ランソン・コスタ広場の
噴水の飛沫がわずかにかわせる
ロザリア・ロンバリオの石像の前で
唄っていた女は
ジャスミンと名乗ったが。
本当の名前は別にあり、だがそれも
名の一部に華の字もあったらしく
それらしい響きには違いない
ギターケースには
硬貨や
時には紙幣が投げ込まれ
彼女は歌でその暮らしを賄っていたが
時には嫌なポリ公が
稼ぎが過ぎると横やりを入れに来た
歌には,
ゴヤの山並みに夕陽が落ちる夕べ
涙を流す女もいた、
時には男も。
何に傷つけられたかは分からないが
傷ついたジャスミンは
”夢ででも、逢おうか”って唄っていた
それは
どことなく
心中を
思わせた。
若いジャスミンの路上での歌が終わった頃、
それから彼女の部屋で
一緒に
ワインを5,6杯飲んだ
俺の買ったワインは少々水っぽく
甘ったるかったが
それで 雰囲気は
悪くなかった
彼女は 南米のブランケットを敷いた
ソファーに座りなおし
”たつきはいくつなの?”
と尋ねた
”さあね、生まれたときのことは記憶にないんでね”
とだけ答えたが
35年ウイスキーを飲み続けた,見るからに
酒場のハエの様な面持ちの男だ
早々うかがい知るだろう
”ジャスミンは幾つだい?”
あたしは
16よ
なんてこった
俺は座り直して
タバコの火を消した