■森本美砂さん(山本美保さん妹)からの手紙
11月2日に対策本部で渡された山本美保さんの妹森本美砂さんから鳩山総理に宛てた手紙です。
拉致問題に関しまして、国をあげての取り組みに感謝申し上げます。
お手紙を差し上げる失礼をお許しください。
私は山梨県甲府市に住みます、森本美砂といいます。
25年前にいなくなりました双子の妹、山本美保をずっと捜してまいりました。
姉は25年前の20歳の時、大学受験のため図書館で勉強する日々を送っておりました。失踪当日の昭和59年6月4日、いつものように母に「図書館に行ってくる」と言って50CCのミニバイクで家を出たままいなくなってしまいました。
4日後の6月8日、柏崎市の荒浜海岸に財布と運転免許の入ったセカンドバッグが落ちていると連絡が入り、両親と叔父が新潟に飛び方々捜しましたが、何の手がかりもつかめませんでした。
その後半年経った頃、無言電話が入るようになり、中には「美保ちゃんでしょ、返事して」と呼びかけても一言も声を聞くことができませんでした。今から思うと監禁されて声が出せない状況だったのではないかと思うのです。3年半続いた無言電話もその後なくなり、2002年、有本恵子さんの拉致のニュースに、再度手がかりを求めて新聞社に手紙を書き、姉の状況を伝えたことで少しずついろいろな方からご支援をいただき、拉致が濃厚なのではないかと調べを進めてまいりました。
小泉首相の訪朝を機に姉のことも全国的なニュースとなり、拉致が濃厚な特定失踪者ということで、同級生、恩師、地元の方々のご協力ご支援を受け、署名活動を続けて参りました。
集まった署名は20万以上に上り、何度か政府に提出させていただきました。姉のことだけではなく、全国に470人以上いる特定失踪者全体の調査、真相究明、拉致が濃厚な人の拉致認定をお願いしてまいりました。
その姉に関しまして再捜査で大変お世話になっていました山梨県警より、5年前の平成16年3月5日の発表で、25年前に山形の遊佐町の海岸で発見された一部腐乱した、正しくは頭部白骨化、体は死ろう化、歯が13本抜け落ちた手足の切れた女性のご遺体が姉だと断定されてしまいました。
山形大学に残されていた骨髄の粉末と私の血液とのDNA鑑定の結果、一致したというのが理由でした。
それが真実であるならば、辛い事実であっても受け入れ、姉の供養をしなければいけないと思っておりました。
しかし、発表後に示されたご遺体の特徴や遺留品、体のサイズ、死後の状況などがあまりに違いすぎ、姉を語るものが何一つでてこないのです。
そのためにわかに信じ難い思いでおります。
山梨県警に38年間勤めた父も、当時から身元不明の情報には注意を払っておりました。なので、姉の失踪から17日後(カバンが見つかってから13日後)に発見された山形のご遺体の情報を耳にしたとしましたら、きっと照会をしたのではないかと思われます。
当時は近くでかかった歯科医院に歯のカルテが残されていましたので、別のご遺体2件との照会もそれらにより別人と判明した経緯がありました。
歯のカルテは今はなく、当時山形のご遺体の情報が入って照会したかどうかも、6年前に父が他界し、確かめる術はありません。
DNA鑑定も父の危篤と同時に、双子である私の血液を提供するよう言われ、父が生きていれば、このようなことはなかったのではないかと悔やまれます。
前政権下で拉致問題はその事実が判明し、一部の被害者が帰国を果たし、その全容が見えて参りました。
一方で被害者が十数人にとどまらず、数百人規模になるという見方の中で、国交正常化は特定失踪者を含む全拉致被害者の救出と解決がなさなければあってはならないという前提が国民の合意となりました。
それに心強いと思っておりました矢先の姉のDNA鑑定による死亡発表でした。
当時から山形のご遺体と姉との相違点をいくつも示してきましたが、それらの違いはDNA鑑定を覆す根拠にはならないと受け入れられず、再鑑定の試料が残されず、家族に説明のなかったDNA鑑定とは何なのかと愕然としました。
今年の6月、姉の失踪後25年を契機として、地元の新聞が7回の連載で事の詳細と客観的な疑問を、専門家の意見を背景に載せてくださり、広く県民の方々へ広報することとなりました。それを受けて、県議会への質問、県警本部長の答弁となり、その答弁から、県知事もどちらが真実かははっきりしないという記者会見があり、姉を死亡とした疑問が広く県民をはじめ多くの方々の知るところとなりました。今また新しい政権となり、今まで明らかにされなかった真実が示されるのではないかと一縷の望みを抱いております。
是非とも姉の事案についてDNA鑑定がなされた背景、経緯を調べていただき、私どもにお示しくださるようお願い申し上げます。
6年前無念のうちに他界した父は、生前、姉の救出に向け奔走しました。病気をおして署名を政府に提出しました。その思いがかなわず再会が果たせなかった父に代わり、来年古稀を迎える母には是非とも元気なうちに会わせてあげたいです。
姉は決して死んではいません。生きて救いを待っていると信じています。
権革さんという脱北者の方の証言は姉を言い当てたものでした。姉の失踪から10年後の1994年に平壌で目撃したという内容で、私を見た時に、私と姉の体形の違いを言ってくださり、姉の得意とするところも言い当てました。
政府認定以外の拉致被害者は、まだ数多く存在します。外務省の照会リストに載っております山本美保について引き続き拉致が濃厚な特定失踪者として再認識し、真相究明の調査と脱北者の証言の確認等お力添えくださいますよう切にお願い申し上げます。
横田めぐみさんをはじめ、生存していらっしゃる拉致被害者の方々の一刻も早い救出を実現してくださいますよう重ね重ねお願い申し上げます。拉致問題を最優先課題としてご尽力くださいますよう切に切にお願い申し上げます。
大変ご多忙な国務に際し、お体をおいといくださいますよう心よりお祈り申し上げます。
敬具
平成21年11月2日
特定失踪者山本美保 妹 森本美砂
内閣総理大臣 鳩山由紀夫様