国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

寝台特急 さくら 物語

2008-04-10 01:31:55 | 国鉄思いで夜話
皆さん、こんばんは。

いつもの深夜便が到着しました、前回は583系寝台電車の話題が続きましたが、今回は再び夜行列車のお話などさせてもらおうと思います。

桜舞い散るこの季節、春を感じる此の頃ですが、日本人にとって桜ほど愛されている花はないでしょうね。

お年寄りから、小さなお子様まで桜の花を楽しみそして散り行く時を惜しむ

そんな桜ですが、鉄道の世界にあっても桜は散ってしまいましたが、今日から3回に分けて20系時代からの桜のお話などをしてみたいと思います。

「さくら」という列車自体は戦前から運転されており【当時は櫻と漢字で書いていたが】ブルートレインの仲間入りを果たすのは意外と遅く、昭和34年でした。

それまで、「平和」と名乗っていた列車が「さくら」に名称を変更のうえ、20系客車に衣替えした誕生しました。

この時製造された、電源車は客車の天井に二機のパンタグラフを持つ特殊な客車で、カニ22と名乗っていました。
この客車、いわばハイブリッドカーで、直流の電化区間では電動発電機【MG】で発電、非電化区間及び交流区間では従来どおりディーデル発電による給電が行なわれていました。

ただし、ディーデルエンジン+発電機にさらに電動発電機まで持たせてあるのでそれはもうパンパン機関車を1両繋いでいるのと同じ重量(59t)があり、当初は桜に使われていましたが、その後比較的線路状態の良い熊本系統(はやぶさ)に使われたりしていたようです。

さらに、この客車を牽引するにあたり、当時のEF58形機関車には、カニ22の車掌と話すための専用電話と非常時にパンタグラフを下げるためのスイッチが設置され、非常時には機関士の判断でパンタグラフを下げることが出来るようになっていました。

でも、余りにも重い客車でさらに荷物室が小さいという理由から製造は6両にとどまった他比較的早い時期にMG及びパンタグラフを撤去して一般の電源車と同じように扱われたりしたものでした。

さて、「さくら」として運転を開始したこの列車の特徴は行き先が、長崎・佐世保と二つに分離されるため、寝台特急さくらには、途中で分割併合できるように元祖食パン?とも言えそうな座席車も存在しました。

ああ、。もっと書きたいけどこんな時間
明日というか、今日は朝が早いのでもう寝ますね。

みなさん、夢の世界でまた会いましょう。

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