Blue jewel

拉致の解決を願って
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特定失踪者家族からの手紙 生島孝子さん

2009-12-20 | 時流
■生島馨子さん(生島孝子さん姉)からの要望書


 11月2日に対策本部で渡された生島孝子さんの姉である生島馨子さんと支援組織から鳩山総理・岡田外相・中井拉致担当相宛要望書です。
                          平成21年11月2日

内閣総理大臣 鳩山由紀夫殿
外 務 大臣 岡田 克也殿
国 務 大臣 中井 洽 殿

新拉致問題対策本部設置等について要望

                 生島孝子を救う会 姉 生島敬子

 10月27日初会合を開いたという「新拉致問題対策本部」の内容は一見強化されるようであるが、拉致被害者中心の(支援法が生きているので、被害者とは認定者であろうと理解するのですが)、特定失踪者の問題には積極的に取り組むと言う強い意志が見られません。 北朝鮮が拉致を認めて7年過ぎた今、認定者と未認定者の差は天地ほどです。

 全員でなくとも何人か? 3桁に及ぶ数かも知れないという未認定者は、国内での区別された認定者とは別の問題も生じています。

 そこで、下記の要望於ご検討頂きたく、お願い申し上げます。

要望事項

1、特定失踪者について一項目を起こし、調査を協力に取り組んで頂きたいと思います。

2、政府の広報紙、短波放送等で国内外に示している「拉致は70年代から80年前半に行われた」と言う見解を、改めて下さい。この年代は認定者に当てはまるもので、特定失踪者は考慮されてはいません。特定失踪者の中にはそれ以前にも疑わしき多の人がいますし、それ以後平成になっても拉致の疑いのある者がいるのです。政府として実態を調査していない現段階で、決めつけるのは納得いきません。

3、中井国務大臣は来年度の関係予算拡充にも言及していますが、増員など期待を持てる一方、過去には無駄ではないかと思われる様な経費の使い方をしています。 (例えば大型トラックで、広報、地方のタウンミーティング等々)無駄を省く検討も必要です。

4、前政権で行われた、教育委員会が要請したとか言われる学校教育現場での広報活動は、一考が必要と思います。教える教師で特定失踪者のことを知っている者は、殆どいないと聞きます。認定者17人のことだけ、これでは拉致問題の一側面で、全容ではありません。必要以上に大きくする事はありませんが、正確に実態を知ったときより多くの国民に支持され、国内の動きに北朝鮮も注視すると思うのですが、如何でしょうか。

5、新政権は政府と党と一体と伺います。しかし拉致問題に付いては色々の見解がある様に見えます。外国への広報活動、政府の関与の在り方にも一考下さい。諸外国に頼りすぎる、外国にも拉致被害者は居ると言い協力を求めていますが、国内の特定失踪者配慮は如何なものでしょうか。同じ日本人であることを忘れないで下さい。特定失踪者は国交正常化後の出口論など、不安を覚える過去の発言も思い出されます。此処に新拉致対策本部として発足したのを機に、特定失踪者も並行して取り組みを強化し、解決策を探って欲しいと思います。

6、 個々に対応出来る者について、ご検討下さい。(情報のある者、状況が確認されるもの等)
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特定失踪者家族からの手紙 園田一さん・敏子さん

2009-12-17 | 時流

 

■前山利恵子さん(園田一さん・敏子さん長女)からの手紙

 11月2日に対策本部で渡された園田一さん・敏子さんご夫妻の長女である前山利恵子さんから鳩山総理への嘆願書です。

拉致問題対策本部長 鳩山由紀夫大臣 様

 この度は特定失踪者家族へのご協力有りがとうございます。

 私は北朝鮮による拉致の可能性が大きいとして特定失踪者問題調査会の1000番台リストに登載されている、特定失踪者の園田一、敏子の長女で前山利恵子と申します。

 私の両親園田一、敏子は昭和46年12月30日に大阪から帰る娘を迎えに鹿児島県曽於郡大崎町の自宅から車で宮崎空港へ向かったまま消息不明になり今年で38年目を迎えようとしております。

 失踪当時両親はジャパン・ファームという養鶏場の管理人として働き、中学生の私の弟と3人で裕福とまでは言えませんが、ごくふつうに暮らしておりました。

 借金や近所等のトラブルもなく、娘の帰りを楽しみに冷ぞう庫にはご馳走をいっぱい作り、可愛がっていた弟を一人残したまま出かけております。

 それに三女の成人式の晴着を買う予定もありました。

 両親は人一倍子煩悩で自らの意志で失踪するような理由は何一つなく、失踪当時、集落の方々や両親の友人・知人・消防警察の方々と幾日もありとあらゆる方向から大変な捜索が行われましたが、手がかりは何一つ見つからず、現在まで車すら見つかってません。

 私達は蒸発、借金、夜逃げと心ない噂に泣き明かし、両親の元気な姿だけを思い描き、心からどんなに捜し回ったか知れません。

 その後何ら手がかりのないまま時だけが過ぎ去って行きました。

 なんとかしなければいけない、いけないと思っている頃に調査会の荒木先生を紹介していただきまして、今現在、大変お世話になっております。

 当時、鹿児島県指宿郡穎娃町馬渡海岸でゴムボートに乗った不審な人たちが目撃されて警察においては朝鮮総連幹部2名捕えられました。

 そんな事件の僅か二ヶ月後の両親の失踪事件があり、このようなことからも特定失踪者問題調査会の協力を得まして平成16年10月に鹿児島県警に拉致の疑いが濃厚であるとして告発状を提出し受理されました。

 情報と致しましては平成16年にフライデーという本に北朝鮮の脱北者で(権革:コン・ヒョク)という人が母の写真を見て北朝鮮で見かけているとの記事が掲載されました。
そして昨年11月頃より「母・園田トシ子と思われる女性が北朝鮮国内に生存している」旨の証言もあります。

 この外にも母らしいの証言が聞かされておりますので、

 私たちもその女性が!!お母さんなのではないか!!と思うようになりました。両親が失踪して38年、今年も又12月がやって参ります。年末が近づくにつれ、当時のことがつい先日のような思いで、悲しさがますます大きくなり胸がもうはりさけそうでなりません。二人共かなりの高齢になっております。父91才、母80才、何分にも時間がありません。体調も心配で仕方ありません。どんなに頑張ったところで年にはかてません。本当に心配です。

 私達は口に、言い表せない程の辛い年月を過ごしてきております。一日たりとも両親のことを思わない日はありません。

 拉致は重大な犯罪です。必ず救出されなければならない問題です。認定された家族も、私たち特定失踪者家族も思いは同じのはずです。

 両親の残されたわずかな人生を取りもどして下さい。

 そして、待ちわびた日本の地で、ふる里で、ゆっくりと休養させてあげたいのです。
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特定失踪者家族からの手紙 中村三奈子さん

2009-12-16 | 時流
■鳩山総理への手紙(中村三奈子さんの母、中村クニさん)

内閣総理大臣 鳩山由紀夫様             2009年11月2日

                      特定失踪者 中村三奈子(母クニ)
拉致問題の早期解決を

 娘の三奈子は、1998年4月6日高校を卒業してまもなく、突然行方がわからなくなってしまいました。いなくなった翌日韓国のキンポ空港に入国していることがわかりました。
なぜ、韓国へ行ったのか。誰と・何のために・どうして。

 私たち家族には疑問ばかりが残ります。

 日々娘の事を忘れるときはありません。残念でたまりません。

 調査をしてみると、高校を卒業したばかりの娘とは思われない疑問が残り、第3者の中年の女性の関わりが考えられます。

 日頃の様子から想像することができません。

 特定失踪者問題調査会からは、拉致の可能性を完全には排除できない失踪者として公表していただきました。

 拉致問題が一刻も早く解決したならば、多くの特定失踪者の方々もどんな状況でおられるかはっきりすると思います。

 先ごろ、皆様のご努力で、蓮池さんたちはじめ、地村さん、曽我さんたちのご家族が無事日本の地を踏むことができました。また、飯塚耕一郎さんと金さんとの対面が行われました。まだまだ未解決がたくさんあります。飯塚さんは、30年という長い間お母さんの帰りを待っておられます。飯塚さんと同じように拉致被害者・特定失踪者の全ての家族のかたがたもみな同じです。夢にまで見ながら皆さんどんなに待っておられるか良くご存知と思います。

 毎日どんな思いで家族は居られるか。ただただ家族に会いたい・娘にそして、息子に・子供に会いたいというごくあたりまえのことなのです。会って抱きしめたいと思うことです。

 さらに、居なくなった人たちは、どこで毎日どんなに苦しんでおられるか、想像を絶するものと思います。

 私の娘も高校を卒業したばかりの明るい18歳の娘でした。ミツ網をして毎日学校に通っていました。その娘も行方がわからなくなって11年が過ぎてしまいました。その間一回も連絡もなく、情報も得ることができません。いったい娘に何が起こったのか想像もつきません。

 今娘は、30歳になりました。どんなに思っても幼いときの娘を思い出すことはできても、現在の娘を想像することはできません。声をかけてあげることさえできません。

 是非一刻も早くこの拉致問題を解決し、私たちのもとに家族を連れてきてください。そして、多くの特定失踪者の方々の存在も明らかにしてほしいと思います。

 そのために、少しでも私たち国民に拉致問題に取り組んでおられる姿を伝えていただき、早期救出を実現してください。どうぞよろしくお願いいたします。
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特定失踪者家族からの手紙 古川了子さん

2009-12-16 | 時流


鳩山総理への請願書(古川了子さんの姉、竹下珠路さん)

内閣総理大臣 拉致問題対策本部長  鳩山 由紀夫 様

請  願  書
         
 平成21年11月2日
              特定失踪者 古川了子の姉 竹下珠路

このたびの選挙以来、次々と思いきった政策や改革を打ちだしていただいていることに感謝申し上げるとともに、北朝鮮による拉致問題の解決に向けても、その進展や解決に向けて、関係家族の一人として大いに期待申し上げております。

私の妹 古川了子は、昭和48年(1973年)7月7日に、前夜まで楽しみにしていた母との買い物を急にキャンセルしたまま、失踪しました。その後1991年ころ北朝鮮の915病院に入院していたところを、元北朝鮮の工作員であった安明進氏に目撃されています。家族はそのことを1997年になって知りました。

妹のほかにも、写真、目撃証言、状況証拠などから北朝鮮に拉致された可能性の大きい特定失踪者は、数十人から数百人にも上ると推測されていることはご承知の通りです。

鳩山総理大臣におかれては、数年前の確か日比谷公会堂でのご演壇だったと記憶しますが、御祖父さま鳩山一郎元総理のお話しに言及され、

「政治家は何よりも人の命を最優先に考えなければならないと教えられました。その教えを誠実に守っていきます」と明確にお話しされたことが、私にとっては何よりも力強いご発言として、心に深く残りました。

いま総理大臣として、物よりも人を大事にする政策、官僚主導よりも政治家主導の政策として種々打ち出して下さいますが、拉致問題についてはいかなる政策を打ち出していただけるのでしょうか。国交のない北朝鮮との交渉は、官僚の皆さま方も大変なご苦労をしていただいているとは承知していますが、今までの経緯を以て固定概念化した中での交渉、対策では、暗礁に乗り上げた現在の事態は打開できないと思います。今までの経緯をご理解いただきながら、今こそ新しい見方、新しい取り組みで北朝鮮に対峙していただきたく、心からお願い申し上げます。

以下に私が願いますことを書きました。誠に狭い範囲での考えかも知れませんが、長年待ちわびる家族の思いとして、少しでも進展する方法はないものかと考えました。

 記

1.鳩山内閣としてこの度新たな形で「拉致問題対策本部」を設置していただきましたが、対北朝鮮の戦略的な取り組みとともに、日本国内における実態調査も迅速かつ詳細に、実施して下さい。例えば、被害者の把握、犯行状況の把握、犯行の協力者の把握等。

そのための下部組織として国の捜査関係者とともに、特定失踪者問題調査会や救う会のメンバーなど一般人も入れた調査機関を作ってください。そして可能な限りすべての拉致の可能性を有する人々を現在の証拠主義ではなく、証言や状況判断などの総合的な判断からでも拉致被害者として認定できるような方法を検討して下さい。

曽我ひとみさん、曽我みよしさんの例をあげますと、日本国内には何の証拠もないまま、結果として拉致されていました。みよしさんは証拠がなくても被害者認定されています。

現在認定されていない人々が、10年後、20年後に死んでから認定されたのでは遅いのです。

2.調査の進展に伴って、逐次拉致の可能性の高い人々を「準認定(仮称)」または「拉致疑惑濃厚者(仮称)」として政府が氏名を公開して下さい。そのことにより北朝鮮への圧力となり、国内の行政機関が真剣に取り組み、一般市民の意識が高まり、人権問題に真剣に取り組む日本政府の姿勢が国際社会でも高く評価されることと存じます。現在は民間の任意団体である特定失踪者問題調査会から公開されているものの、残念ながら地方行政においての認識は、まだまだ大変低いものであります。

3.北朝鮮の緊急事態に備え、もしもの場合に拉致被害者全員を安全に救出できるよう、日本の専門家はもちろん、北朝鮮からの脱北者やその関係者、北朝鮮と外交のあるイギリスその他諸外国からも積極的に情報収集し、北朝鮮の国内情報を広範囲に収集したうえ、日本国としての対応が迅速にできるよう準備をお願いします。

古川了子は18歳で拉致をされてから、この7月7日で36年が経過し、もうすぐ55歳の誕生日を迎えます。母朗子も93歳になりました。ひと冬ひと冬ぎりぎりの所で命をつないで娘の帰りを待ちわびています。どうぞ命のあるうちに親子が再会できるよう、あらゆる方策を駆使し、国の威信をかけて、すべての拉致被害者全員を一日も早く救出して下さい。

心よりお願い申し上げます。
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特定失踪者家族からの手紙 大澤孝司さん

2009-12-16 | 時流


■大澤茂樹さん(大澤孝司さん兄)からの嘆願書

 11月2日に対策本部で渡された大澤孝司さんのお兄さんである大澤茂樹さんから鳩山総理への嘆願書です。

鳩山由紀夫 内閣総理大臣兼拉致問題対策本部長 殿

特定失踪者救出嘆願書


8月の衆議院選挙は民主党圧勝で、待望の鳩山由紀夫新政権が誕生しました。

マニフェストの公約に示された諸問題をはじめ、今までの自民党政権にはできなかった政治により、安全で安心で住みよい国に改革されるよう切望いたします。

私の弟、大澤孝司は、昭和49年2月24日、新潟県職員として佐渡の農地事務所に赴任中事件に遭いました。日曜日で寄宿舎の食堂が休みのため、近所の飲食店に夕飯を食べに行き、その帰り突然行方不明となりました。

事件当時、新潟県警に大掛かりな捜索をして頂きましたが見つからず、35年が経過。人生これからという時期を奪われてしまいました。現在63歳になりますが、その後の再調査で、北朝鮮による拉致の疑いが濃厚との見解を新潟県警より頂いております。

私ども家族も、失踪時の状況証拠から見て拉致に間違いないと確信しておりますが、残念ながら政府認定には至っていません。弟のように拉致の疑いが排除できない濃厚な方々は、特定失踪者問題調査会の中に70数名いると聞いております。
このままでは未認定被害者は、日朝実務者協議の交渉テーブルにのることもできず一生帰国することができません。疑わしき者は全て政府認定に格上げとし、全容解明に向け取り組んで頂きたい。

7年前、小泉純一郎元首相が訪朝、地村保志さんら5名の拉致被害者と、その家族を取り戻して頂きました。その後交代の安倍、福田、麻生自民党政権も、拉致問題の解決を国政の最重要課題としながら何一つ解決できていません。したたかな北朝鮮相手の交渉であり、想像以上の難問と思います。特に金正日は面子を重んじ、且つプライドが高く、六ヶ国協議の枠内だけで解決できるのでしょうか。

先般、アメリカ人女性記者拘束事件は、クリントン元大統領特使が訪朝、金正日と直接交渉することで解決できました。やはり、小泉元首相のように鳩山由紀夫首相と中井洽大臣にも訪朝して頂き、直接金正日とトップ交渉をして頂けなければ、拉致問題の全面解決はあり得ないものと思います。ご検討をお願い致します。

拉致は国家主権の侵害、且つ重大な人権侵害であり、国の責任において一刻も早く被害者全員を救出するというなりふり構わぬ覚悟で、新政権の取り組みをお示しして頂きたくお願いいたします。
平成21年11月2日
特定失踪者 大澤孝司の次兄 大澤茂樹
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特定失踪者家族からの手紙 藤田進さん

2009-12-16 | 時流


■藤田隆司さん(藤田進さん弟)からの手紙

  11月2日に対策本部で渡された藤田進さん(同姓同名の特定失踪者がもう一人新潟におられますのでご注意下さい)の弟さんである藤田隆司さんから鳩山総理への要請書です。



拝啓 鳩山内閣総理大臣 殿

わたしは埼玉県川口市に生まれ育ち今も住んでいる 藤田隆司(51)と申します。
5年ほど前に岡村川口市長と関係家族の皆様と共に、国会内の民主党の部屋にて、拉致問題の早期解決・真相究明・被害者の早期救出のお願いに同行させて頂きました。

今から約33年前の、昭和51年2月7日に、私の兄(藤田進・当時19・大学1年)は、川口の自宅を出たまま失踪し行方不明の状態が今も続いています。

 兄 藤田進は昭和31年生まれで生きていれば、53歳です。川口の自宅で生まれ失踪する19歳までずっと川口に住んで、将来の夢(体育教師)を追い求めていた、生き生きした青年でした。

今から約5年前に1枚の写真が日本に届きました。その写真の人物が兄 藤田進であることが橋本正次先生の鑑定によって、本人であることが判明しています。平成16年8月1日にTBSの報道特集で報道され、それ以来多くのマスコミにも私は出演し講演もしてきました。しかし、体調を崩し、約5年間何もできない状態が続き皆様にご迷惑やあらぬ噂まで飛び交うことになってしまいましたが、体調も回復し兄の件で何とか真相の究明や救出に向けて何でもやっていこうと改めて決意しました。

私の兄は北朝鮮に拉致されたことの裏づけとなる証言や蓋然性は、この写真以外にも数多くあります。なのに、未だに認定すら受けていません。私が知る限りの情報はすでに川口警察、外務省、公安、等関係するであろう省庁にはすべてお伝えしています。

調査会では約500人、警察は約1000人の未解決失踪者を把握しています。このかたがたの多くは北による拉致の可能性が非常に高いと思われます。もし拉致だとすれば、日本の歴史史上、最大で最悪の人権侵害が現在も続いていることになります。世界史上でも最大級の事件であり、あってはならないことです。

 一刻も早く、あらゆる方策を実行し全面解決解明に向けて、日本のすべてを総動員して政府が主体的に行動を起こしていくことを切に切におねがいするものです。
中井拉致担当大臣が就任し、自民党にできなかったことをぜひ実現して頂きたいと願います。拉致被害者の帰国・救出は 日本のほぼすべての意志であり、多くの拉致被害者が人権侵害にあっていることを全世界に発信して頂きたいと思います。日本の真っ当な揺るがぬ意思を北朝鮮当局に明確に伝えて下さい。

 拉致したすべての人を母国に還さない限り国交の正常化はありえない事、見返りを求める交渉には応じない事、無条件ですべての拉致被害者を日本に返すことを強く強く要求し続けて下さい。

 現政権の朝鮮労働党の金正日とその親による日本人拉致指令は、紛れもない事実です。その指令に従って多くの日本人の若者が今も北朝鮮のどこかで、拉致・監禁・拘束され続けています。北朝鮮からの指令を受けて拉致の計画や実行した人物や団体を早急に探り当て、公表してください。

5年前に写真が日本に届いている藤田進の弟 藤田隆司

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特定失踪者家族からの手紙 薩摩勝博さん

2009-12-16 | 時流



■品川貴美子さん(薩摩勝博さん妹)からの手紙

  11月2日に対策本部で渡された薩摩勝博さんの妹さんである品川貴美子さんから鳩山総理への要請書です。

総理 鳩山由紀夫様

拝啓

 この度、このような機会を与えていただきましてありがとうございます。このような場に出ていいものかどうか随分迷いました。なぜならば、私の兄 薩摩勝博は、北朝鮮にいるという証拠が何もないからです。

 ただ、三十六年前、失踪当時の様子からいくつかの疑問点があり、横田めぐみさんのことが明らかになって以来、徐々に拉致された可能性があるということを強く思うようになりました。

失踪した一九七〇年代は蓮池さんたちのように、カップルで拉致されている方たちが何組かいるということですが、兄も当時、結婚を約束した人(訳があり公開されていない)を家に送って行くといってそれっきりでした。

 「救う会」のみなさんと活動していくうちに兄のように拉致された可能がある方が、たくさんいるということを知りました。

 横田さんのように悩み苦しむ姿をみるにつけ、心痛みますが、私たちもまた別の意味で苦しんできました。

 どうか、拉致された人たちを皆、連れ戻せるよう、今まで以上にお力を入れていただきますことを心からお願い致します。
                                      敬白
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特定失踪者家族からの手紙 早坂勝男さん

2009-12-16 | 時流


■早坂勇治さん・胞吉さんからの要請書

 11月2日に対策本部で渡された早川勝男さんのお兄さんである勇治さん、弟さんである胞吉さんから鳩山総理への要請書です。

内閣総理大臣 鳩山由紀夫殿


要請書

北朝鮮による拉致に対する様々な諸問題に対し、日頃より特別の御配慮と御尽力を頂き、心よりお礼申し上げます。

さて、私たちの弟、早坂勝男 —宮城県加美町(旧小野田町)出身— が、昭和43年に東京都内で行方不明になってから、すでに41年が経過しております。勝男は印刷技術者で、同時期に印刷工の行方不明者が東京都で多発していることなどから、「北朝鮮が偽札造りのために拉致したのではないか」とみられています。勝男の父は昭和56年に、母も平成5年に、息子の安否も分からぬまま他界しました。

 私たちは平成15年、特定失踪者問題調査会の御協力を頂き、失踪の事実を公表するとともに、北朝鮮による拉致として政府に認定して頂きたく地道な署名活動を行ってまいりました。勝男の無事を一日も早く確認して頂きますよう、よろしくお願い申し上げます。

 これから日本の国民にも、北朝鮮の国民にも、世界の人々にも、そして未来の子供たちにも恥ずかしくない日本政府の行動が求められている現在だと思います。何卒よろしくお願い申し上げます。

平成21年11月吉日

特定失踪者早坂勝男兄 早坂勇治 弟 早坂胞吉

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特定失踪者家族からの手紙 河嶋功一さん

2009-12-16 | 時流



■総理への要望書(河嶋孝浩さん、愛子さん・ご自宅住所は省略してあります)

内閣総理大臣 鳩山 由紀夫 殿
内閣官房長官 平野 博文  殿  各関係閣僚殿
外務大臣 岡田 克也  殿
国家公安委員長兼拉致担当大臣 中井 洽 殿
                2009年11月2日

政権交代 新内閣誕生、おめでとうございます。
この度は大変お忙しい中、誠にありがとうございます。
                失踪者         河嶋 功一
                   静岡県浜松市
                     保護者 父  河嶋 孝浩
要望書

1982年3月21日神奈川県横浜市金沢区州崎より行方不明になっている (特定失踪者問題調査会が拉致濃厚とされる1000番台リスト) 静岡県浜松市、1958年5月5日生まれ河嶋功一 行方不明当時23歳は、1982年3月20日関東学院機械工学科を卒業し、既に地元浜松に就職も決まり、翌21日上記住所の下宿先に本人の迎えと荷物を引き取りの為、車にて上京し荷物積載中に生憎雨が降り出し、ルーキャリアの荷物を室内に入れた為、息子の乗るスペースがなくなり、9時半頃、新幹線で浜松に功—は帰ることになり、下宿より30m位先の曲がり角まで見送り、私達に「事故に気をつけて帰って」と気使いの言葉を残し別れ、私達が浜松に到着した時には先に帰って居るはずの功—の姿は有りませんでした。

私達は一端荷物を降ろし、再び横浜へと引き返し関東学院大学に行き、お世話になった先生にお目に掛かり、事情を話したところ、まだ帰郷していない卒業生の人達に声をかけて下さり?日中探したが、誰?人息子に逢った人はなく,取り敢えず横浜南金沢警察署に捜索願を3月22日提出し、浜松中央署にも提出するように勧められ翌23日出し、その後二年毎に捜索願と本人不在の住民票を更新し現在に至っております。

捜索願を提出して有るにも関わらず住民票の中に不明なところがあり、当時安倍晋三幹事長にもこの点を調査して戴きたくお願い致して参りましたが、神奈川県警察署からは、24年と言う歳月が立ち時間の空白が壁になり書類がすでに破棄されているから調査のしようがない、との返事が有りました。私は何の為に捜索依頼をして来たのか疑問です。

 24年前金沢警察署の方が、大学卒業したばかりの若者が1日や2日帰らなくても、と一笑され、あの時きちんと捜索して頂いていたなら、今こんな苦しみはしなくてもと、とても悔やまれてなりません。

 2002年当時小泉総理が訪朝し、蓮池さん達三家族が帰って来た時、息子功一も拉致されているのでは、と思い特定失掠者問題調査会の存在を知り、—度依頼をするように友人に勧められ、2003年2月に同調査会に連絡し、功—の行方不明を報道で知った中学・高校時代の同期生や同窓生の人達が「河嶋功—君を探す会」を結成し、私達家族を精神面で暖かくサポートしてくれています。今まで功—ではとの情報も何度か寄せられ2006年には韓国まで情報を確かめに行き、今年6月、週刊現代にミサイル、ロケット開発者をたたえる写真「金正日と拉致被害者」が掲載され、この拉致被害者は『浜松の河嶋功一』であるとの情報がもとらされ、7月1日、『特定失綜者問題調査会の人達や特定失綜者家族』—緒に前政府河村建夫官房長官に、写真の解明とその真相究明を要望書にしただめ提出いたしましたが回答を得られないまま9月に政権交代になりました。

 新政府に—日も早い本件の真相究明の今後に期待しております。ここに北朝鮮から送られたた写真と多勢の支援者の署名と要望書を添えて提出いたします。

私達家族は今までは、「探す会」の人達と夫と共に捜索活動をお願いしてまいりましたが、夫、孝浩は脳梗塞のため2、3年前から痴呆となり今又、脳卒申で病床に伏し危険な状態になっております。

 この写真の真相究明は私達にはどうする事もできません。新政権に期待し、重ね重ね解明をお願い申し上げます。功一であると証明されますれば病床の夫孝浩に北朝鮮で無事功一は暮らしていると知らせる事もできます。行方不明者本人はもとより、こうした家族も皆高齢となり—刻の猶予もありません。政府拉致認定者だけではなく、こうして待ち続ける行方不明者家族を見捨てないで下さい。

鳩山新政権の力で拉致問題の—日も早い解決を宜しくお願い申し上げます。

お詫び 本来なら自筆にてお願いする事が本意では御座いますが、昨年暮に頚椎損傷の怪我の為、筆を持つ事が出来ず乱文にてのご無礼をお許し下さい。

                  依頼者 母  河嶋 愛子
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◆―東京ブルーリボンの会―◆カンパ提出報告

2009-12-05 | 時流
◆―東京ブルーリボンの会―◆は、

10月~現在までの活動で集まったカンパなどを、12月4日、特定失踪者問題調査会に届けました。


 
 10月 4日渋谷街頭活動・・・・・33266円
 11月15日渋谷街頭活動・・・・・34217円
 11月 7日しおかぜグッズ販売・・39000円

   (川崎青年会議所の勉強会にて)

以上を、特定失踪者問題調査会に、しおかぜ支援金として届けました。

少しでも、力になれるよう、これからも、努力して参りたいと思っています。



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憂い・・、政争の中でまた拉致は停滞するのか?

2009-07-20 | 時流


2002年9.17から7年、何度選挙があったでしょう。
流動的に動く日本の政治、それに対して、北朝鮮は、悔しいかな、頑ななまでに一本の筋が通っています。
この夏、また選挙で、拉致解決への具体的動きは、停滞するのでしょうか?
真夏の選挙、約一ヶ月、日本中が選挙に巻き込まれます。
こうやってコロコロ党首が代わり、政治が流動化する日本。
いつまで経っても具体的に被害者を救えない日本!

早紀江さんが訴えています。


◆横田さん、「選挙の間も被害者の命が」

拉致被害者、横田めぐみさんの母・早紀江さんは静岡県裾野市で「国会議員が政権交代を争っている間に、北朝鮮で命を落とす拉致被害者がいるかもしれない」と述べ、拉致問題の解決を急ぐべきだと訴えました。

 「自民と民主との競争というか、そういう中で何を選ぶかとか、いろんなことがごちゃごちゃになっている。そんなことを言っている暇にも命がなくなるかもしれない人たちがいっぱいいるということをもっと考えてもらいたいと思う」(横田早紀江さん)

 横田さんは解散・総選挙が近づく中、拉致被害者と家族にとっては時間だけが過ぎていくと述べました。

 その上で、「拉致問題解決の重要性について発言する政治家が少ない。こんなに長い年月、日本国民の命にかかわる問題が放置されたままでよいのか」と不安を訴えました。(18日23:54)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4187743.html
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裾野市の集会は、昨年も多くの参加者が集まり温かい集会だったと聞いています。
連日の講演で家族はどれだけ疲れているでしょう?

選挙中であろうが、何であろうが、何としても被害者を救い出すと言う気概を、外務省官僚の皆さんに求めたい!
日本の政治家のみなさん!
今、溺れそうになっている命が、北朝鮮にたくさん閉じこめられているということを、肝に銘じてください。

心ある日本人の皆さん!
26日、渋谷に集まってください!
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<貨物検査法案>成立に、協力せよと民主党にメールを!!

2009-07-16 | 時流
自民党の協力要請にも、そっぽを向く民主党幹部。

船舶に関する法律は、民主党の中にも、賛成の議員の方が多いと思います。
その成立を阻む意味は、やはり、党勢を拡大したい=麻生さんを貶め、政権交代に繋げたいという民主党幹部の意識だと思います。

一部、社民よりの議員もいますが、その影響とは思えない、今回の態度!!

党派を越えてこの法律の成立を図ることは、国家命題=世界に対する公約実現です。

この法律に関しては、民主党は、審議に協力すべきです!!

苦しみ続けている拉致被害者と、年老いて次々と亡くなる被害者家族の命を見捨てるような政党に私たちは日本を預けることができないと!

そのことを伝えましょう!

早紀江さんは、きっと今日も、怒りと哀しみで眠れないでしょう。
早紀江さんの代わりに私たちが、その声を届けなくてはなりません!



みなさん、

民主党に、
『<貨物検査法案>成立に、協力せよ』    というメールを  送ってください。


民主党にご意見

民主党HP



↑↑↑から、送れます。
拡散、転載大歓迎です。



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涙雨と共に渋谷は燃えた!

2009-06-02 | 時流
絶対降るな!と祈りで、渋谷の空に雨を押し込めて、準備が始まりました。
このまま降らなければ・・と思いながら、12時を迎えると、なんとぽつりぽつりと雨が・・

とうとう ◆―東京ブルーリボンの会―◆(=BRT)の街頭にも初めて雨が降りました。

これは、北朝鮮に囚われているめぐみさんの涙だと私は思いました。
囚われの人たちは、長い間苦しんでいるのです。そして、また北朝鮮はミサイル、核実験と暴挙を繰り返している。。

そんな北朝鮮と救い出してくれない日本という国に、被害者は、きっと恨みの涙を流しているはずです。

今日渋谷に降った雨は、きっと彼等の悔し涙です。恨みの涙です。

私は、強く降り始めた雨をカッパで防ぐことをやめました。
なぜなら、その涙を身体で感じなければならないと思ったからです。

雨の中ですから、とても署名は無理、最初は、リボン配付とチラシに徹しました。

署名を集めずにリボンを配る。。。。
私は、このブルーリボン配付は、渋谷では市民権を得たように思いました。
後半は雨も収まって、署名を集め始めたのですが、その時には、リボンパッケージは、そこをついていたのです。

緊急で、しかも昨日は大規模なデモもあり、今日のボランティア人数は多くはなかったのですが、それでも、参加者の温かい協力と、それぞれの力で、掲示も工夫され、一歩進化した街頭活動です。

交差点を横断するのぼりとパネルは、遠くからも目立ちました。

早紀江さんから届いたリボンは、解決への願いを多くの人に伝えました。

始まる前、『今日はいけないけれど、頑張って』 というエールの電話がはいったり、認定被害者の家族が一人も参加しないのに、TBSが取材カメラを派遣してくれ・・・

それぞれの関係者の温かさを、ありがたく思いました。
TBS動画
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4146357.html

    

 

 


参加してくださった皆さん、応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

雨の中の活動を、どうしていくか、いろんな検討課題がありますが、いつか、めぐみさんが笑顔で渋谷の町を歩くときがくれば、きっと青空が祝福してくれると、私は信じています。

今後とも、どうぞ御協力をお願いします。

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  横田夫妻、北朝鮮の姿勢を強く批判
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 横田滋さん・早紀江さん夫妻が、31日午前、愛知県豊橋市内で講演し、核実験やミサイル発射を繰り返す北朝鮮の姿勢を強く批判しました。

 「今は何が飛んできているのでしょうか。(ミサイルの)先に核がつけられたとき、日本は、世界はどうなるんでしょうか」(横田早紀江さん)

 横田さん夫妻は北朝鮮が拉致問題を解決せず、核実験やミサイル発射を繰り返しているとして、国際社会に強く抗議の声をあげるべきだと訴えました。

 また、横田さん夫妻は講演の中で、子どもを拉致された親としての、現在の切実な思いなどを語りました。

  「“必ず助けてあげるから”と何度泣いたか知れません。新潟にいるときの20年で涙が全部流れ出てしまったのか。このごろは涙が出てこない。悲しくて苦しくて・・・。悲しみを中に閉じこめながら頑張っているんです」(横田早紀江さん)


 「親と子が一緒にいるのは当たり前のことだろうが、それができない人がいることを考えて生活していただければと思っています」(横田滋さん)

 また、拉致被害者家族の支援者らも、雨が降る東京のJR渋谷駅前で北朝鮮の核ミサイル問題について抗議するとともに、拉致問題への理解を訴えました。(31日20:37)
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蒲田行進曲フェスタの署名活動

2009-04-20 | 時流
『蒲田行進曲フェスタ2009春』は地域の商店街を中心にした駅前フェスティバルです。

今回このフェスタで、拉致被害者奪還のための署名とカンパを呼びかけることになったのは、東京ブルーリボンの会の街頭にも駆け付けてくれた、中里アミさんの歌を聴き、横田滋さんとその歌を歌ったことがきっかけで心を動かされた、『蒲田大好き委員会』の望月会長の発案だそうです。

       


  


      


  




東京ブルーリボンの会は、署名活動に、のぼりとリボンパッケージとチラシ・ポスターを提供しました。

街頭活動をやるのは初めてなのでという相談を受け、少しだけお手伝いをすることにしました。

朝11時頃蒲田に到着。
すでに駅前はにぎわっていました。
音楽演奏、子供のバトン披露など、ステージでは様々な出し物が繰り広げられていました。
交通事故遺児への募金活動や消防団の入団案内活動など地域に密着したグループも見られます。
本部席に、チラシとリボンパッケージを届けに行くと、すぐに事務局の若い人たちが、リボンを着けてくれました。

青年会議所、区議、都議もたくさん集まっています。
更に商店街婦人部の皆さんも、たくさん集まって署名活動を展開しました。

その地域の有力者が動くと、こんなにも大きな力になるのだと、感激しました。

松原大田区長も挨拶の時に、この署名にも触れてくださっていました。

とにかく、明るく、そして積極的な取り組みです。

こういった活動も大切だと思いました。

私は仕事があったので、最初だけ見せてもらいましたが、中里さんが歌った頃には、きっと盛り上がりは最高潮だったと思います。

カンパは、調査会と救う会に振り分けると聞きました。
署名用紙は、救う会のもの。
ブルーリボンバッジも用意されていて、素晴らしい!

どのくらい集まったか報告を聞くのが楽しみです。

こういう人たちの心が、重なり合って積み重なっていけば、必ずめぐみさんを救うことができると思いました。

家族が参加しなくても、議員も地域も、商店街も一緒になって取り組めばこんなに素晴らしい活動になるのだと思いました。

蒲田の温かい人情と人の優しさを感じた活動でした。
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巣鴨4.18報告

2009-04-19 | 時流
ボランティアも、ご家族も本当にいそがしいなか、20名ほどの参加者を得て街頭活動を行いました。初めて参加してくれた方が多かったのは、本当に嬉しい事でした。
事前に近隣の店舗にご挨拶をすると、以前の活動を知っている店員さんも多く『頑張ってください』という声も頂き、勇気づけられました。

できるだけ特定の店舗にご迷惑をかけないよう配慮し、マイクも控えめにして活動を行いました。
やはり巣鴨は温かいです。
今回は、ベースキャンプの位置を少しずらして、ボランティアの御協力で掲示にも工夫をしました。
立ち止まって写真やポスターを見てくれる人も多く、めぐみさんの小さいときの写真を食い入るように見て、『こんなに可愛い子を連れて行っちゃって、ひどい国だよね』と声をかけてくれる人もありました。
東京特定失踪者48名のパネルを見て、『こんなに連れて行かれたのかもしれないんだねー』と言う声に、『みなさんと何処かですれ違っているかもしれない人たちですよ』というと、失踪年月日などを真剣に見入る姿もありました。


署名総数 ---638筆

カンパ総額---42,321円


増元照明さん、飯塚綾子さん、特定失踪者ご家族の宮本さん(宮本直己さんのお父様)、鈴木智さん(鈴木賢さんのお兄さま)、山際澄夫さん、有田芳生さんも参加。みなさん前後に予定を抱えていて出入りも多かったのですが、懸命に訴えてくれました。


いつもより少ない人数としては、ある程度の成果と思っています。
活動の中で、5.6の国民大集会の案内チラシも配付。
『誰でも参加できます』と案内をしました。


     
 

  


  


御協力いただいたみなさん。応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
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