国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国鉄労働組合史 214

2011-06-28 10:00:00 | 国鉄労働組合史
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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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第四節 国労組織の再編問題
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 第二臨調=行革路線のもとですすめられた国鉄の分割・民営化は、財政破綻におちいっている国鉄の再建策として打ち出された国家的施策であったが、この国鉄分割・民営化策が日本の戦闘的労働組合運動の代表格と目された国鉄労働組合を変質あるいは壊滅させるためのきわめて意図的な施策であったことは多く語られているし、また間違いない。したがって、この間の〝国労つぶし?策は、やがて「国家的不当労働行為」と摘発されたたように政府・国鉄当局一体となった手段を選ばぬ組織攻撃であた。国労は、この組織攻撃を要約して、次のように指摘した。
  「国労つぶし攻撃は、1970年代を通じて独占資本が経験し成功したあらゆる方法を駆使して国労の壊滅をはかろうとするものであった。その攻撃は5年有余に及んだ。それは、マスコミの異常な『ヤミ・カラ・ポカ』キャンペーンに始まり、国鉄赤字の責任を国鉄労働者に押しつける国労孤立化の謀略を前哨戦として開始された。それに続いて、

 ①現場協議協定の一方的破棄、
 ②労働者と労働組合の権利ハク奪と『命令と服従』の職場づくり、
 ③昇給・昇格・諸手当、昇職の差別、
 ④解雇を含む大量の不当処分、
 ⑤雇用安定協約と配転協定の一方的破棄、
 ⑥他組合との『労使共同宣言』締結、
 ⑦職員管理調書の作成、
 ⑧『人活センター』への活動家の隔離と〝みせしめ?労働、
 ⑨『企業人教育』、
 ⑩インフォーマル組織を活用した国労脱退強要、
 ⑪3000にのぼるTQCサークルの育成、
 ⑫新会社採用をめぐる差別・選別、
 ⑬配属での差別、
 ⑭配転・出向による国労組合員の排除、
 ⑮労使関係での国労差別と無視、
 ⑯直接的な支配介入としての組織分裂……等々、

まさに息つく暇もない矢継ぎばやの攻撃であった。」(1987年度運動方針より) 国労はこの国鉄分割・民営化攻撃の中で、なによりも組合員の雇用と労働条件を守る闘い、そして結成以来40年にわたって培ってきた組織を守る闘いを避けるわけにはいかなかった。この時期の国労の組織方針の確立は、国鉄分割・民営化の過程で組合員の雇用と労働条件を守り、そして分裂攻撃にどう対処するかということであった。

一 国鉄分割・民営化と国労の組織方針

 1986(昭和61)年に入ると政府の国鉄分割・民営化法案が閣議決定され(2月28日)国鉄分割・民営化策の具体的中身が姿を現わし、春から夏にかけては新法にもとづく第一次希望退職者の募集もはじまり、国労組合員をねらい打ちにした人材活用センターへの選別的配置もすすめられていた。7月22日から開かれた国労第49回定期全国大会(千葉)は、その直前の衆参同日選挙(7月6日)における自民党圧勝、社会党惨敗というきびしい結果をうけて、また国鉄当局からだけでなく「労使共同宣言」路線に方針転換した動労、鉄労などからの組織切り崩し攻撃に直面しているなかでの全国大会となった。(前述、第3章)

続く

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