国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国鉄時代の思い出、番外編 黒猫 旅に出る 第10話

2010-02-20 12:50:29 | 国鉄思いで夜話
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みなさま、こんにちは。

本日と明日は完全オフ、ただし一軒だけ午後から訪問してみようと思っています。

昨日のblogへのアクセス件数が「閲覧数:708PV 訪問者数:195IP」ということ沢山の方に訪問いただけました。
本当に皆様のおかげと心より感謝しております。

websiteの「国鉄があった時代」のほうも、年表部分を中心にこまめですが更新しています。

特に最近力を入ている部分が鉄道ではなくて、世相。それも法令・省令等の見出しを入力しています。

ただし、こう言った制定法令等を時系列的に見ていくと面白いことが見えてくるものですね。
ついでに、当時の世相のところも改めて読みなおすわけですから結構時間旅行入っています。苦笑

このblog書く際も当時のことを振り返るのに結構自分のサイト役に立っていますとこっそり宣伝しておきます。笑

国鉄があった時代

さて、そんな与太話はともかく、その後黒猫はどうなったのでしょうか?

> 痴漢が去ったあとも、恐怖とショックで中々寝付けずいつまでも流れる車窓を、車掌を恨みながら?眺めていたのでした。

結局、車掌は東京につくまで会うことは無かったように思います。
さて、東京駅への到着は早朝の4時40分頃、晩年の「ながら」は40分ほど到着時刻が遅くなったようですが、当時は結構早い時刻に到着するため山手線も始発にという始末

その後の行程はと言うと記憶が混乱しているのですが、東京から軽井沢を抜けて長野までいくのですが、東京で停泊した記憶もあるのですがそれが長野にいく前だったのか後だったのかが記憶として混乱しているんですよね。

時間灯を考えれば、おそらくそのまま上野に出て信越線経由の急行信州に乗ったのだと思います。

昭和50年代の鉄道は、こくてう労働者にとっては天国?管理者には地獄と言った「マル生」後遺症が蔓延している頃で職場は大幅に荒れていました。

線路の保守も十分にできない状態の箇所も多く、阪和線などは脱線するのではないかと思わせるような素晴らしい乗り心地?でしたが、流石に天下の東北本線はそういったこともなく、ロングレールは快適な乗り心地を提供してくれました。

上野から高崎、関西に住んでいると距離感がつかみにくいのですが100km近くあるんですよね。

ということは、大阪からなら姫路を越えて上郡付近まで行ってしまうくらいの距離なんですね。

ちょっと驚き。

ということで、長野に向けて旅立った黒猫は、初めて見る関東平野に驚かされます。

だって、「山が遠くに見える」ということに驚いたのです。

こんなに遠くに山が見える、それに海が見えない・・・

和歌山では、山のすぐ横が海というか、海側から車で30分も走れば山の中ですからね。
線路から山が遠くに見える景色に感動していたのですね。

お馬鹿ですよね、子供ですよね。ということで、多少の寝不足はなんのその。
車窓にぴったりと張り付いたヤモリよろしく窓に張り付いて多くの他の乗客に迷惑をかけたことは言うまでもない・・・・なんて冗談よ。♪(ジューシーフルーツ渚のベンチシート風に)

でも、本当に黒猫をワクワクさせるのは高崎を過ぎてからなのですがこの話はまた夜にでも。

ということで、今回は80年代を代表するグループの一つ

ジューシーフルーツでお楽しみください。




なみだ涙のカフェテラス / ジューシィ・フルーツ

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