国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

寝台急行 銀河物語 第四夜

2008-03-19 00:35:49 | 国鉄思いで夜話
皆さん、こんばんは。

本日も、深夜の定期便です。

昨日は、20系客車が格下げされて銀河に初めて使われたところまでお話をさせていただいたと思いますが、本日はその続きです。

いい加減飽きたといわずにもう少しお付き合いください、次回は「はくつる」物語を企画していますので。

さて、昨日機関車にP形改造といった言葉が出ていましたが、20系客車では台車の空気ばねで使う圧搾空気を元空気ダメ管から供給を受けていたため、機関車さえ限定で運用すれば問題はなかったのですが、急行では機関車を限定しないで運用するため、圧搾空気を供給することが出来なくなってしまいました。
 そこで、特急時代に荷物室として使っていたスペースに空気圧縮機を搭載して機関車を選ばなくても運用できるようにしたのです。
 これに伴い、形式も蟹(カニ)→蚊帳(カヤ)に変更され、蟹は蚊帳の外に放り出されてしまいました。

20系の格下げ使用は銀河を皮切りに始りましたが、東では、51年9月27日から「急行 天の川」が20系で運転を開始、ここまではオール寝台列車だったのですが、53年頃に置換えられた「急行だいせん」では、座席車を設ける必要が生じました。
 このときの車両は、余剰となっていたナロネ21(A寝台)の座席をそのままに、喫煙室を客室に改造するなど大掛かりな工事を行なって普通車座席に改造した車両で、天井が異様に高くてヨーロッパ風のイメージで好ましい車両ではありましたが、座席幅が若干狭かったことと、28人定員の車両に80人近くを押し込める改造を行なったため、混雑時は換気が追いつかず、息苦しかったことなどが思い出されますね。
 でも、これは銀河の話とは直接、そんなのカンケイネェ・・・わけで。

つまらん戯言と聞き流してください。

さて、話題を「銀河」に戻しますと、銀河は当初は「急行」の文字だけが入った味気ないものでありましたが昭和55年7月からヘッドマークが絵入りに改められて、現在に通じるマークの原型ができたといえます。
 20系客車で、絵入りのマークをつけたのは銀河が唯一ではなかったでしょうか。

なお、銀河を牽引していたEF58形は昭和55年10月にはEF65形1000番台に変更、昭和60年3月には14系客車に置換えられ、これまた、夜行急行に20系+12系客車の組み合わせなどがあった頃に、一足先に置換えられたのです。

また、14系の置換えられた「銀河」は、国鉄最後の改正といわれた、昭和61年10月のダイヤ改正で、24系25形【二段寝台車】に置換えられ、いつも急行列車ではありながら最高の扱いを受けていたことが伺えます。
 4回にわたって、書き込ませていただきました、銀河物語ですが、終着駅が近づいてきたようです。
 拙い文章に最後までお付き合いくださり誠にありがとうございました。

明日以降、新しい企画でまた日記を書いて行きたいと思います。m(__)m

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