4/10神奈川集会での北朝鮮難民救援基金の方のお話
こんにちは、今回お話しをさせて頂き本当にありがとうございます。
「北朝鮮難民救援基金」は98年に設立されて、設立されてからずっと様々な北朝鮮難民に対する救援活動をしてきました。
私はその中で私の心を一番温かくする救援活動のひとつは、「教育里親制度」です。
それは、「何処で生まれた子であれ、どの国の国籍を持つ子であれ罪のない子供達を一人でも守りたい」という気持ちで、里親になってくださった日本の方々の国を超えた愛が、今も難民の子供達の命を守り続けているのです。
今、北朝鮮難民の子供達は本当に重労働や売春 寒さ、飢えで、ほんとに様々な危険にさらされ、命を、その小さな命を落とし続けているんですね。
今も飢えから逃れようと北朝鮮から山を越え、川を越え何日も歩き続けて、国境を越える子供が居ますね。私も以前、中国の国境沿いの白頭山の山の奥に~で(不明)登ったことがあるんですが、その時に、6人の子供達がとぼとぼ(もうまっ白なんですね、雪で)歩いてくるのに遭遇しました。で、(感極まる)
その時子供達の口から聞いた言葉は(涙で言葉がつまる)「私達が何とか国境を超えて働いて~おとうさん、おかあさん、みんな食べられなくて寝たきりになってしまったんですね~でも、おばあさんや、おじいさんに食べさせたい」 という一言でした。(涙でしばらく話せない、会場無言)
北朝鮮の子供達は、食べられなくて、15才16才17才でも日本の小学生より小さいんです。その時会った子供達もそうでした。ほんとに日本の小学生より小さいです。(涙・・)
場所を話せないんですけど、今第3国に逃れている子供に会ったことがあるんですが、-ふたごだったんですけど-。初めて私、幼稚園だとおもったんですね。で聞いてみたら、「15才」と言うんですね。寝てる姿をみたら、胸が出っ張っているですよね。「何で胸がでっぱってるんだろう?たくましいな」って思ったんですけど。
北朝鮮内で学校に行っても、ずーと重労働をさせられていて、土とかを背負って歩いたり、そういう重労働ばかりしていて、成長できなくて押されて、それで胸が出っ張って来るんだそうです。
このような子供達、北朝鮮と中国の国境の町に逃れている子供たち、大勢います。ホントに命を落としつつある。
その中には日本を故郷に持つ、親を持つ在日の方や片親が日本の方の子供もいますね。今貴重なお話しを聞いたのですが、
拉致被害者のこどもがそこにいないと断言できません。いるかもしれないです。
その子供達を助けること、その救いの手を差しのべる一人が、本当に切実に今必要な時ですね。
わたしがここに立っているのは・・。
中国の公安は、北朝鮮の難民の子供達や弱いおじいさん、おばあさんを助ける人は罪とするんですね。それで、逮捕して刑務所に入れるんです。中国の国境地帯の朝鮮族の人たちも逮捕されて、家まで全部罰金でなくした人も、私、見てます。
それで(朝鮮族の人たちも)だんだん冷たくなって、まず自分が苦しいので助けることができなくなって。。。。。前に行った時は、家に入る門の横で、川をわたったところなんですが。冬、川を渡ると濡れ着のままですね。着替えもなくて、寒さで(家に)入りたいんですが、入らせてくれないんですね。朝起きてドアをあけたら、その横で昨日は生きていた人がそのまま、凍死で、凍って死んでいたという話も聞いていますね。(怒りと涙)
このような(子供達に対する)助けが切に必要です。
今みなさんお手元にある資料の中に「要請文」(安忠学(アン・チュンハク)氏の早期釈放を求める嘆願書?)がはいっていますね。この方は、もともと北朝鮮からシベリアに木材伐採工として派遣されて、そこがあまりにも厳しい状態で、人間じゃない扱いされて、ひどいところだったので、脱出して、外国船に乗って、韓国に着いたときは失神状態だったそうです。
その方は苦しい悲惨な思いで韓国に1994年に入って、95年に韓国籍をとって、キガ自動車という韓国の会社の社員になって、結婚して、今は5才のこどもがいます。その方がたまたま仕事関係で中国に入って--自分の弟も中国にはいって救ったんですが--自分の経験した悲惨な思いから、仕事で中国に入るたびに難民を助けたそうです。
今年の2月4日に仕事関係で、中国の延吉の空港に入ったそうです。中国公安は着いたとたんに何にも理由を告げずに、いきなり逮捕して、そのまま監視所に連れて行かれてしまったんです。只、逮捕して監視所に入れっぱなしです。今もずっとその状態です。
(それなのに)韓国の外交部はは何にも動いてくれません。
私が先週その奥さんの所を尋ねてきました。それで奥さんがいうのは、「自分の夫がどんな死ぬ思いで北朝鮮から逃れて、2日間失神状態で、それで救われた命なのに、そこで(難民に)目をそらし事ができずに手を差し伸べたことが、何故罪になって、何故逮捕されなくていけないのか」って、韓国政府に訴えたそうです。
でもその奥さんが私に話してくれたのは、「韓国政府は力がない。韓国は自分の国のひとりひとりが(国民が)外国であんな状態なのに何にも動いてくれない。もう、この情けなさを、それを何処に訴えればいいのか。。」と私に涙ながらに言ってくれました。
安忠学(アン・チュンハク)氏とその家族がどうなっているのか、署名してくださる方に、説明したいと思います。
1994年に韓国に入国して、(8月に入国したんですが)家族は、その2ヶ月後の10月に家族全員、おとうさん、おかあさん、そして下の二人の息子夫婦、全部強制離婚させられて、家族はバラバラになって追放されたそうです。追放される直前にお母さんは××で亡くなって、追放された所は特別なところで、食物が出ない、何にも食べ物のない、飢えても何にも出ないところだったんですね。
食べるもののないところに送られるんだそうです。お父さんは、飢え死にでその一年後に亡くなって、2番目の弟は、そこで当時10才の男の子と7才の女の子を飢え死でなくして、2番目の弟は自分の家族をなくして、中国に脱出したんですね。その時中国で洗礼を受けて、もう一人の弟が残っているので、弟のことや、自分の周りの人の悲惨さが頭からこびりついて離れないので、僅かな食糧と僅かなお金を持って北朝鮮に戻ったそうです。
1998年に戻って、その後北朝鮮の保安部に捕まえられたそうです。保安部の集団に囲まれて、みせしめのために見物人が集められて、(その時弟もいたそうです。)みんなの前で打たれて打たれて、「貴方は金正日を信じるのか?神様を信じるのか?」「どっを選ぶのか?」と聞かれて、2番目の弟は「私は神様を信じる」と答えたそうです。最後まで屈しなかったので、そうしたらそのまま打たれて、撲殺されたそうです。
それを最後の弟がみて、韓国に2005年渡って、その話をしてくれました。
その方のために、みなさん是非とも協力していただきたいんです。
奥さんの言った「韓国の政府の情けなさ」を、皆さんの署名をもって、又その力をもって、そのことを訴えるために是非とも協力して頂きたいんです。
これからも、ずっと関心を持ち続けてください。
何処の国の人間でもみんな同じ人間ですね。
関心を持ち続けていただけたら本当に幸せです。
よろしくお願いします。
ありがとうございました。
署名用紙
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こんにちは、今回お話しをさせて頂き本当にありがとうございます。
「北朝鮮難民救援基金」は98年に設立されて、設立されてからずっと様々な北朝鮮難民に対する救援活動をしてきました。
私はその中で私の心を一番温かくする救援活動のひとつは、「教育里親制度」です。
それは、「何処で生まれた子であれ、どの国の国籍を持つ子であれ罪のない子供達を一人でも守りたい」という気持ちで、里親になってくださった日本の方々の国を超えた愛が、今も難民の子供達の命を守り続けているのです。
今、北朝鮮難民の子供達は本当に重労働や売春 寒さ、飢えで、ほんとに様々な危険にさらされ、命を、その小さな命を落とし続けているんですね。
今も飢えから逃れようと北朝鮮から山を越え、川を越え何日も歩き続けて、国境を越える子供が居ますね。私も以前、中国の国境沿いの白頭山の山の奥に~で(不明)登ったことがあるんですが、その時に、6人の子供達がとぼとぼ(もうまっ白なんですね、雪で)歩いてくるのに遭遇しました。で、(感極まる)
その時子供達の口から聞いた言葉は(涙で言葉がつまる)「私達が何とか国境を超えて働いて~おとうさん、おかあさん、みんな食べられなくて寝たきりになってしまったんですね~でも、おばあさんや、おじいさんに食べさせたい」 という一言でした。(涙でしばらく話せない、会場無言)
北朝鮮の子供達は、食べられなくて、15才16才17才でも日本の小学生より小さいんです。その時会った子供達もそうでした。ほんとに日本の小学生より小さいです。(涙・・)
場所を話せないんですけど、今第3国に逃れている子供に会ったことがあるんですが、-ふたごだったんですけど-。初めて私、幼稚園だとおもったんですね。で聞いてみたら、「15才」と言うんですね。寝てる姿をみたら、胸が出っ張っているですよね。「何で胸がでっぱってるんだろう?たくましいな」って思ったんですけど。
北朝鮮内で学校に行っても、ずーと重労働をさせられていて、土とかを背負って歩いたり、そういう重労働ばかりしていて、成長できなくて押されて、それで胸が出っ張って来るんだそうです。
このような子供達、北朝鮮と中国の国境の町に逃れている子供たち、大勢います。ホントに命を落としつつある。
その中には日本を故郷に持つ、親を持つ在日の方や片親が日本の方の子供もいますね。今貴重なお話しを聞いたのですが、
拉致被害者のこどもがそこにいないと断言できません。いるかもしれないです。
その子供達を助けること、その救いの手を差しのべる一人が、本当に切実に今必要な時ですね。
わたしがここに立っているのは・・。
中国の公安は、北朝鮮の難民の子供達や弱いおじいさん、おばあさんを助ける人は罪とするんですね。それで、逮捕して刑務所に入れるんです。中国の国境地帯の朝鮮族の人たちも逮捕されて、家まで全部罰金でなくした人も、私、見てます。
それで(朝鮮族の人たちも)だんだん冷たくなって、まず自分が苦しいので助けることができなくなって。。。。。前に行った時は、家に入る門の横で、川をわたったところなんですが。冬、川を渡ると濡れ着のままですね。着替えもなくて、寒さで(家に)入りたいんですが、入らせてくれないんですね。朝起きてドアをあけたら、その横で昨日は生きていた人がそのまま、凍死で、凍って死んでいたという話も聞いていますね。(怒りと涙)
このような(子供達に対する)助けが切に必要です。
今みなさんお手元にある資料の中に「要請文」(安忠学(アン・チュンハク)氏の早期釈放を求める嘆願書?)がはいっていますね。この方は、もともと北朝鮮からシベリアに木材伐採工として派遣されて、そこがあまりにも厳しい状態で、人間じゃない扱いされて、ひどいところだったので、脱出して、外国船に乗って、韓国に着いたときは失神状態だったそうです。
その方は苦しい悲惨な思いで韓国に1994年に入って、95年に韓国籍をとって、キガ自動車という韓国の会社の社員になって、結婚して、今は5才のこどもがいます。その方がたまたま仕事関係で中国に入って--自分の弟も中国にはいって救ったんですが--自分の経験した悲惨な思いから、仕事で中国に入るたびに難民を助けたそうです。
今年の2月4日に仕事関係で、中国の延吉の空港に入ったそうです。中国公安は着いたとたんに何にも理由を告げずに、いきなり逮捕して、そのまま監視所に連れて行かれてしまったんです。只、逮捕して監視所に入れっぱなしです。今もずっとその状態です。
(それなのに)韓国の外交部はは何にも動いてくれません。
私が先週その奥さんの所を尋ねてきました。それで奥さんがいうのは、「自分の夫がどんな死ぬ思いで北朝鮮から逃れて、2日間失神状態で、それで救われた命なのに、そこで(難民に)目をそらし事ができずに手を差し伸べたことが、何故罪になって、何故逮捕されなくていけないのか」って、韓国政府に訴えたそうです。
でもその奥さんが私に話してくれたのは、「韓国政府は力がない。韓国は自分の国のひとりひとりが(国民が)外国であんな状態なのに何にも動いてくれない。もう、この情けなさを、それを何処に訴えればいいのか。。」と私に涙ながらに言ってくれました。
安忠学(アン・チュンハク)氏とその家族がどうなっているのか、署名してくださる方に、説明したいと思います。
1994年に韓国に入国して、(8月に入国したんですが)家族は、その2ヶ月後の10月に家族全員、おとうさん、おかあさん、そして下の二人の息子夫婦、全部強制離婚させられて、家族はバラバラになって追放されたそうです。追放される直前にお母さんは××で亡くなって、追放された所は特別なところで、食物が出ない、何にも食べ物のない、飢えても何にも出ないところだったんですね。
食べるもののないところに送られるんだそうです。お父さんは、飢え死にでその一年後に亡くなって、2番目の弟は、そこで当時10才の男の子と7才の女の子を飢え死でなくして、2番目の弟は自分の家族をなくして、中国に脱出したんですね。その時中国で洗礼を受けて、もう一人の弟が残っているので、弟のことや、自分の周りの人の悲惨さが頭からこびりついて離れないので、僅かな食糧と僅かなお金を持って北朝鮮に戻ったそうです。
1998年に戻って、その後北朝鮮の保安部に捕まえられたそうです。保安部の集団に囲まれて、みせしめのために見物人が集められて、(その時弟もいたそうです。)みんなの前で打たれて打たれて、「貴方は金正日を信じるのか?神様を信じるのか?」「どっを選ぶのか?」と聞かれて、2番目の弟は「私は神様を信じる」と答えたそうです。最後まで屈しなかったので、そうしたらそのまま打たれて、撲殺されたそうです。
それを最後の弟がみて、韓国に2005年渡って、その話をしてくれました。
その方のために、みなさん是非とも協力していただきたいんです。
奥さんの言った「韓国の政府の情けなさ」を、皆さんの署名をもって、又その力をもって、そのことを訴えるために是非とも協力して頂きたいんです。
これからも、ずっと関心を持ち続けてください。
何処の国の人間でもみんな同じ人間ですね。
関心を持ち続けていただけたら本当に幸せです。
よろしくお願いします。
ありがとうございました。
署名用紙
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