調子に乗って、第3夜です、今夜も戯言にお付き合いください。
夜行急行のプリンスとしての、銀河。
今夜は、昭和51年20系客車に衣替えしてからのお話です。
なお、黒猫次点では国鉄時代は異様に詳しいのですがJRになってからは思考力が停止しているので、JR以降のお話は皆様のご意見などもお聞きしながらの編集になるかと思います。(^^ゞ
さて、昨日のお話で昭和50年の改正後も、元特急用の普通車が連結されていたというお話をしましたが、銀河に使われていた客車は平均年齢20歳であり、人間であればこれから青春でしょうが、車両の年齢としてはそろそろ引退を迎える年代でした。
余談ですが、JR西になってから、どういうわけか車両の寿命が異様に延びて、40年以上使われている、人間で言えば80歳現役・・・みたいな車両が走っているのですがこれって。・・・・素晴らしいですよね、感動した。【小泉元首相風】
そんな無駄話はともかくとして、銀河は昭和51年3月のダイヤ改正でいきなり20系寝台車に衣替えしたのです。
実は、特急「つるぎ」【20系客車で運転】を二段寝台の24系25形で置換えた際に、余剰となった車両をそのまま「急行銀河」に転用したことが始まりでした。
「つるぎ」も「銀河」も同じ宮原の所属だったので、移行はスムーズに行なわれたそうです。
20系に衣替えした銀河ですが、当初から「銀河」のマークが入っていたわけではありませんでした。
当時の国鉄は、急行と特急を厳格に分けており、急行運用につく銀河は、最後尾は無地のままでした。
ヘッドマークもなく、テールサインも無地ですので回送列車かと間違ってカメラを向けなかった人も多数合ったとかなかったとか、真意の程は知りませんが。
あまり、ファンには評判は良くなかったようです。
さらに、晩年は急行客車が特急と同じスタイルでは困るということで、屋根付近にまかれていた細帯も工場入場時に消されてしまい、最後尾の客車ではおでこが異常に目立つような不細工な車両がたくさん出現しました。
ちなみに、当時の線を消された最後尾の車両は「海坊主」とファンの間では呼ばれていました。
しかし、利用者にしてみれば特急車両に急行料金で乗れるわけですからサービスアップと思ったのではないでしょうか。
というのは、急行に使われていた寝台車は、途中から冷房工事をしたため、天井付近に大きなクーラーが出っ張っており、上段はかなり窮屈な思いをしなければならなかったのに対し、元から冷房装置を配慮して設計された20系では天井も高くて快適な空間が提供されていたのです。ベッド幅が52cmと狭いことを除けば。
そして、もう一つ特筆すべきは、牽引する機関車が限定されなくなったことでした。
今までは、P形もしくはP形改造を受けた車両だけという制約があったのですが、これらの制約がなくなり一般のEF58などが充当されました。
ただし、EF58では直通管を装備していない車両もあるので、荷物室に空気圧縮機を設置して機関車運用の制約を無くす必要がありました。
一つは、寝台特急は、昭和43年改正でスピードアップが図られ最高速度110km/hだったのに対し、急行は95km/hと、これまた最高速度に差をつけていたことが原因と思われます。
編成は、つるぎ時代と同じ編成が充当されたため。座席車は四国にわたり晩年は普通列車に充当されるなど豊かな老後それなりにエンジョイされたみたいです。 ?
うーん、この辺はリアルに見てきただけにあれも書きたい、これも書きたいといろいろな事が浮かんでくるので、明日改めて20系時代の銀河についてもう少し書いて見たいと思います、ということで、今日はこれでお終い。
おやすみなさい。
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