、現在の快速みえ号

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