今日のひとネタ

日常ふと浮かんだことを思いのままに。更新は基本的に毎日。笑っていただければ幸いです。

なかなか難易度の高いイントロ当てでした>歌謡スクランブル

2023年05月24日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡
 NHKFM歌謡スクランブルの話。車に乗ってラジオをつけたら流れてきたのが天地真理の「若葉のささやき」。次がアグネスだったので「今日はアイドル特集かな? ふふん。」と、ひとりイントロ当てに挑戦したところ、その後まさかの二連敗。

 チェリッシュの「若草の髪かざり」は、あべ静江の「コーヒーショップで」かと思いながら、歌いだしの直前に「あ、チェリッシュだ!」と思ったものの歌詞が出るまでわからず。そして、その次の曲はまったく手も足も出ず。曲としては知ってましたが、私の世代だと「赤い花 白い花」はビッキーズでしたし。

 その後は、曲紹介の間はボリューム下げて曲が始まったあたりから聞き始めるという、ひとりドレミファドン状態(?)を継続。

 次の4曲は楽勝でしたが、越美晴の「ラブ・ステップ」を開始2秒でわかった自分を褒めたいと思います。

 で、わからなかったのは「涙から明日へ」。この曲はサビのメロディがすごく複雑なんですね。そしてフォーリーブスは曲自体全然知らず。「多分フォーリーブスだろう。」と思った程度。

 あとは、チューリップと甲斐バンドが続けてかかったのでニヤリとしたり、グループサウンズかと思ったらガロだったりしましたが、清水由貴子さんの「お元気ですか」をラジオで聞いたのは何十年ぶりでしょうか。ちょっと思い出して複雑な気分にもなりました。

 今回のテーマは「ポップスろまん」でしたが、それなら演歌以外はなんでもオッケーじゃないの?と思ったものの、なかなかの選曲でしたので本日は楽しめました。イントロ当ての難易度もかなり高かったし。なお、歌謡スクランブルはらじるらじるの聴き逃しサービスにありますので、気になる方は是非どうぞ。

 そういえば、なぜか太田裕美さんの「南風」のみ80年代の曲。なんでだろぉ~。


若葉のささやき/天地真理
ひなげしの花/アグネス・チャン
若草の髪かざり/チェリッシュ
赤い花 白い花/赤い鳥
南風-SOUTH WIND-/太田裕美
ラブ・ステップ/越美晴
夢で逢えたら/吉田美奈子
君は薔薇より美しい/布施明
涙から明日へ/堺正章
ひとかけらの純情/南沙織
約束/フォーリーブス
眠れぬ夜/オフコース
銀の指環/チューリップ
バス通り/甲斐バンド
一枚の楽譜/ガロ
海岸通/イルカ
青春の坂道/岡田奈々
想い出まくら/小坂恭子
お元気ですか/清水由貴子
折鶴/千葉紘子
ひと雨くれば/小柳ルミ子
深夜放送/伊東ゆかり
古い日記/和田アキ子
五月のバラ/塚田三喜夫
ふたりは若かった/尾崎紀世彦
五番街のマリーへ/ペドロ&カプリシャス

あのねのねにまつわるエトセトラ

2023年05月21日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 昨夜のBSP「歌える!青春のベストヒット! ~昭和が僕らの青春だった~」という番組にあのねのねのお二人が出演し、生でヒット曲も披露してました。聞けば動画サイトでネコニャンがブレイクしてるそうですので、この機会にあのねのねについて知ったかぶりしましょう。

 あのねのねは清水国明さんと原田伸郎さんによるフォークデュオで、昭和47年に各地でのコンサートから話題になり、翌48年に「あかとんぼの唄」でメジャーデビュー。そのB面は「魚屋のオッサンの歌」で、曲がヒットしただけでなくそこでのネタとともに彼らの存在自体が一種社会現象となりました。

 画像の「あのねのね 今だから愛される本」という本は昭和49年9月に初版発行ですが、50年5月の段階で250版、65万部を超える大ベストセラーだったそうです。私の場合は、最初にいとこから借りて読んだのですが、手元にあるものは別のいとこからもらったもの。ということは、その年代の中高生での所有率が極めて高かったと。



 「魚屋のオッサンの歌」などは、いわば一発ギャグのようなものですが、それだけで終わらなかったところが彼らの凄いところです。オールナイトニッポンのDJで大人気になり、テレビでは様々なバラエティの司会でも引っ張りだこでした。

 清水国明さんはアイディアマンですが、経歴は以下の通り。あのねのねでは主に作詞を担当。本を読むとわかりますが、哲学書を愛読しておりかなりニーチェに傾倒してます。ギターはマーチンのD-45という高級機種を愛用してますが、かなり凝り性でスキーもプロ級でバイクも国際A級ロードレースライダーであり、鈴鹿の8時間耐久に出場したのも有名です。



 原田伸郎さんは京都生まれで、あのねのねでは主に作曲担当。清水さんのように理屈っぽくはないですが(?)、愛らしい表情と魅力的な声で人気でした。ご覧の画像の通り、高校生の頃からアナウンスコンクールでは全国的な活躍を見せ、それが今でもCMのナレーションで大人気ということに繋がってます。どちらも単なる一発屋芸人では終わらない素養があったということでしょう。



 あのねのね全盛期のステージでは、客席から色んな物が飛んでくるのが恒例で、蔵前国技館ライブでは現金だけでも数万円あったとか。その他、生卵、いとこんにゃく、焼き豆腐など、すき焼きができそうなものが飛んでくるのも日常茶飯事。

 当時兄が見に行った金沢でのコンサートでは、いなりずしが伸郎さんのギターを直撃し、弦に挟まって音が出なくなり一時演奏を中断したとか。その時に兄と友人たちは二階席の最前列からキャラメルを投げてたそうですが、ある友人がソフトクリームを投げたら当然ステージまで届かず。被害を受けた方には、兄の友人に代わって私がお詫びを…。(って、今更言っても意味はなし。)

 それで、今回の番組であのねのねに興味を持った方もいるでしょうが、実はサブスクにはネコニャンしかありません。過去の作品だと「満一才の誕生日」くらいはCDで出して欲しいところですね。デビュー50周年なのですが、この機会になんとかなりませんでしょうか>関係者の方々

麻丘めぐみ作品集は6勝4敗でした>歌謡スクランブル

2023年05月18日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡
 今日のNHKFM「歌謡スクランブル」は、前半が純情ラブソング(1)で後半が麻丘めぐみ作品集でした。丁度車に乗ったら後半がスタートしたところだったので、そこからは全部聞けました。その後半のオンエア曲は以下の通り。

芽ばえ
悲しみよこんにちは
女の子なんだもん
森を駈ける恋人たち
アルプスの少女
水色のページ
夏八景
素晴らしき16才
フォーエバー・スマイル
わたしの彼は左きき


 麻丘めぐみというと、私が小学生の頃に大活躍したアイドルなので全部わかるかと思ったら、知ってたのは最初の5曲と左ききだけ。結果、6勝4敗。ちなみに、私はこれまでの人生でこの人のファンだったことは1秒たりともありません。

 ただ、それでもヒット曲は多かったので今回勝ち越しと。「悲しみよこんにちは」なんて、ラジオで聞いたのはそれこそ50年ぶりくらいかも。結構地味なアレンジだったのですね。

 それで、私はこの人のどこが苦手だったかというと、あの髪型もそうですが歌詞の世界があまりにも女の子し過ぎてるところ。「女の子なんだもん」って言われても困っちゃいます。「だって人間だもの」というならいいですが。

 そして「アルプスの少女」ってのは、「お~っと、クララが立った! しかしここでまた猪木のブレーンバスター! だが、またクララが立った! 一体どこまで戦うのか!」というハイジのテーマ曲ではありません(?)。

 麻丘めぐみといえば、なんといっても「わたしの彼は左きき」が大ヒットしましたが、

・わたしの彼は左巻き
・わたしの彼のは左寄り
・わたしの彼は左卜全

という様々なボケが出るあたりが流行歌のしるしです。

 ところで、今日の前半のオンエア曲を見たら、石川ひとみさんの「まちぶせ」がオンエアされたのですね。それ以外にも「ポケットいっぱいの秘密」(アグネス・チャン)、「想い出のセレナーデ」(天地真理)もオンエアされてました。この辺でニヤリとした人は上級者です。

 そういうのが本日の感想ですが、この番組はらじるらじるの聴き逃しがありますので、興味ある方は是非どうぞ。私もちゃんと最初から聞きたいと思います。麻丘めぐみさんのファンの方には、まともな話題でなくてすいません。当方、こういう芸風ですので。

ねえみんな、アイドルとは前進するものなのよ…

2023年05月10日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡
 「ずうとるび 前進!前進!大前進!!」という映画を見ましたが、こういうタイトルをどこかで聞いたと思ったら「ドリフターズですよ!前進前進また前進」という映画があったのでした。

 考えてみれば、ずうとるびはお笑いの世界からアイドルとしてデビューしバンド演奏もやりましたが、ドリフは元々バンドだったのがお笑いの世界に行ったわけです。出発点と行き先が逆だったわけですね。

 それはともかく、こういう映画を作る人がドリフの映画のタイトルを知らないわけはないので、パロディというかオマージュだったのでしょう。もっとも、ずうとるびは演奏はするしコントもやるものの、コミックバンドとしての演奏ネタは無かったと記憶してますので、方向性は全然違いますね。

 それで、その「ドリフターズですよ!前進前進また前進」には、デビューしたばかりのザ・タイガースも出てます。こちらに関してはドリフの映画でタイガースも売り出そうとしたのでしょう。見てないのでわかりませんが、挿入歌としてタイガースの曲が何曲かあったようです。

 前進というと、スパイダースの映画でもそんなのがあったと思ったら、タイトルは「ザ・スパイダースのゴー・ゴー・向こう見ず作戦」でした。これは何年か前にCSで録画し、結構期待したのですがなんともつまらない内容。メンバーの7人が唐突に「僕たちはまっすぐ進みたいんだ」と言って、壁を突き破ったり車がビュンビュン走る道路を横切ったり家の屋根とかビルの屋上とかドンドン突き進むだけの話でした。何をやりたかったのかまったくわかりませんが、こちらも1967年の映画。

 そうやって色々見ると、ドリフもタイガースもスパイダースもずうとるびも、ひたすら前進する存在なのでした。ということで、本日の結論。「ねえみんな、アイドルとは前進するものなのよ。頑張って…。」

 なお、ずうとるびはともかくドリフをアイドルというかは議論があるところでしょう。(あるのか?)

映画「ずうとるび 前進!前進!大前進!!」

2023年05月07日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡
 ご存じずうとるびの映画ですが、なんと東映東映シアターオンラインで期間限定無料公開されてました。それも今日まで。

 私は今日までまったく知らなかったのですが、ありがたいことに情報をいただきましたので、無事見ることができました。そもそも、こういう映画があった事自体しらなかったのでラッキーです。

 これは1975年7月公開だそうで、彼らは「恋があぶない」がヒット中。日比谷野音でのリサイタルの様子が主で、あとは京都会館でのコンサート映像があり、その他はスポーツ施設で暴れてたり、一応真面目に楽器のレッスンを受ける様子、それと町の人にずうとるびについて一言ずつインタビューしたり、ファンに誰が好きか聞いたりする内容で、全編で32分というまことにお金のかかっていない映画。

 ただ、彼らの映像の、特にバンド演奏を見たいと思ってた私のようなものにはかなり満足度の高い内容でした。日比谷野音でのリサイタルは、バックにつのだ☆ひろとスペースバンドもいましたが、ずうとるびのメンバー4人だけの演奏では「恋のパピプペポ」「みかん色の恋」「恋があぶない」の3曲が聞けました。

 ここでは江藤さんも山田君もレスポール持ってて、良樹さんはヘフナー。ドラムは、ステージに新井さんのセットとつのださんのセットと二つ並んでましたが、新井さんの方がメロディックタムがいくつも並んでて一見豪華に見えるのが不思議。

 演奏はどれもかなり勢いがあるというか粗削りというかでしたが、山田君以外は元々まったく楽器をやってなかった人たちが、あの日比谷野音のステージの大歓声の中4人だけでバンド演奏するというのはアッパレです。

 スペースバンドはオープニングの「ずうとるびのテーマ」で演奏する姿が見えましたが、ギターは藤丸さんじゃなかったので角田順さんでしょうね。もしかして、こういうステージで演奏してたというのはつのださんや角田さんにとっては黒歴史なのでしょうか。京都会館のコンサートはビッグバンドがいて、司会は鶴光師匠でしたがこちらはいつもの仕事という感じ。女性相手ではないので「乳頭の色は?」とか「チューシャはまだでっか?」とか聞いてませんでした。(当たり前)

 時代を感じるというと、京都会館も日比谷野音もファンが「朝から並んでた」とか「前の晩の9時からいた」という声があって、あの頃のコンサートは全部自由席だったのでしょうか。そして、日比谷野音は今では見たことないほどビッシリお客さんが入ってたので、あれは通路にも座ってたのでしょう。今だとアウトでしょうね。とにかく会場の端から端まで人しか見えなかったし。

 そんなこんなですが、とにかく今回はいいものを見られました。これが映画ということは、何かと一緒に上映されてたのかと調べてみたら、なんとあの「新幹線大爆破」との同時上映だったようです。あの映画の話をする際、「ああ、あのずうとるびの映画と一緒にやってた」という人もいるかも。(って、いないか)

「マンデー・モナリザ・クラブ」だそうです>ピンク・レディーの曲

2023年04月27日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡
 先週NHKラジオ「ふんわり」にゲスト出演したピンク・レディーのケイさんこと増田恵子さんですが、一番好きな曲は「マンデー・モナリザ・クラブ」だそうです。(番組出演時の記事はこちら) 私は当然流行のど真ん中の世代ですが、この曲は知りませんでした。

 調べてみたら、これは1979年9月9日の発売。彼女たちのこの頃のシングルを時系列でみると、

1978年12月 「カメレオンアーミー」発売
1979年3月  「ジパング」発売
1979年5月  「ピンク・タイフーン」発売
1979年7月  「波乗りパイレーツ」発売
1979年9月  「Kiss In The Dark」発売(全米デビューシングル)
1979年9月  「マンデー・モナリザ・クラブ」

ということになります。私はまったくファンではなかったのですが、このシングルの発売ラッシュはどういう事情でしょう。「ジパング」でシングルのオリコン1位の連続記録が途切れたそうですが、その後にかえってシングル連発というのは興味深いですね。

 あらためて聞いてみると、その「マンデー・モナリザ・クラブ」はディスコ調の曲でドナ・サマーのカバーだと言われれば私は信じてしまうかもしれません。レコードで聞くとかっこいいです。

 ピンク・レディーのお二人というと、とにかく忙しすぎて当時の記憶があまりないとか聞いたこともあります。なにしろ事務所が移動時間を考慮せずにあちこち仕事を入れるものだから、どこの現場も自分たちの入りを待ってから収録開始で、行く先々で待たせたことのお詫びばかりだったとか。

 その辺、事務所がもうちょっとうまく対処できなかったのだろうかと思いますが、事務所があってレコード会社もあって、当時の芸能事務所というと所属歌手を商品のように扱ったことがあったのかもしれませんね。芸能界のことは実際はわかりませんが。

 ピンクレディーはまったくファンではなかったので、当時のインタビュー記事なども見たことないし、どういうところを目指していたのか、自分たちの意向は尊重されていたのか、アメリカには行きたくて行ったのか、などまったく知りません。ただ、一番好きな曲が「マンデー・モナリザ・クラブ」というあたりは色々な事情が推察されます。

 なんにしても、彼女たちはあれだけヒット曲があったのだから、当時の熱狂を知らない若い人がサブスクで曲だけ聞いてあれこれ評価しているかもしれません。映像無しで曲だけ聞いた場合は、どういう風にとらえるのでしょう。

 レコードで聞くとアレンジはどれも素晴らしくかっこいいし、声の組合せも面白いと思うので、あのハーモニーを聞いてから動画サイトで映像を見るか、あるいは逆のパターンで映像から入ってレコード音源にはまるか。私のようにリアルタイムで見ていた世代はシングルの順番まで思い浮かびますが、その辺も無しにしてどういう曲が現代でウケるのかは興味あります。

 ただ、若い人は音源も映像もタダなのに慣れ切ってると思われ、先週出たDVDボックスは簡単には買わないでしょう。それを考えると、はまる若者が多いとしても経済効果とか、他の昭和アイドル歌謡作品への波及効果は期待できないかも。その辺はなんとかビジネスに結びつく世の中になって欲しいと思う次第です。

ピンクレディーのケイさんが一番好きな曲というと > NHKラジオ「ふんわり」

2023年04月19日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡
 本日のNHKラジオ「ふんわり」は、ピンクレディーのケイさんこと増田恵子さんがゲストでした。9時台はソロ活動の話、10時台はピンクレディーのヒットパレードと当時の話。今はソロ歌手としても活動しているそうですが、私は移動中の車内でほぼ10時台のみ聞きました。

 それにしても、ピンクレディーはヒット曲多いですね。私はというと、世代的にはど真ん中ですが、なにしろ中学生男子だったので「あれは女子供が喜ぶもの」と毛嫌いしてて、和田アキ子が「あんなもん、足出してケツ振ってるだけだろ。」と言ったのを聞いて大笑いしてたくらい。

 とはいえ、もちろん本日オンエアされた曲はほとんど知ってました。「ほとんど」というのは、タイトルは聞いたことあっても知らないのが1曲だけあって、実はケイさんが一番好きだといったのはその曲でした。どの曲なのか気になる方は、是非「らじるらじる」の聴き逃しでどうぞ。これから1週間聞けます。

 それで、この番組でも宣伝してましたが「Pink Lady Chronicle TBS Special Edition」というDVD6枚組のセットが、それこそ本日発売になったそうです。ファンの人はもちろん、少しでも興味のある方は是非お買い求め下さい。こういうのがヒットすれば、70年代アイドル歌謡の世界に色々波及効果も期待できますし。

 それにしても、ピンクレディーというと「夜のヒットスタジオ」の出演回は再放送されないし、「レッツゴーヤング」の司会してた時期なんてなかったことにされてるようなもので、あれは非常に不満です。多分本人たちの意向ではないのでしょうが、なんとかならんものでしょうか。私なんぞは彼女たちのファンだったことが1秒たりともないのですが、それでもピンクレディーなしに70年代アイドル歌謡は語れないと思ってますので。

グループサウンズの記憶 その3(完)(サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル編)

2023年03月30日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡
 
 日劇が閉鎖・解体されるときに「サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル」というイベントが開催されました。それをきっかけにいくつかのグループサウンズの再結成があったわけですが、調べてみたらこれが1981年1月のこと。

 このイベントをフジテレビで放送してたので私も見られたわけですが、放送はイベントの直後だったか数カ月後だったかは不明。

 その時の記憶では、圧倒的に存在感があったのはなんといってもザ・タイガースとスパイダース。やっぱりジュリーはかっこよかったし、スパイダースはみんな楽しそうで、マチャアキと井上順さんに加えてムッシュも前に来て一緒に踊ったり、ギターを弾くムッシュを二人が担ぎ上げてステージを走り回るのも面白くて記憶に残ってます。

 あのとき見た記憶があるのは上記以外には、ワイルド・ワンズ、ブルー・コメッツ、ジャガーズ、など。ブルコメは井上大輔さんがフルートをクルクルっと回してた記憶もあります。

 スパイダースは、これをきっかけにトーク番組に出たりしてましたが、その時のネタは
・リーダーがドラムの叩き方忘れてたのでスクールに行ったら講師がジャッキー吉川だったからやめた
・昔は自己流だったのが習いに行ったら基礎ができてかえってよくなった
など。このネタは何度か聞きました。

 また、タイガースはこれをきっかけに新曲も出しました。「色つきの女でいてくれよ」とか。ただ、全員揃ったわけではなくドラムの瞳みのるさんは不参加。当時この人のことは知らなかったのですが、慶応高校の先生になったという説明はありました。まだインターネットやWikipediaの無い時代でしたから、「あの人は『グループサウンズなんてバカばっかりだ』と言われたことに反発し勉強して学校の先生になった。」なんて聞いて本気にしてました。実際はそんな単純な話ではなかったと知ったのは、つい数年前の話。瞳みのるさん自身もその辺のことは本に書いてますし。

 と、そんなこんなでしたが、当時は既に自分がエレキギター弾いてたこともあって「まあ面白いことは面白い」とか「ちゃんとしたグループは思ったよりちゃんとしてる」など思ったものでした。

 前回記事に書いた一部の再結成がGSブームの5年後、この日劇ウエスタンカーニバルが10年後。81年の段階ではジュリーが32才、マチャアキが34才、皆さん若かったですね。ソロで大成功してた人もいたでしょうけど、この時をきっかけにビジネスに繋がった人がいたのかどうか。大人になってからは、そんなことばかり考えてしまいます。

 その後は、タイガース・メモリアル・クラブ・バンドというのもできましたが、あれは同窓会的な感じなので、実際にオリジナルのグループとしての盛り上がりがあったのは、この1981年あたりが最後だったかと思います。まあ、意見にはいろいろ個人差があるでしょうが、以上が私のGSに関する記憶です。

ドレミファドンの苦手分野というと

2023年03月29日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡
 月曜に、番組改変期恒例の「ドレミファドン」をやってました。フジが新ドラマの出演者を集めてチーム編成にし、ドレミファドンの対抗戦をやるというものです。私の年代では「ドレミファドン=イントロ当てクイズ」というのが定着してますが、若い人はわからないかもしれませんね。とはいえ、このフジの恒例企画は楽しいので評価します。

 それで、毎年この時期に番組を見るたびにブログを書いてますが、毎回感想は「惨敗…」です。それもそのはずで、私の頭は昭和のアイドル歌謡と70~80年代ニューミュージックで止まってしまってますので、毎年答えられないというか知らない曲が増えます。

 女性アイドル好きとはいえ、おニャン子が出てきた時はもう就活してたのでそれどころではなく、小食なので質より量というのは嫌いだからモー娘もAKBも坂道系もまずわかりません。あとは、男性だとジャニーズ系もほぼわからず、嵐なんぞは曲はいくつか知っててもタイトルがわかるのは無し。

 苦手と言えばEXLIEもまったくわからないし、一時流行ったオレンジレンジとかケツメイシとかファンキーでモンキーなベイビーズとか、和製ヒップホップもさっぱり。そういえば、小室ファミリーの曲もわからんです。アニメも巨人の星とかあしたのジョーとか赤き血のイレブンとか空手バカ一代とか男ドアホウ甲子園とか侍ジャイアンツとか、そういうのしかわからんし。

 ということで、今や苦手分野だらけ。とはいえ、70年代アイドル歌謡ならB級アイドルでもわかるかというと、例えば吉田真梨さんの「もどり橋」はわかっても「真っ赤な耳たぶ」はわからず。そうすると、マイナーアイドルでもデビュー曲縛りならわかるかというと、以前居酒屋で聞いた曲に覚えがあってもタイトルがわからず。で、その時既に飲み過ぎて寝てしまってた最年長の人がむっくり起きたので、「ガッチュー! ガッチュー! お前は命! って、誰だっけ?」と聞いたら、「ああ、川崎麻世」と即答。その人は、女性アイドルに詳しいのは知ってたのですが、さすが幅広いなあと思い、ああいう人には勝てません。

 なので、勝てそうな分野は限られるのですが、キャンディーズのシングル曲A面縛りなら、超イントロドンでも全部わかります。ただ、この分野はライバル多そう。ドレミファドンはテレビで見るだけにします。って、もちろん出る機会はないけど。

グループサウンズの記憶 その2(一部再結成編)

2023年03月23日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 グループサウンズは大体1970年くらいでブームが収束しましたが、その後の1976年、私が中1くらいの頃にいくつか再結成したバンドがありました。とはいえ、再結成でレコード出したとかコンサートやったとかは知りません。テレビでちょくちょく見ました。

 その時見たのは、ワイルドワンズ、ブルーコメッツ、ジャガーズ、パープルシャドウズなど。もしかしたら、ゴールデンカップスとかヴィレッジシンガーズもあったかも。

 ワイルドワンズは、この頃に若大将ブームがまた盛り上がってて、その共演などでもテレビに出てたと思います。当時は野球中継が雨で中止になると若大将シリーズの映画が放送されることがあったのですが、局には「野球より若大将をやって!」という電話も来たというのを当時聞きました。(本当かどうかは知りません。) 調べてみたら1976年には「ぼくの妹に」がヒットして、久しぶりに紅白にも出てるんですね。

 そうやってなんとなく色々見てたのですが、単回じゃなくていくつかの番組で見た記憶があります。もちろんそれぞれの代表曲しか聞きませんが、見た中ではパープルシャドウズが「ギター上手いなあ。」と感心してました。

 スパイダースは田辺昭ちゃんが事務所社長で忙しかっただろうからこの時は見てませんが、ムッシュがテレビで「バン・バン・バン」を歌ったりしたのは見たかも。

 画像の方は1976年のヤングフォークの増刊なのですが、当時ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが「GS」というカバーアルバムを出してたのですね。その私がテレビで見てたプチブームが先かブギウギバンドのアルバムから火がついたのか、その辺どうなのかはわかりません。

 なんにしても、グループサウンズのいくつかのグループに興味を持ったのはこの時期だったのは間違いありません。そんな記憶があります。