国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

紀勢本線を走った夜行列車のお話 第14話

2019-03-18 20:56:44 | 国鉄思いで夜話
すみません、中々更新出来ないままでした。
今回は、昭和54年の時刻表から、紀勢本線の変遷を見ていきたいと思います。
タイトルは夜行列車となっていますが。
まぁ、昼行列車も併せて語って参りますので、しばしお付き合いくださいませ。

今回手元の用意したのは、2月号と11月号で肝心の夏シーズンが手元にありません。
当然のことながら、夜行列車に関しては「はやたま」と「きのくに」のみとなっています。
急行と特急が30分おきに南紀方面に下る優等列車の設定

急行が走っているため、特急は和歌山・御坊・紀伊田辺・白浜と言うことで主要駅のみ停車となっており、現在の特急のように、海南や箕島、湯浅には停車していません。

「はやたま」は、かつての南紀号で、新宮迄紀勢本線が電化開業した、昭和53年10月、「くろしお」は天王寺~新宮間を走る列車として統合され、紀伊勝浦~名古屋間には、特急南紀号が三往復運転されることになりました。

早朝の南紀2号が、6:28、南紀4号は10:44にそれぞれ、紀伊勝浦を出発しています。南紀6号は16:10発となっており、昭和53年改正前の時刻表を参照しますと、6:28は急行紀州の格上げのように見えますが、残り二往復は純粋の増発列車であることが判ります。
対東京で存在感を示した、特急紀伊

また、寝台特急紀伊ですが、昭和53年10月の改正で、「いなば」が廃止になり「出雲」に統合されることになりますが、相変わらず14系三段寝台の付属編成であり、格下感は否めませんが、東京から乗り換えなしで、これることから一定の需要はあったものと思われます。

更に、この頃は高速道路が海南までしか開通していませんので、南紀方面は国鉄の独壇場であり、朝8:00~17:00まで途中12:00と16:00を除き一時間おきに特急が発車し、その合間を縫うように急行列車が臨時列車も含めて30分おきに天王寺の地平ホーム1番・2番線から出発しています。


特急は381系電車が新車で投入されたにもかかわらず、急行は引き続きキハ28・58が「急行きのくに」で残りましした。


昭和54年11月の時刻表、「きのくに」が気動車で残ったのは、特急への転移を見極めたかったことと、特急への誘導等が有ったかと思います。
後は、私の父に生前聞いた話ですが、和歌山機関区を電車区にと言う話もあったようですが、どうも反対などがあってそのまま残ったようです、この辺の詳細は今後もう少し資料があれば探してみたいと思いますが、資料等お持ちの方おられましたら是非ご教示いただければ幸いです。


これは、既存の基地が有ったことと、当時は急行を極力特急に置き換える【実質的に値上げになる】事を行っており、利用者の動向を探ると言ったこともあったようです。
実際、昭和55年の改正では急行三往復が特急に置き換えられるのですが、その辺は改めて次回の書かせていただきます。

にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄へにほんブログ村 にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄へにほんブログ村




********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール
またはメッセージ、コメントにて
お待ちしております。

国鉄があった時代 JNR-era
********************************************************

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 紀勢本線を走った夜行列車の... | トップ | 新しいblogを別途開設しました。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

国鉄思いで夜話」カテゴリの最新記事