今日のひとネタ

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ピンクレディーのケイさんが一番好きな曲というと > NHKラジオ「ふんわり」

2023年04月19日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡
 本日のNHKラジオ「ふんわり」は、ピンクレディーのケイさんこと増田恵子さんがゲストでした。9時台はソロ活動の話、10時台はピンクレディーのヒットパレードと当時の話。今はソロ歌手としても活動しているそうですが、私は移動中の車内でほぼ10時台のみ聞きました。

 それにしても、ピンクレディーはヒット曲多いですね。私はというと、世代的にはど真ん中ですが、なにしろ中学生男子だったので「あれは女子供が喜ぶもの」と毛嫌いしてて、和田アキ子が「あんなもん、足出してケツ振ってるだけだろ。」と言ったのを聞いて大笑いしてたくらい。

 とはいえ、もちろん本日オンエアされた曲はほとんど知ってました。「ほとんど」というのは、タイトルは聞いたことあっても知らないのが1曲だけあって、実はケイさんが一番好きだといったのはその曲でした。どの曲なのか気になる方は、是非「らじるらじる」の聴き逃しでどうぞ。これから1週間聞けます。

 それで、この番組でも宣伝してましたが「Pink Lady Chronicle TBS Special Edition」というDVD6枚組のセットが、それこそ本日発売になったそうです。ファンの人はもちろん、少しでも興味のある方は是非お買い求め下さい。こういうのがヒットすれば、70年代アイドル歌謡の世界に色々波及効果も期待できますし。

 それにしても、ピンクレディーというと「夜のヒットスタジオ」の出演回は再放送されないし、「レッツゴーヤング」の司会してた時期なんてなかったことにされてるようなもので、あれは非常に不満です。多分本人たちの意向ではないのでしょうが、なんとかならんものでしょうか。私なんぞは彼女たちのファンだったことが1秒たりともないのですが、それでもピンクレディーなしに70年代アイドル歌謡は語れないと思ってますので。

グループサウンズの記憶 その3(完)(サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル編)

2023年03月30日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡
 
 日劇が閉鎖・解体されるときに「サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル」というイベントが開催されました。それをきっかけにいくつかのグループサウンズの再結成があったわけですが、調べてみたらこれが1981年1月のこと。

 このイベントをフジテレビで放送してたので私も見られたわけですが、放送はイベントの直後だったか数カ月後だったかは不明。

 その時の記憶では、圧倒的に存在感があったのはなんといってもザ・タイガースとスパイダース。やっぱりジュリーはかっこよかったし、スパイダースはみんな楽しそうで、マチャアキと井上順さんに加えてムッシュも前に来て一緒に踊ったり、ギターを弾くムッシュを二人が担ぎ上げてステージを走り回るのも面白くて記憶に残ってます。

 あのとき見た記憶があるのは上記以外には、ワイルド・ワンズ、ブルー・コメッツ、ジャガーズ、など。ブルコメは井上大輔さんがフルートをクルクルっと回してた記憶もあります。

 スパイダースは、これをきっかけにトーク番組に出たりしてましたが、その時のネタは
・リーダーがドラムの叩き方忘れてたのでスクールに行ったら講師がジャッキー吉川だったからやめた
・昔は自己流だったのが習いに行ったら基礎ができてかえってよくなった
など。このネタは何度か聞きました。

 また、タイガースはこれをきっかけに新曲も出しました。「色つきの女でいてくれよ」とか。ただ、全員揃ったわけではなくドラムの瞳みのるさんは不参加。当時この人のことは知らなかったのですが、慶応高校の先生になったという説明はありました。まだインターネットやWikipediaの無い時代でしたから、「あの人は『グループサウンズなんてバカばっかりだ』と言われたことに反発し勉強して学校の先生になった。」なんて聞いて本気にしてました。実際はそんな単純な話ではなかったと知ったのは、つい数年前の話。瞳みのるさん自身もその辺のことは本に書いてますし。

 と、そんなこんなでしたが、当時は既に自分がエレキギター弾いてたこともあって「まあ面白いことは面白い」とか「ちゃんとしたグループは思ったよりちゃんとしてる」など思ったものでした。

 前回記事に書いた一部の再結成がGSブームの5年後、この日劇ウエスタンカーニバルが10年後。81年の段階ではジュリーが32才、マチャアキが34才、皆さん若かったですね。ソロで大成功してた人もいたでしょうけど、この時をきっかけにビジネスに繋がった人がいたのかどうか。大人になってからは、そんなことばかり考えてしまいます。

 その後は、タイガース・メモリアル・クラブ・バンドというのもできましたが、あれは同窓会的な感じなので、実際にオリジナルのグループとしての盛り上がりがあったのは、この1981年あたりが最後だったかと思います。まあ、意見にはいろいろ個人差があるでしょうが、以上が私のGSに関する記憶です。

ドレミファドンの苦手分野というと

2023年03月29日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡
 月曜に、番組改変期恒例の「ドレミファドン」をやってました。フジが新ドラマの出演者を集めてチーム編成にし、ドレミファドンの対抗戦をやるというものです。私の年代では「ドレミファドン=イントロ当てクイズ」というのが定着してますが、若い人はわからないかもしれませんね。とはいえ、このフジの恒例企画は楽しいので評価します。

 それで、毎年この時期に番組を見るたびにブログを書いてますが、毎回感想は「惨敗…」です。それもそのはずで、私の頭は昭和のアイドル歌謡と70~80年代ニューミュージックで止まってしまってますので、毎年答えられないというか知らない曲が増えます。

 女性アイドル好きとはいえ、おニャン子が出てきた時はもう就活してたのでそれどころではなく、小食なので質より量というのは嫌いだからモー娘もAKBも坂道系もまずわかりません。あとは、男性だとジャニーズ系もほぼわからず、嵐なんぞは曲はいくつか知っててもタイトルがわかるのは無し。

 苦手と言えばEXLIEもまったくわからないし、一時流行ったオレンジレンジとかケツメイシとかファンキーでモンキーなベイビーズとか、和製ヒップホップもさっぱり。そういえば、小室ファミリーの曲もわからんです。アニメも巨人の星とかあしたのジョーとか赤き血のイレブンとか空手バカ一代とか男ドアホウ甲子園とか侍ジャイアンツとか、そういうのしかわからんし。

 ということで、今や苦手分野だらけ。とはいえ、70年代アイドル歌謡ならB級アイドルでもわかるかというと、例えば吉田真梨さんの「もどり橋」はわかっても「真っ赤な耳たぶ」はわからず。そうすると、マイナーアイドルでもデビュー曲縛りならわかるかというと、以前居酒屋で聞いた曲に覚えがあってもタイトルがわからず。で、その時既に飲み過ぎて寝てしまってた最年長の人がむっくり起きたので、「ガッチュー! ガッチュー! お前は命! って、誰だっけ?」と聞いたら、「ああ、川崎麻世」と即答。その人は、女性アイドルに詳しいのは知ってたのですが、さすが幅広いなあと思い、ああいう人には勝てません。

 なので、勝てそうな分野は限られるのですが、キャンディーズのシングル曲A面縛りなら、超イントロドンでも全部わかります。ただ、この分野はライバル多そう。ドレミファドンはテレビで見るだけにします。って、もちろん出る機会はないけど。

グループサウンズの記憶 その2(一部再結成編)

2023年03月23日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 グループサウンズは大体1970年くらいでブームが収束しましたが、その後の1976年、私が中1くらいの頃にいくつか再結成したバンドがありました。とはいえ、再結成でレコード出したとかコンサートやったとかは知りません。テレビでちょくちょく見ました。

 その時見たのは、ワイルドワンズ、ブルーコメッツ、ジャガーズ、パープルシャドウズなど。もしかしたら、ゴールデンカップスとかヴィレッジシンガーズもあったかも。

 ワイルドワンズは、この頃に若大将ブームがまた盛り上がってて、その共演などでもテレビに出てたと思います。当時は野球中継が雨で中止になると若大将シリーズの映画が放送されることがあったのですが、局には「野球より若大将をやって!」という電話も来たというのを当時聞きました。(本当かどうかは知りません。) 調べてみたら1976年には「ぼくの妹に」がヒットして、久しぶりに紅白にも出てるんですね。

 そうやってなんとなく色々見てたのですが、単回じゃなくていくつかの番組で見た記憶があります。もちろんそれぞれの代表曲しか聞きませんが、見た中ではパープルシャドウズが「ギター上手いなあ。」と感心してました。

 スパイダースは田辺昭ちゃんが事務所社長で忙しかっただろうからこの時は見てませんが、ムッシュがテレビで「バン・バン・バン」を歌ったりしたのは見たかも。

 画像の方は1976年のヤングフォークの増刊なのですが、当時ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが「GS」というカバーアルバムを出してたのですね。その私がテレビで見てたプチブームが先かブギウギバンドのアルバムから火がついたのか、その辺どうなのかはわかりません。

 なんにしても、グループサウンズのいくつかのグループに興味を持ったのはこの時期だったのは間違いありません。そんな記憶があります。

グループサウンズの記憶 その1(リアルタイム編)

2023年03月09日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 
 文春新書での近田春夫さんの「グループサウンズ」が売れてますが、私も読みました。私は1963年生まれで、GSはギリギリ間に合った程度。実際にテレビで見た記憶があるのが、「白いサンゴ礁」「バラ色の雲」「エメラルドの伝説」「夜霧のガイコツ今晩は」「いいのかな」など。

 ただ、これらの発表年を順に並べると以下の通り。

ヴィレッジ・シンガーズ「バラ色の雲」1967年8月
ザ・カッペーズ「夜霧のガイコツ今晩は」1967年11月
ザ・テンプターズ「エメラルドの伝説」1968年6月
ズー・ニー・ヴー「白いサンゴ礁」1969年4月
ザ・ワイルドワンズ「いいのかな」1970年7月

 驚いたのは「夜霧のガイコツ今晩は」で、私はその時点で4才。その後リバイバルヒットはしてなさそうだし、恐らくリアルタイムで見たのでしょう。それで覚えてるというのは、かなりインパクトあったと思われます。見たのはヤング720ではないかと思うのですが。

 ザ・ワイルドワンズの「いいのかな」はヒット曲ではないのですが、テレビ見てた母が歌詞を聞いてプッと噴き出したのを記憶してます。ま、この時点では小1なので覚えてても不思議はないでしょう。

 そんななので、GSが何だったのか、どうして次々解散したのかなど、当時はもちろんわかってませんでした。ただ、ジュリーがスターだったのは記憶してて、司会をしてた「ドレミファ大作戦」という番組は覚えてます。この主題歌が

ド:どんなことでも
レ:練習すれば
ミ:みんなできるさ ホラ簡単さ
みんなで一緒に ドレミファ大作戦~♪

というもので、これは今でも歌えます。調べてみたら、この番組は正式には「紅白対抗ドレミファ大作戦」というタイトルで、1970年10月から翌年4月まで放送されていた、金曜夜7時半からのカックラキンな番組(?)だったようですね。

 そして、ザ・タイガースの解散が翌71年1月なので、この番組開始時のジュリーはまだタイガースのメンバーだったわけです。ということで、タイガースのジュリーは私は記憶していると。

 一方、スパイダースはというと「天使と野郎ども!」という番組を覚えてるのですが、これは1968年10月から半年ほど放送されてたもの。当時私は5才なわけですが、案外覚えてるものですね。もっとも、私には3才上の兄がおり、またさらに年長のいとこも数人いて、当時風呂の無かった我が家は土曜の夜に祖父の家に行って入ってたので、その際に見てたのかもしれません。

 その後タイガースのジュリーとテンプターズのショーケンをツインボーカルとしたPYGができるのですが、私は当時まったく知らず。そういうバンドがあったのは、中学になってから甲斐よしひろさんがセイヤングで話してて知りました。その時は、「そんな凄いバンドがあったのか?」と兄と大騒ぎした記憶があります。

 と、そんなのがリアルタイムのGSの記憶です。「失神」という言葉も聞きましたが、ワイドショーの芸能ニュース見るわけでもないし「なんのこっちゃ?」と思ってました。

 そういえば、ブルーコメッツの「ブルー・シャトウ」はヒット曲なので当然知ってますが、あれが発売されたのは私が3才の頃。あの後も流行ったので覚えたのはリアルタイムではないと思われ。そもそも、ブルコメはあんまりグループサウンズという感じがしないですしね。(意見には個人差があります。) 


Spotifyにグループサウンズはあるか?

2023年03月08日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 

 近田先生の「グループサウンズ」を読みましたが、その中で取り上げられてる曲でも聞いたことないのがかなりあって、一体GSはSpotifyにあるのか?というのを調べてみました。

 すると、グループ別では、なんとタイガースとスパイダースがまったくありません。タイガースに関しては「世界はボクらを待っていた」という本を読んで、「ヒューマン・ルネッサンス」に関心を持ったのですが、もちろんそのアルバムも無し。ただ、このアルバムについては、水谷公生さんが「あれも僕が結構弾いたんじゃなかったかな。」とインタビューで語ってたので、ご本人たちの演奏がどれくらい採用されてるかはわかりません。

 あとは、ベストアルバム1枚のみというグループが多い中、ゴールデン・カップスとワイルド・ワンズはオリジナルアルバムも結構ありました。あとは、意外にもテンプターズも数枚。私としては、グループサウンズというくらいなので、実際本人たちの演奏を聞いてみたいのですが、後期のアイドルチックな人たちはなかなか自分たちでは弾かせてもらえなかったのではないでしょうか。その辺は実際どうなのでしょう。

 そんななので、まずはあるものからということでカップスを聞いてみたら、結構いいですね。ファンが多いのもわかります。近田先生の本も売れてるようだし、タイガースは無理でもスパイダースはサブスク解禁して欲しいと思う次第です。

 タイガースは岸部シローさん以外はみんな健在だけど、ややこしい人が何人かいて難しそう。スパイダースは、ムッシュも井上尭之さんも亡くなってしまいましたが、あのバンドはみんなスパイダースの事が好きな感じが伝わってくるので、特に井上順さんなどは喜んで解禁に賛成しそうですけど。もしやネックは昭ちゃんでしょうか。

 それでGSというと、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが1976年に発売した「GS」というカバーアルバムがSpotifyにありました。オリジナル歌手も何人かゲストに入ったりしてますが、全般的には各グループの代表曲が収録されています。驚くのが、ほとんどの曲がかなり原曲に近いアレンジになってること。変えてる曲は、そのままやるとロックじゃない感じだったからでしょうか。

 とはいえ、もしかして私の探し方が悪いだけかもしれませんので、関心のある方はあきらめないで探していただければと。近田先生の本は売れてるそうですし、レコード会社は便乗していろいろビジネスできそうですけどね。私も聞きたいし。


小林麻美さんの「雨だれ」について

2022年12月04日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 小林麻美さんの曲がサブスクにあります。この人は不思議な人で、田舎の子供だった私が見てたテレビの世界に、何回も出てきたり消えたりまた出てきたりしました。

 「初恋のメロディー」が1972年でこの歌はよく知ってますが、私は当時小3でまだラジオは聞いてなかったから、多分テレビで聞いて覚えたのでしょう。次の「落葉のメロディー」も知ってるので、結構なヒットだったのでしょうね。昨今の昭和歌謡・昭和アイドルのブームでもこれらは取り上げられることがまずないのですが、今聞いても名曲だし歌唱も良いです。もっと評価されてもいいのではないでしょうか。

 それで、しばらく見ないと思ってたら今度はマチャアキの番組でコメディエンヌとして登場し、歌の方はすっかり大人になって「ある事情」「アパートの鍵」などを歌いイメチェンしてました。

 次に見た時はオールナイトニッポンのパーソナリティーでしたが、これが1975年。私はもちろん聞いてないですが、結構人気でした。そしてその次が資生堂の「マイ・ピュア・レディ」のCM出演。これが1977年の春。

 それで結構人気出たのでしょうが、映画の「野獣死すべし」に出演します。これが1980年。私は映画は見てませんが、存在は知ってました。その次に見たのがご存じ「雨音はショパンの調べ」。これが1984年。これは売れたけどテレビでは歌わなかったものの、その頃には結構ドラマとかCMとか出てた気はします。曲のMVはよく見ました。ちなみにこれ以降のこの人には特に興味はありません。

 そして、この人の作品で私が気になる曲は「白いシャツきて」。これをラジオで聞いたのは1978年くらいだったでしょうか。FM番組をよく聞いてたのですが、色々な曲がかかる番組を録音した中に入ってました。

 当時は木之内みどりさんの曲を結構聞いてたので、声や歌い方が割と似た感じだと驚いたり。ただ、それが最近の曲なのか結構前の曲なのかがわからないのがこの人の凄いところ。

 結局これが1975年のシングル「私のかなしみ」のB面だと知ったのはつい昨日。この「白いシャツきて」は、さりげないタイトルだけどアレンジと小林麻美さんの歌い方がなんともしゃれてて、すごくいい感じです。

 そして実は小林麻美さんは、太田裕美さんのデビュー曲「雨だれ」をカバーしてます。2ndアルバムに収録されてるのですが、このLPの発売は1974年の12月1日。太田裕美さんのデビューシングル「雨だれ」の発売が11月1日なので、1か月しか違いません。このお二人のレコード会社は違います。大ヒット曲のカバーをやるならわかりますが、デビューしたての新人歌手の曲をカバーするのはどのような事情だったのでしょうか。う~む、謎だ。


木之内みどりのアルバム「硝子坂」でDr.Kを聴く

2022年12月02日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 

 木之内みどりさんのアルバムが、先月サブスク解禁になりました。実はこの人のアルバムには名盤があって、この「硝子坂」もその一つ。その要因は楽曲と演奏にありますが、全11曲中オープニングの「東京メルヘン」を除く10曲の編曲と演奏がThe Last Show。(以降ラストショウ)

 ラストショウのメンバーは、松田幸一 (ハーモニカ)、村上律(ペダル・スティール・ギター)、徳武弘文(ギター)、島村英二(ドラム)、河合徹三(ベース)の5名ですが、ギターの徳武弘文さんの愛称がDr.Kです。もちろん「徳武」→「トクタケ」→「ドクターケー」という言葉遊びですが、その飄々とした風貌と華麗なテクニックからドクターという呼び名がピッタリ。

 この人は、何といってもジャズ・マスターをサムピックを交えたフィンガーピッキングスタイルでプレイするのが特色ですが、このアルバムでも名演が堪能できます。まずは、このアルバムの収録曲は以下の通り。(レコードでは「五月雨」以降がB面」)

1.東京メルヘン 作詞:松本隆/作曲:吉田拓郎
2.フルーツ 作詞:松本隆/作曲:実川俊
3.ヨーヨー 作詞:松本隆/作曲:市川善光
4.ゆめまくら 作詞:松本隆/作曲:小泉まさみ
5.シティー・ライト 作詞:松本隆/作曲:マイケル・K・中村
6.五月雨 作詞:島武実/作曲:宇崎竜童
7.ありったけさわやかに 作詞:島武実/作曲:宇崎竜童
8.明日からごめんね 作詞:島武実/作曲:宇崎竜童
9.Good-bye 作詞:島武実/作曲:宇崎竜童
10.硝子坂 作詞:島武実/作曲:宇崎竜童
11.サヨナラの後に… 作詞:島武実/作曲:宇崎竜童


 実は、B面はタイトル曲の「硝子坂」も含むほとんどのリードプレイが、スティール・ギターの村上さんの演奏で、中にはいかにもDr.Kの演奏という曲もありますが、Dr.Kのソロが堪能できるのはA面の方。

 「フルーツ」はイントロ、間奏2回、アウトロがすべてギターソロなので大活躍。あのナチュラルなトーンであれだけ弾きまくるのは素晴らしいです。また「ゆめまくら」も同じ感じの音ですが、歪ませないソロのお手本のような感じ。

 歪ませないということは、ギュイーンと伸ばしてチョーキングしたりビブラートをかけるいわゆる「泣きのギター」ができないわけで、ギタリストとしてはかなり辛いのですが、そこは音数とタメを駆使して「これぞ」というソロになってます。私なんぞはギターの音だけ取り出して聞きたいくらい。

 徳武さんの愛機というとフェンダーのジャズ・マスターで、それは当時の雑誌のインタビューでも語ってますので、このアルバムでの音からしても多分間違いないと思います。ジャズ・マスターをメインにして歌謡曲のレコーディングで使う人も珍しいと思うので、このアルバムはその点でも注目していいのではないでしょうか。ジャズ・マスターを、一流のプロがスタジオで弾くとどういう音がするという事で。

 これだから昭和歌謡とアイドルポップスのファンはやめられません。ただ、徳武さんの場合あのフィンガーピッキングが特色なので、あれでジャズ・マスターを弾くのが前提です。とにかく、本当に凄いです。今回木之内さんの歌については全然触れてないのですが、そこは是非皆さま実際に聞いてみてお楽しみ下さい。Spotifyをはじめサブスクにアルバム丸ごとあります。


あれから一か月、昭和51年9月のヒット曲ベスト30

2022年11月29日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 

 先日、昭和51年8月のオリコントップ30を記事にしたら結構ウケたので続報です。今回は1か月後、昭和51年9月20日発表のトップ30。

 トップ3は、あなただけを/あおい輝彦、ねえ!気がついてよ/桜田淳子、針葉樹/野口五郎でした。野口五郎さんのこの曲は結構地味な印象でしたが、物凄くヒットしたのですね。私は好きな曲です。

 それで1か月経っても「あなただけを」が強いです。考えてみれば、この年はあおい輝彦さんに加えて、「およげ!たいやきくん」「山口さんちのツトム君」「ビューティフルサンデー」など、いわゆるヒットチャートの常連でない方のビッグヒットが長く続いた印象。

 他の注目としては「河内のオッサンの唄」が7位まで上昇してるし、「嗚呼!!花の応援団」がさらに上がって15位。あらためて「そんなにヒットしてたっけ?」と驚きました。この方たちが、事務所に搾取されずちゃんと儲けてたらいいのですが。(というのは、大きなお世話ですか。)

 そして今回も洋楽がヒットしてて、ジャニス・イアンの「ラブ・イズ・ブラインド」がいきなり6位になってます。これは坂口良子さん主演のドラマ「グッドバイ・ママ」の主題歌でしたが、なんとこの後に最高3位にまでなったそうです。歌は確かにヒットしましたが、あのドラマってそんなにウケてましたっけ??? 今もDVDは出てないし。

 洋楽ではオリビア・ニュートン・ジョンの「ジョリーン」が27位。この曲は最高11位まで上がることになるので、普通に洋楽と邦楽とコミックソングと子供向けの曲がヒットチャートに共存してた面白い時代でした。

 こうやって眺めると反応するところは人それぞれでしょうが、私はすごく楽しくなってきます。現在のチャートのことをうんぬんは言いませんが、こういう本当の「流行歌」の世界があったのですね。当時は、年末の賞レースとか紅白の出場者とか予想するのも熱が入ったことでしょう。

 ちなみにこの年のレコード大賞は「ソウル・ドラキュラ」、翌年は「ソウル若三杉」でした。ソウルがブームだったんですね。…って、真実を知りたい方はご自分で検索を。

 なお、今回も「トップ30くらいは全部歌えるわい。」と思った私の前に立ちはだかったのがアグネス。この曲知らないけどヒットしてたんですね。


昭和51年8月のヒット曲 ベスト30

2022年11月24日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 

 こちらは某雑誌の昭和51年10月号から。記事によるとオリコンの8月23日発表分だそうです。シングルトップ3は、あおい輝彦「あなただけを」、山口百恵「横須賀ストーリー」、郷ひろみ「あなたがいたから僕がいた」。

 意外なところでは「ソウルドラキュラ」がベスト10に入ってたこと。確かに当時流行りましたが、普通に洋楽もチャートに入ってたのですね。これにあやかって「ソウル若三杉」とか「ソウル怪人二十面相」とかも出てましたが、問題はどちらも面白くなかったこと。タイトルのインパクトだけのいわゆる出落ちでした。

 あとは松本ちえこ「恋人試験」が11位で、こんなに大ヒットしたとは。この人はもっとスターになってもよかったものを。そして23位に異邦人の「嗚呼!花の応援団」が入ってて、「これってこんなにヒットしてたの?」と驚きました。テレビではちょくちょく見ましたが、完全に色物でしたしね。この人たちの次の曲は「太っ腹ブギ」だったかな?

 その他は大体流行ってた記憶があるのですが、西川峰子「峰子のマドロスさん」もこんなにヒットしてたのが驚き。これの最高位が何位かは知りませんが、オリコンのベスト30という相当なヒットであっても、その後ラジオやテレビでもほとんど見かけない曲もあると。「あの名曲全部聞かせます」系の番組でも異邦人とか西川峰子は見ませんし。って、この方々をひとくくりにするのはなんですが。

 それで、「昭和51年当時のベスト30くらいなら全部知ってるも~ん」と言いたかったのですが、14位赤丸付きのアグネス・チャン「夢をください」はまったく知りません。もう昭和歌謡オタクは名乗れないかもしれませんね。ピンチです。

 なお、アルバムランキングではポールモーリアが入ってますが、アホの坂田師匠は「ポールモーリアが流行ってるそうやから。」と弟子にレコードを買いに行かせ、聞いたとたん「お前、これカラオケやないか!」と言ったとか。いい時代でしたね。(なのか?)