Blue jewel

拉致の解決を願って
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デザイン時々変更。

特定失踪者家族からの手紙 根本直美さん

2009-12-31 | 時流
■根本康夫さん(根本直美さん父)からの手紙


 11月2日に対策本部で渡された根本直美さんの父、根本康夫さんから鳩山総理に宛てた手紙です。

 内閣総理大臣 殿

  突然で失礼とは存じますが、私の娘直美は、昭和62年6月20日の夕方、紫水高校1年(15歳)当時、テニス部の練習を終え、友達と途中で別れて1分位の所で消息を絶ちました。それから直ぐに取手警察署で捜索をしてもらいました。警察犬も来ましたが、自転車があった所からは動きませんでしたので、車に乗せられたのでしょう。

 逆探知も泊まり込みでやってもらいましたが、何も手掛かりはありませんでした。

 直美が失踪して23年が経ちます。

 5年前に荒木和博先生にお会いでき、特定失踪者問題調査会の失踪者リストに入れてもらいました。

 今月は2,3回の署名活動に参加しています。

 直美は心優しい子だったので、今ごろお腹をこわしていないかな~寒い国で風邪などひいていないかな~食べ物は十分に食べているかな~と、家族で顔を合わせる度に暗くなって、涙ぐんで毎日を送っています。

 私たちもだんだん歳をとっていますので、一刻も早い日本での普通の生活をさせてあげたいのです。

 政権交代した今解決に向けて、全ての拉致被害者、拉致の可能性を排除できない失踪者の一刻も早い救出を実現できますようお願いします。
                                              根本康夫
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特定失踪者家族からの手紙 古都瑞子さん

2009-12-31 | 時流
■古都資朗さん(古都瑞子さん弟)からの手紙

 古都瑞子(ふるいちみずこ)さんの弟さん、古都資朗さんから平野官房長官宛の手紙です。調査会に託され、過日対策本部に届けました。

拝啓 平野官房長官さま

 私は、特定失踪者会(特定失踪者問題調査会)の仲間に加わっている 鳥取県の古都と申します。

 本日、11月14日あの日から32年が経過しました。

 私の姉(瑞子・当日46才)は、当日地元皆生(かいけ)の旅館で仕事を終え、夜9時頃帰宅したことだけは、色々な状況から推察できます。その後、間もなく誰かからの電話で呼び出されて、普段着で、外出、それ以降の行動が判明しないという状況です。

 その当時近辺で色々な事件があり、地元米子警察でも、その関連かもしれないと云うことで、長期にわたり懸命な捜査を続けていただきましたが、手がかりもなく、自然に操作も続かず、長い年月が経過しました。

 当時は『拉致』云う言葉も知らず、何かの事件に巻き込まれ迷宮入りとなったものとあきらめていました。

 1990年代中頃から、横田めぐみさんを始め数人の行方不明が問題化し北朝鮮による『拉致』ではないかと動きが浮上するようになりました。

 もしかして、私の姉もそうではないかと思うようになりました。特に横田めぐみさんの不明となられたのが、1977年11月15日、私の姉の場合11月14日と接近しており、その思いを強くしました。

 しかし、このことをどこへどのように申し出ればいいのかと重いながら月日を流しました。

 2002年でしたか、時の総理大臣小泉さんが、訪朝され、北の代表との交渉の結果、5人の不明者が飛行機のタラップから手を振って降りてこられた姿がテレビで放映され、感涙したことは、今でも忘れません。

 それ以来、拉致問題の関心が高まり、鳥取県でも、時の片山知事が人権課にそのような窓口を設置されましたので、勇気を出して申し出たのが私の今回の始まりでした。

 当然推測ですが、もし私の姉が北朝鮮に連行されているとすれば、年齢も80才に近づき、食糧不足の北朝鮮では、生存が不可能な年齢とも思えます。

 私の母も先日101才の節目を迎えましたが、もう何時までも待てません。

 助けられるものなら、一日も早くと思いますが、私個人の力では、どうすることもできません。

 幸い、特定失踪者問題調査会、救う会の皆様方に励まされ地域の皆さんと共にいろりお支援活動をしていただいています。

 とにかく、これは、政治の力で解決していただくしかないと思います。我が国の代表が、ころころと交代し、今度こそ今度こそと期待してもう7年経過しました。幸い今回、政権が交代し、本当に今度こそと大きく期待しています。

 どうか、本当に今度こそ一刻も早く不明者全員の皆さんが救出され元気で日本の地に足を着けていただけるよう伏してお願いいたします。

2009年11月14日
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特定失踪者家族からの手紙 佐々木正和さん

2009-12-31 | 時流
■佐々木美智子(佐々木正和さん姉)からの手紙

 11月2日に対策本部で渡された佐々木正和さんの姉、佐々木美智子さんから鳩山総理に宛てた手紙です。

鳩山総理大臣様

 私の弟、佐々木正和は、大宮市宮原の古いちいさなアパートに一人で住んでいました。

 ちょうど22年前の11月末くらいから不在のようだと家主様より年末に連絡が入り、訪ねてみました。荷物、本、大切にしていたオーディオセット、貴重品もそのままで、まるでずっと生活が続いていて、今にも帰ってくるようで、整理をしているのが、とても、つらく、苦しかった事が頭から離れません。

 失踪時、弟、正和は37歳になっており、他の失踪者の方より、ずっと年上でしたので夢、希望を無くしたのではないか…。

 色々なことに挫折し、苦しんでいるのではないか…。

 悪く、悪く考えてしまうこともありましたが、いつも前を向き、一生懸命生きてきた、弟、正和は、頑張り続けているはずです。

 母も、私もいつか必ず会えると信じています。

 正和が帰ってきたら慎ましく静かに暮らして行けたら、そんなささやかな、生活を希望しています。

 他の失踪者の方々も、夢や希望がたくさんあったと思います。いつか必ず叶うことを願っています。

 どうぞ、お力を、おかし下さい。よろしくお願い致します。

 とても、お忙しい、毎日とは思いますが、くれぐれもお身体を大切にし、国民とともにがんばって下さい。

 平成21年11月

               佐々木正和 姉 美智子
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特定失踪者家族からの手紙 田中正道さん

2009-12-31 | 時流
■村岡育世さん(田中正道さん妹)からの手紙


 11月2日に対策本部で渡された田中正道さんの妹、村岡育世さんから鳩山総理に宛てた手紙です。

  要望書

平成21年11月1日

内閣総理大臣 鳩山由紀夫殿

要望者 特定失踪者田中正道の家族 鹿児島県霧島市 村岡育世

1、田中正道の失踪経緯

 私は、特定失踪者の1人である「田中正道」の妹です。

 私の家族は、両親と兄の4人家族でありましたが、その両親も40年前に他界してしまい、現在では私が唯一の肉親となっております。兄は、今でも私の夢に出てきては優しく微笑んでくれます。また、兄が「何処でどの様な生活を送っているのだろう」と考えると、胸が締め付けられる思いで涙が止まりません。私は、私のたった一人の肉親である「正道」兄さんともう一度、抱き合える日が来るのを願って日々の生活を送っている次第です。

 兄が失踪した経緯についてご説明致します。

 失踪当時、兄は千葉県千葉市蘇我町に住んでおりましたが、平成5年6月6日に、茨城県の交通安全協会で運転免許の講習を受講したことが確認されたのを最後に行方不明となっています。安否不明となった数日後の平成5年6月11日、兄が使用していた自動車が、千葉県習志野市内の住宅街の路上に、鍵を付けたままの状態で放置されているのが発見されておりますが、車内には運転免許証、健康保険証、預金通帳(千葉銀行、残高80万円)・印鑑等の貴重品の他、アドレス帳、衣類も残されていました。

 兄は、失踪直前の平成5年6月2日までは、私の夫の病気を心配して頻繁に連絡をしてきており、特に変わった様子はありませんでした。

 私は、兄の行方を捜すべく千葉県警習志野警察署、鹿児島県警霧島警察署等に捜索願を提出するとともに、警察保管の全国の身元不明死体の写真を閲覧するなどして捜しておりますが、未だ発見には至っておりません。

 兄の失踪に関しましては、

 ・失踪直前まで電話連絡があり、その会話でも変わった様子はなく、失踪する理由が見あたらないこと

 ・平成5年6月6日に運転免許証の更新手続きをしていますが、新しい免許証は未受領のままになっていること

 ・兄の車は、住宅街の交通頻繁な路上に鍵が付けられたまま放置されており、現金等貴重品もそのまま車内に残されていたこと

 等不審な点も数多くありますことから、何らかの事件に巻き込まれたことは間違いなく、肉親の私としましては、

 兄は北朝鮮に拉致された可能性が高いのではないか

と考えています。

2、要望事項

 特定失踪者家族の一人として、一日も早い拉致事件の全面解決のため、下記の事項を強く政府に要望します。

(1) 鳩山政権での拉致事件の全面解決

 これまでの自民党政権における歴代の総理大臣が、拉致事件の早期・全面解決を約束される中、小泉首相の訪朝により、蓮池さん夫婦、地村さん夫婦、曽我ひとみさん等、一部の拉致被害者の帰国が実現されたまのの、その後の進展は見られないまま、現在に至っている次第であります。この問題を子供の世代に引き継ぐ訳にはいきません。どうか、私達被害者家族・特定失踪者家族の気持ちをおくみとり頂き、民主党鳩山内閣が一丸となって問題解決に取り組まれ、鳩山内閣で全面解決していただくよう切に要望いたします。

(2)拉致事件に関する政府保有の情報の開示

 我々、特定失踪者家族は、政府認定の拉致被害者家族と異なり、今でも世間における認知度も低く表舞台に立つこともありませんし、拉致事件に関する情報を知り得るすべもありません。

 拉致事件が全面解決すれば、私の兄の失踪も北朝鮮による拉致事件によるものだったのか否かがはっきりすると考えているところであります。今後、政府機関がもっておられる拉致事件に関する情報のすべてを公開して頂きたく要望致します。

(3)特定失踪者問題調査会活動に対する政府の支援

 荒木和博特定失踪者問題調査会代表を始め、私共の会を支援して下さる関係者の皆さんの活動は、主に街頭カンパ等で集められた資金で賄っているのが現状であり、不足する経費については、関係者の善意で自己負担されています。

 拉致被害者等を早急に救出するための活動には、どうしても活動資金が必要であり、政府からの支援があれば私達の活動も広がると考えております。特定失踪者問題調査会及び私達被害者家族が、心おきなく活動できるための経費について、政府の予算措置を強く要望致します。

(4)スパイ防止法の制定

 世界の経済大国と言われる中で、唯一、スパイに関する法律を制定しない国が日本であります。

 過去の北朝鮮による拉致事件の発生も、この法律が日本に制定されていなかったことが一つの原因ではなかったかと考えています。

 国は、国民の生命・身体等を保護することも重要な施策であり、二度と日本国民の拉致という非人道的な国際テロ(犯罪)が行われないように、早急なスパイ防止法の制定を要望します。

 以上
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北朝鮮にはがきを送ろう!

2009-12-29 | 時流
さて、今年も年末
めぐみさんも、多くの拉致被害者も、帰ってきません。

新政権になって、4ヶ月、中々動きが出ない様子に、苛立ちも感じます。
北朝鮮向け直接の弾丸、拉致被害者救出の意思を伝えるはがきを紹介します。

画像をクリックして、ワードファイルをダウンロードしてください。
ちょうど、年賀状の季節ですね。
年賀状のあまりなどに印刷して、70円切手を貼って投函してください。

北朝鮮は、極寒の季節です。
苦しい想いで、希望をつないでいる被害者に、私達の意思を伝えるために!

北朝鮮のひとたちにも、金正日政権内部の人たちにも、私達は、どうしても被害者を取戻したいと伝えるために!

たくさんの枚数が集まれば、そのことが、噂になるかもしれません。
拉致被害者が直接みることは無いかもしれませんが、私達にできる一つの事実です。

石岡亨さんの手紙が、厚い検閲の壁をくぐり抜けて、日本に届いたように、事を積み重ねれば、石をも砕くかもしれません!

寒さの中、必死に命をつないでいるめぐみさん達のために、どうかあなたも一枚ハガキを出してください。!

  

ダウンロードして印刷、70円切手を貼って投函してください。詳しくは案内を
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特定失踪者家族からの手紙 山下 貢さん

2009-12-27 | 時流
■山下きよ子さん(山下貢さん母)からの要望書

 11月2日に対策本部で渡された山下貢さんの母、山下きよ子さんから鳩山総理に宛てた要望書です。●の部分は原本には記載されていますがここでは省略します。


要 望 書

 日頃は、ご公務におかれまして拉致被害者関連に対し格別のご配慮を賜り厚く御礼申し上げます。現在、福井県嶺南地区には北朝鮮による拉致の可能性が高い特定失踪者が3名います。

 その中に、私の息子 山下貢(やました みつぐ)がいます。

 山下貢の失踪当時の状況につきまして簡単ではありますが報告をさせていただきます。

   本籍地福井県敦賀市縄間●
   現状所福井県敦賀市縄間●

   生年月日1950年(昭和25年)7月5日生

 平成元年(1989年)12月27日、息子 貢が「越前海岸へ釣りに行く」と言って、一人で、朝、午前5時前に家を出した。いつもであれば午後2時過ぎには必ず帰宅していましたが、当日は、午後4時になっても帰宅しないため、越廼村に嫁いだ娘に連絡をし釣り現場に急行しました。午後4時30分頃です。

 午後5時には、家族・警察の方々・住民の方々が捜査に協力して頂きました。 貢の自家用車のみが発見されました。 車両には鍵がかけられ、釣り竿やえさ箱などは発見されかなった。

 失踪当時状況について、釣り仲間で会社の友人である ●氏から頂きました。  「12月25日に釣りに来て、鰺を大量に釣りました。 この事を翌日(12月26日)に会社で貢さんに伝えました。 貢さんなら必ず同じこの釣り場に来たに違いないと考えられる。この釣り場は、私たちであれば真夜中 懐中電灯がなくても簡単にたどりつく場所です。貢さんは海に落ちるとは考えられない。」

 12月27日の捜査の段階では海が荒れて波がこの地点で来ていました。 当然、えさ箱はありませんでした。 翌日(12月28日)になってこの地点でえさ箱が発見されますが、貢はこの場所で釣りをしていません。

 貢には、目に入れても痛くないほど可愛い 二ヶ月の長男がおり、失踪する動機が考えられません。 さらに、失踪後数回の無言電話が続き、「ごめんな」と一言が最後になりました。  私自身 あらゆる現状から拉致として確信を抱きました。失踪してから20年の月日が過ぎ 私も85歳になりました。

 精神的・体力的にも もう限界です。

 日本政府におかれまして一刻も早い 誠意ある再調査をお願い致します。

息子『貢』は、北朝鮮の何処かで日本政府の助けを求め、1日1日が必死の状態で生きています。どうかお助け下さい。 心からお願い申し上げます。

平成21年11月 2日

福井県敦賀市縄間●  山下 きよ子
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特定失踪者家族からの手紙 小林 榮さん

2009-12-27 | 時流
[調査会NEWS 880](21.12.27)

■小林七郎さん(小林榮さん弟)からの手紙

 11月2日に対策本部で渡された小林榮さんの弟、小林七郎さんから鳩山総理に宛てた手紙です。



 内閣総理大臣・拉致対策本部長 殿

 今回、多忙な中家族の希望であります面会に時間を割いていただきまして誠に有難うございます。

 さて、貴民主党は政権交代をなし、脱官僚、政治家主導の政治を旗印に、内閣総理大臣を先頭に各種の課題に精力的に取組まれておりますことは我々国民が政治家に望む、政治家の姿そのものを見る思いであります。

 そして総理は所信表明で「弱い立場の人々、少数の人々の視点を尊重することが私の友愛政治の原点」、「戦後政治の大掃除」をするなどの決意を発せられております。

 正しく拉致問題は、戦後の雑多なしがらみから派生したもので未だに解決できないでいることは、一独立国家として世界に恥じることで他に優先して着手すべき重要懸案でないでしょうか。

 実は私の兄、小林榮は今から43年前東京神田の印刷会社から突然いなくなりました。当時23歳で、その会社には住込みで7年ほど働いており、将来は自分で印刷会社を起こすのだと張り切っていました。

 兄は、農家の8人兄弟の6番目、東京に出て帰省は年に1~2回、家族が兄の失踪を知ったのは失踪してから1週間程して来た、会社からの手紙でした。「8月21日(日)の朝、社長が社内で見たきりなので田舎に帰っていませんか」という内容でした。家族が兄の荷物を引き取りに行った際、会社側の方は兄はいなくなる2,3日前から体調を崩しており、いなくなったその日は、会社の方に「医者に行ってくる」と出たきり帰らないということで、はっきりしないところもあります。

 警察への届出は、少し経ってから父親が所轄の龍ヶ崎警察署に届けました。

 家族はいなくなる理由もわからないまま、兄を探し歩きましたが何一つ消息はありませんでした。

 平成になり拉致被害者の存在を知りました。併せて多くの方が拉致されているのではないかとの報道もありました。そして北朝鮮による偽札造りもマスコミで知りました。その中で印刷関係の高学歴の方がいなくなったり、兄と同じような若い印刷職人が、略同じ時期に何人もいなくなっていることなどから、兄も北朝鮮に拉致され偽札造りに加担させられたのではないかとの疑いが募っております。

 こうした中で改めて兄の消息を知ろうと、兄の会社の同僚などに連絡をとったところ、一人の方には電話の途中で一方的に切られ、もう一人の方には話すこともないし、もう電話もしないで欲しいとのことでした。

 このようなことから公権力を持つ警察以外、失踪当時のことを調べることが出来ないと思い所轄の龍ヶ崎警察に何度も捜査を懇願したのですが、警察は兄がいなくなったことは「事件性がないから」捜査することはできないとの一点張りであります。

 事件性とは一体なんでしょうか?人間一人が理由もなく「消えたようにいなくなった」ことが事件でないのでしょうか。前述の拉致の疑いがあると訴えているのに、調べてみなければ分からないことでないでしょうか。

 全国には兄と同じように理由もなく突然失踪した方が大勢おります。

 家族の多くは失踪した親族を探し求め、精神的な苦痛に耐え、肉体的且つ経済的にも多くの負担を強いられております。このような状況を見聞きしながら、警察は届出を受理しただけで殆んど、何の対応もしていないと言っても過言でありません。この警察の姿勢は警察上層部からの指示なのでしょうか。

 今般、拉致担当大臣、国家公安委員長が兼務となりました。そして新たな拉致対策本部の構築・増強で失踪者の徹底した捜査をするとの表明により警察行政が動くとの報道もありましたが、家族等の思いに添った効果を期待するものです。

 脱北者などの証言によりますと、北朝鮮は軍事独裁政治、厳重な監視社会、更には慢性的な食糧不足と国民の多くは疲弊、悲惨な生活を強いられているという、とんでもない国とのことで、人権、人道上も許されるべきものではありません。兄もこのような環境の中にあると思うと、兄の人生の不遇を思わざるを得ません。

 日本は、43年前兄がいなくなった当時と何ら変わりのない体制に非常な不思議さと不安を感じているところです。

 国家の存立は国民があってこそであり、国民の生命・身体の安全・安心を保つことは為政者の第一の仕事であります。国民が安心して暮らせる確固とした体制を構築してください。

 拉致は人間を攫っていった悪辣非道の最たるものです。すぐさまとり返して下さい。とり返すのに手段を選んでいる余裕などない筈です。家族は高齢化しています。子供に会いたいという、親としての切ない思いを残し他界した方もおります。遅々として進まぬことに怒り心頭、方策はないのかと大声で叫びたい気持ちです。

 未解決の拉致問題を、子や孫の代に申し送ることはあってはならないことです。

 総理大臣は解決に向けゆるぎない姿勢を貫き、全拉致被害者を日本に取り返すことが使命であり、友愛政治の原点でないでしょうか。

 なにとぞ、政権交代の「実」を示していただきますよう、切にお願い申し上げます。
平成21年11月2日
        小林七郎
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特定失踪者家族からの手紙 宮内和也さん

2009-12-27 | 時流
[調査会NEWS 879](21.12.26)より

■宮内和見さん(宮内和也さん父)からの要望書

 11月2日に対策本部で渡された宮内和也さんの父、宮内和見さんから鳩山総理に宛てた要望書です。●の部分は原本には記載されていますがここでは省略します。


 要 望 書


 日頃は、ご公務におかれまして拉致被害者関連に対し格別のご配慮を賜り厚く御礼申し上げます。

 現在、福井県嶺南地区には北朝鮮による拉致の可能性が高い特定失踪者が3名います。その中に、私の息子 宮内和也(みやうち かずや)がいます。

 宮内和也の失踪当時の状況につきまして簡単ではありますが報告をさせていただきます。

本籍地 福井県三方上中群若狭町三方●
現状所 福井県三方上中群若狭町三方●
生年月日    1975年(昭和40年)1月27日生

  息子和也は、若狭町(旧三方町)役場教育委員会に勤務しており、その勤務中において1997年(平成9月)4月24日若狭町世久見漁港に隣接しているB&G艇庫(カヌーボートの収納施設)とナホトカ号重油流出(同年2月若狭湾沿岸重油流出)事故等を見回り調査に行くと、職場の同僚に連絡をして出かけました。以降そのまま帰らず今日に至っております。

 失踪当時には、関係各位、ボランテアの方々 及び、警察、保安庁の方々、そして海辺には95隻の船舶と延べ1200名余の方々にお世話になりました。手がかりとしては、二つに割れたカヌーボートが二日後消波に突き刺さった状態で発見され、またジャンパーの上に石置かれ全く不自然な状態で発見されました。他には何(消波ブロック)の手がかりもありませんでした。

 宮内和也をよく知っている地元の漁師の方々は、「彼は海をよく熟知している男であり、あの様な荒れた状況の海に出る事は考えられない」と言っておられる。(失踪当時は、海が大荒れで大敷き網漁業が中止して出向が不可能な状況でありました。)

 又、自分自身のウェットスーツがロッカーに収納されており持ち出された形跡等がなく、地元の方々は、「ウェットスーツを着用しないでボート等に乗船している姿を見たことがない」と言っておられます。

 私自身の職場の状況及び日頃の生活環境から見て絶対に拉致に間違いがないと確信をしています。

 息子和也の生活環境につきましては、子供3名に恵まれ大変子煩悩で、幸せな家庭を築きつつ家の改築の計画を話し合っていました。自分勝手な行動をする息子ではないと堅く信じています。

 息子和也がいなくなってから、もう12年の月日が経過した今日3名の孫たちが不憫で可哀想でなりません。私自身、息子が元気で居てくれることを信じています。

 写真に陰膳をし神佛様に毎日お願いを致しております。

 1日も早い真相究明と政府の認定と今後の朗報を千秋の思いで待っています。

 拉致被害者の方々は、政府認定者12名、救う会認定者19名、特定失踪者問題調査会が1000番台リスト(拉致の可能性が高いとした者)71名、0番台リスト(北朝鮮に拉致された疑いを否定出来ない失踪者)198名の方々がいます。

 私達家族は必死の思いで毎日の生活を送っていますが、もう限界です。一刻も早い誠意ある対応を待ち望んでいます。

 政府の対応が待ち切れません。

 どうか北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会の皆様方のお力によって日本政府認定につながる再調査をお願い申し上げます。

 息子「和也」は北朝鮮の何処かで助けを今日か、明日かと手を合わせて待ち続けています。茲に伏してお願い申し上げます。

 平成21年11月2日

         福井県三方上中郡若狭町三方●

            父     宮内 和見
  内閣総理大臣 鳩山由紀夫殿
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拉致対策本部訪問

2009-12-26 | 時流
12月22日 ◆―東京ブルーリボンの会―◆の幹事は、大阪ブルーリボンの会メンバー三人と、内閣府、拉致対策本部を尋ねました。

大阪ブルーリボンの会HP
上記に提出した要望書も、記載されています。
また、今回の面談にご尽力いただいた長尾敬衆議院議員のブロクにも、その時の様子が掲載されています。


内閣府拉致対策本部では、

   拉致対策本部事務局 支援室長 山口英樹氏
            参事官補佐 蛭田俊明氏らと面談

その後、中井洽拉致担当大臣と20分程度 面談

大臣の現在の取り組み方向について、丁寧に説明していただきました。
私達からは、共同の要望書をお渡しし、官民の協力体制などについてお願いをしました。

年の瀬、また拉致問題は年越しですが、解決へ向けて、来年こそ大きく動き出すことを期待したいと思います。









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特定失踪者家族からの手紙 安西正博さん

2009-12-24 | 時流
■安西茂雄さん(安西正博さん父)からの手紙

 11月2日に対策本部で渡された安西正博さんの父、安西茂雄さんから鳩山総理に宛てた手紙です。
------------------------


 今回の衆院選大勝、お見事でした。心よりお祝い申し上げます。

 特定失踪者の安西正博の父、安西茂雄です。

 拉致された家族の思いは、皆一つと思います。

 一日でも一時間でも早く、日本の土を踏ませたい気持ちと思います。

 拉致されている加瀬テル子(65歳)の叔母が私と同じ、栃木県小山市に居住された事で、15分ぐらいの所でしたので、(病気でしたので)集会などの時は書類、一群を預けて、話し合っていたのですが、今年の夏、この世を去りました。心配に心配を致しての事です。私と同じ77歳です。

 それで、ポスターに出ている人たちはと思い年齢と人数を調べてみました。別表の通りです。何かの役にたてばと思いまして、相手があることなので、思うようにはと思ひますが、よろしくお願い申し上げます。

ポスターの年齢と人数を調べた表です。(平成21年 10月現在)
年齢-人数
97-1
95-1
91-2
87-2
84-1
82-2
81-1
80-1
79-1
77-6
76-4
74-5
73-8
72-3
71-4
70-4
69-4
67-5
66 -8
65-8
64-4
63-4
62-7
61-13
60-6
59-7
58-8
57-19
56-8
55-3
54-7
53-2
52-2
51-2
50-5
49-12
48-3
47-4
46-4
45-2
44-7
43-2
42-6
41-1
39-1
38-1
37-5
36-3
35-2
34-2
33-1
31-5
30-1
29-1
28-1
27-1
25-1

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特定失踪者家族からの手紙 山下春夫さん

2009-12-24 | 時流
■山下寛久さん(山下春夫さん兄)からの手紙


 11月2日に対策本部で渡された山下春夫さんの兄、山下寛久さん(当日は欠席)から鳩山総理に宛てた要望書です。 ●の部分は原本には記載されていますがここでは省略します。
------------------------

要望書

 日頃は、ご公務におかれまして拉致被害者関連に対し格別のご配慮を賜り厚く御礼申し上げます。現在、福井県嶺南地区には北朝鮮による 拉致の可能性が高い特定失踪者が3名います。その中に、私の弟 山下春夫(やましたはるお)がいます。

 山下春夫の失踪当時状況につきまして簡単ではありますが報告をさせていただきます。

本籍地 福井県小浜市田鳥●

現状所 福井県小浜市田鳥●

生年月日 1946年(昭和21年)3月25日生

 昭和49年8月17日、小浜ドック造船会社前の堤防へ夜釣りに出かけました。そのまま行方不明となりました。 失踪当時、現場には靴が残されてバラバラになっていました。 誰かと争った形跡が考えられます。

 釣りの現場直線約70メートルの距離です。

 春夫は、田鳥の海育ちであり 水死する様な男ではありません。

 当時、春夫は寮を住居とし四国からの5名の方々と一緒に勤務をしていました。

 春夫の勤務状況につきまして、当時の棟梁●さんに伺いました。

 「春夫さんは、仕事にも慣れ 船大工として●社長(故人)から一目おかれて、彼自身の船への執着心が強く社内でも 評判でした。ある日の事でしたが、『見慣れない男が貴方の会社でプラスチック船の修理の上手な職人は いますか?』と伺って来た事を社長が聞きました。社長も北に拉致されたに間違いないと言っておられました。」

 春夫が失踪する2ヶ月前(1974年6月)に、高敬美さん・高剛さんが岡津海岸から北朝鮮に送り出されています。  春夫の失踪現場から車で15分程の場所です。この事件に春夫も関連していると思われます。

 私は春夫が拉致されたと確信致しております。

 私には時間がありません。精神的・体力的にももう限界です

 一刻も早い 日本政府の徹底した再調査をして頂き誠意ある対応を心からお願い申し上げます。

 平成21年11月2日

    福井県小浜市田鳥●  山下 寛久

 内閣総理大臣  鳩山由紀夫  殿
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特定失踪者家族からの手紙 秋田美輪さん

2009-12-24 | 時流
秋田正一郎さん(秋田美輪さん父)からの手紙


↑秋田美輪さんのお父様 2006年大阪にて




鳩山総理大臣殿
特定失踪者 秋田美輪の父 秋田正一郎

 衆議院議員選挙で大勝、そして総理大臣にご就任おめでとうございます。

 米国を始め海外諸国との外交でも国民に対する話しかけでも友愛の精神を中心として明確な政策とその解決への決意を表明され、私達 特定失踪者家族としても前政権より一歩進んだスピードで近い内に全員奪還の可能性を期待したい昨今でございます。

 然しながら、2002年の小泉総理訪朝以来7年もの間、被害者を返還又は返答を小出しにしては我が国から見返り金を奪い取り 又はしつこく要求する北朝鮮のやり方には卑劣としか言い様がありません。悔しくて仕方がありません。

 ついては国民の大多数の支持により就任された鳩山総理にお願いがあります。私達はこの先年を取るばかりで息子、娘、兄妹等の帰還を待ちながら何時死ぬか分かりません。よって今まで表明された拉致問題についての全員帰還というお言葉だけでなく、その具体的な方法を表明して頂き、実行に入って頂きたいのです。そして、早期に全員帰還に成功することを願って止みません。

 宜しくお願いします。
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しおかぜ放送日程

2009-12-23 | 時流
■しおかぜ近況報告

 ここ数ヶ月の間に総務省は、「しおかぜ」に対する北朝鮮からの妨害電波を確認し、夜の放送について10月30日付けで、また朝の放送についても12月11付けでITUへ通報を行いました。現在、放送の伝搬状況は冬期にあり妨害電波も重なって、日本国内でモニターする限り決していい状況とは言えません。

 ただし、北朝鮮近隣地域の状況はそうとも言えず、ソウルでのモニターでは、北朝鮮からの妨害電波はスキップしていると思われ、不安定ながら受信できている状態です。今後も監視を続けながら適時周波数変更を行い、出来るだけ北朝鮮で聴きやすい環境を維持して行きたいと考えております。この一年、モニターにご協力くださった皆様には大変感謝する次第です。

 2009年も終えようとし、「しおかぜ」も5年目に入ってしまった事は不本意ではありますが、問題解決まで今後も頑張って参る所存です。本年も多くの皆様から「しおかぜ」へご支援を賜りました事、心よりお礼申し上げます。

●人権週間特別番組のおしらせ

 しおかぜでは、北朝鮮人権問題啓発週間中またその前後に、様々な皆様からの収録を行いました。その方々のメッセージを特集番組として12月29日夜~1月15日朝までの期間に特別編成で放送を行います。期間内では、元日に国家「君が代」を挿入した番組を放送し、また首長特番1、2も合わせて放送を行います。これらの番組は今後もランダムで繰り返し再放送する予定です。収録にご協力頂いた皆様に感謝申し上げます。以下、番組内容です。

◆人権特番1(日本語番組)
12月11日 しおかぜスタジオから
森田健作(千葉県知事)
12月6日 予備役ブルーリボンの会シンポジウムから
桜井よしこ(ジャーナリスト)、田母神俊雄(前航空幕僚長)、矢野義昭(元陸将補)
12月10日~16日、東京都庁写真パネル展から
飯塚繁雄(家族会代表)、古賀俊昭(東京都議会議員)、一般来場者の声
12月14日 しおかぜスタジオから
天目石要一郎(東京都武蔵村山市議会議員)


◆人権特番2(朝鮮語)
12月11日 拉致問題担当大臣主催レセプションから
姜 哲煥(朝鮮日報研究委員)、洪ヒョン (早稲田大学客員研究員)
金 聖浩(朝鮮戦争拉致被害者家族協議会顧問)
キム・ピルジェ(自由北韓放送)、自由北韓放送関係者(女性)
パンジョイ・パンジョン(アノーチェ・パンジョンさん甥)
ウィチアン・インタシー(タマサート大学上席研究員)
12月6日 予備役ブルーリボンの会シンポジウムから
荒木和博(予備役ブルーリボンの会代表)
12月12日 アジア人権人道学会から
宋 允復(NO FENCE事務局長)

◆人権特番3(日本語)
12月11日 拉致問題担当大臣主催レセプションから
鳩山由起夫内閣総理大臣(挨拶)、岡田克也外務大臣(挨拶)、中井洽拉致問題担当大臣、中山恭子参議院議員(元拉致問題担当大臣)、松本孟(松本京子、兄)、竹下珠路(古川了子、姉)、平田龍太郎(救う会全国協議会事務局長)、海老原智治(北朝鮮に拉致された人々を救援する会チェンマイ代表)
12月12日 アジア人権人道学会から
加藤 博(北朝鮮難民救援基金事務局長)、三浦小太郎(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表)、宋 允復(NO FENCE事務局長)

◆首長特番1
上田清司埼玉県知事(2006.12.15収録)、梅原克彦前仙台市長(2007.4.22収録)、加戸守行愛媛県知事(2007.6.14収録)、石原慎太郎東京都知事(2008.6.11収録)、

◆首長特番2
「知事の会」から北朝鮮への要請文(泉田知事)、金正日総書記へのメッセージ(泉田知事)、泉田裕彦新潟県知事(2009.1.13収録)、平井伸治鳥取県知事(2009.1.13収録)、橋下徹大阪府知事(2009.6.26収録)、飯泉嘉門徳島県知事(2009.7.2収録)、島村穣上尾市長(2009.7.30収録)

◆首長特番3
青木英二目黒区長(2009.8.29収録)、会田 洋柏崎市長(2009.10.31収録)、高野宏一郎佐渡市長(2009.10.31収録)、松崎晃治小浜市長(2009.10.31収録)、岡村幸四郎川口市長(2009.10.31収録)、四市共同宣言(2009.10.31収録)、川勝平太静岡県知事(2009.11.20収録)、原田英之袋井市長(2009.11.20収録)

◆家族の肉声(家族の絆「きっと助けてあげる」8)
横田 滋(横田めぐみ、父)、市川龍子(市川修一、義理の姉)、村岡育代(田中正道、妹)、武田圭子(松本義明、姉)、賀上文代(賀上大助、母)、辻 太一(辻 興一、兄)、宮本正栄、はるみ(宮本直樹、父母)、安西茂雄(安西正博、父)小林七郎(小林 榮、弟)

調査会ニュースより

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特定失踪者家族からの手紙 宮本 直樹さん

2009-12-20 | 時流
■宮本正栄さん・はるみさん(宮本直樹さん両親)からの手紙

 11月2日に対策本部で渡された宮本直樹さんのご両親、宮本正栄さん、はるみさんから鳩山総理に宛てた手紙です。



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中井洽大臣 政府関係者各位

宮本直樹及び多数の特定失踪者に関する要望書

2009年11月2日

特定失踪者 宮本直樹 家族 宮本正栄(父)

拝啓 平素は特定失踪者である宮本直樹及び、私共家族についてご理解いただき心より礼申し上げます。そして多数の特定失踪者の捜査、認定、未認定にかかわらず北朝鮮への働きかけを、強く要望いたします。

私は行方がわからない宮本直樹の父親です。

我家は二男直樹が今から七年七ヶ月前の2002年3月3日に家を出てカーフェリーの中に荷物を置き去りにして本人が見当らないとの連絡を北九州の海上保安庁から2日後3月5日に電話を受け、突然の出来事でとまどいを感じ大きなショックをうけ悲しい日々を送っているのです。

決して自ら身を投げるような子供ではありません。その後、拉致ではないかと届けで特定失踪者問題調査会の方々、皆様にお世話になっているのです。いつまでも悲しんでばかりはいられず、集会等に参加しているのです。

最寄りの警察署に公開捜査を依頼し、ポスターを作成し、承認をもらい都内の駅、繁華街、警察署、カーフェリーに乗ったと思われる船会社にも協力を得て何千枚、何万枚と配付し、はって頂きました。

それでも何らの情報もなく、やがてテレビ、雑誌、新聞等に訴えつづけてました。

こうして家族で出来る事はここまでです。

このように特定失踪者がいることを風化させることなくさがし続けるには国民の数多くの人に知ってもらうことだと思います。

今日は国会の先生方のお忙しい中をこうしてお願いすることになりましたが、今後共、力をお借して、国をあげて取組んで頂きたいと思います。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
----------------------------------
中井洽大臣 政府関係者各位

2009年11月2日

特定失踪者 宮本直樹 母 宮本はるみ

拝啓 平素は特定失踪者である宮本直樹、及び私共家族についてご理解いただき心からお礼申し上げます。

2002年3月3日の春でした。

突然北九州門司港から連絡を受けまして、東京港~東九カーフェリー内に宮本直樹の所持品が見つかり本人の姿がないとのことを知らされ、親籍も知り合いもない北九州へ、なぜ、いつ、いったのか、考えられません。

あれから早や8年になろうとしていますが、なんの手がかりもありません。

政府関係者及びに国の力をお借り致します。

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特定失踪者家族からの手紙 山本美保さん

2009-12-20 | 時流
■森本美砂さん(山本美保さん妹)からの手紙


 11月2日に対策本部で渡された山本美保さんの妹森本美砂さんから鳩山総理に宛てた手紙です。

  拉致問題に関しまして、国をあげての取り組みに感謝申し上げます。

 お手紙を差し上げる失礼をお許しください。

 私は山梨県甲府市に住みます、森本美砂といいます。

 25年前にいなくなりました双子の妹、山本美保をずっと捜してまいりました。

 姉は25年前の20歳の時、大学受験のため図書館で勉強する日々を送っておりました。失踪当日の昭和59年6月4日、いつものように母に「図書館に行ってくる」と言って50CCのミニバイクで家を出たままいなくなってしまいました。

 4日後の6月8日、柏崎市の荒浜海岸に財布と運転免許の入ったセカンドバッグが落ちていると連絡が入り、両親と叔父が新潟に飛び方々捜しましたが、何の手がかりもつかめませんでした。

 その後半年経った頃、無言電話が入るようになり、中には「美保ちゃんでしょ、返事して」と呼びかけても一言も声を聞くことができませんでした。今から思うと監禁されて声が出せない状況だったのではないかと思うのです。3年半続いた無言電話もその後なくなり、2002年、有本恵子さんの拉致のニュースに、再度手がかりを求めて新聞社に手紙を書き、姉の状況を伝えたことで少しずついろいろな方からご支援をいただき、拉致が濃厚なのではないかと調べを進めてまいりました。

 小泉首相の訪朝を機に姉のことも全国的なニュースとなり、拉致が濃厚な特定失踪者ということで、同級生、恩師、地元の方々のご協力ご支援を受け、署名活動を続けて参りました。

 集まった署名は20万以上に上り、何度か政府に提出させていただきました。姉のことだけではなく、全国に470人以上いる特定失踪者全体の調査、真相究明、拉致が濃厚な人の拉致認定をお願いしてまいりました。

 その姉に関しまして再捜査で大変お世話になっていました山梨県警より、5年前の平成16年3月5日の発表で、25年前に山形の遊佐町の海岸で発見された一部腐乱した、正しくは頭部白骨化、体は死ろう化、歯が13本抜け落ちた手足の切れた女性のご遺体が姉だと断定されてしまいました。

 山形大学に残されていた骨髄の粉末と私の血液とのDNA鑑定の結果、一致したというのが理由でした。

 それが真実であるならば、辛い事実であっても受け入れ、姉の供養をしなければいけないと思っておりました。

 しかし、発表後に示されたご遺体の特徴や遺留品、体のサイズ、死後の状況などがあまりに違いすぎ、姉を語るものが何一つでてこないのです。

 そのためにわかに信じ難い思いでおります。

 山梨県警に38年間勤めた父も、当時から身元不明の情報には注意を払っておりました。なので、姉の失踪から17日後(カバンが見つかってから13日後)に発見された山形のご遺体の情報を耳にしたとしましたら、きっと照会をしたのではないかと思われます。

 当時は近くでかかった歯科医院に歯のカルテが残されていましたので、別のご遺体2件との照会もそれらにより別人と判明した経緯がありました。

 歯のカルテは今はなく、当時山形のご遺体の情報が入って照会したかどうかも、6年前に父が他界し、確かめる術はありません。

 DNA鑑定も父の危篤と同時に、双子である私の血液を提供するよう言われ、父が生きていれば、このようなことはなかったのではないかと悔やまれます。

 前政権下で拉致問題はその事実が判明し、一部の被害者が帰国を果たし、その全容が見えて参りました。

 一方で被害者が十数人にとどまらず、数百人規模になるという見方の中で、国交正常化は特定失踪者を含む全拉致被害者の救出と解決がなさなければあってはならないという前提が国民の合意となりました。

 それに心強いと思っておりました矢先の姉のDNA鑑定による死亡発表でした。

 当時から山形のご遺体と姉との相違点をいくつも示してきましたが、それらの違いはDNA鑑定を覆す根拠にはならないと受け入れられず、再鑑定の試料が残されず、家族に説明のなかったDNA鑑定とは何なのかと愕然としました。

 今年の6月、姉の失踪後25年を契機として、地元の新聞が7回の連載で事の詳細と客観的な疑問を、専門家の意見を背景に載せてくださり、広く県民の方々へ広報することとなりました。それを受けて、県議会への質問、県警本部長の答弁となり、その答弁から、県知事もどちらが真実かははっきりしないという記者会見があり、姉を死亡とした疑問が広く県民をはじめ多くの方々の知るところとなりました。今また新しい政権となり、今まで明らかにされなかった真実が示されるのではないかと一縷の望みを抱いております。

 是非とも姉の事案についてDNA鑑定がなされた背景、経緯を調べていただき、私どもにお示しくださるようお願い申し上げます。

 6年前無念のうちに他界した父は、生前、姉の救出に向け奔走しました。病気をおして署名を政府に提出しました。その思いがかなわず再会が果たせなかった父に代わり、来年古稀を迎える母には是非とも元気なうちに会わせてあげたいです。

 姉は決して死んではいません。生きて救いを待っていると信じています。

 権革さんという脱北者の方の証言は姉を言い当てたものでした。姉の失踪から10年後の1994年に平壌で目撃したという内容で、私を見た時に、私と姉の体形の違いを言ってくださり、姉の得意とするところも言い当てました。

 政府認定以外の拉致被害者は、まだ数多く存在します。外務省の照会リストに載っております山本美保について引き続き拉致が濃厚な特定失踪者として再認識し、真相究明の調査と脱北者の証言の確認等お力添えくださいますよう切にお願い申し上げます。

 横田めぐみさんをはじめ、生存していらっしゃる拉致被害者の方々の一刻も早い救出を実現してくださいますよう重ね重ねお願い申し上げます。拉致問題を最優先課題としてご尽力くださいますよう切に切にお願い申し上げます。

 大変ご多忙な国務に際し、お体をおいといくださいますよう心よりお祈り申し上げます。

敬具

平成21年11月2日
                 特定失踪者山本美保 妹  森本美砂
内閣総理大臣 鳩山由紀夫様
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