今日のひとネタ

日常ふと浮かんだことを思いのままに。更新は基本的に毎日。笑っていただければ幸いです。

来月の注目は「甲斐バンド 50周年記念 WOWOWスペシャルイヤー ~プロローグ~」

2024年10月28日 | 甲斐バンド・甲斐よしひろ

 私は一般男性ですがWOWOWが見られる特権階級でもあります。来月のプログラムガイドが届きましたが、なんといっても注目は「甲斐バンド 50周年記念 WOWOWスペシャルイヤー ~プロローグ~」。

 甲斐バンドは1974年11月4日にシングル「バス通り」でデビューしたので、まさしく50周年なのですね。来月放送のその番組は甲斐よしひろへのインタビューで、内容は50周年を迎えた甲斐バンドについて甲斐自身が語るほか、10月からスタートした全国ライブハウスツアーなどに言及するとか。

 今月は甲斐さんがあちこちのラジオにゲスト出演して色々語ってますが、インタビューも映像付きで見られるとなると楽しみです。どうせならデビューの頃のライブ映像とか発掘して貰えるともっとありがたいですけど。

 放送の方は、12月は「甲斐バンドスペシャルライブ "Rolling Birthday 60"」を放送だそうです。これは前に見た事あるし録画してあったような気もするのですが、放送するとなるとガッツリ見せて貰いましょう。こういうのは盛り上げないと!


甲斐バンド50周年アニバーサリーBOX届きました

2024年10月08日 | 甲斐バンド・甲斐よしひろ

 今年デビュー50周年となる甲斐バンドのアニバーサリーBOXセットが届きました。今回はLPが2枚、CDが3枚という構成。当然ジャケットもLPレコードサイズで、宅配ボックスを開けた時には「デカっ!」と。

 甲斐バンドは4人組でデビューし、1979年に「HERO(ヒーローになる時、それは今)」がヒットした直後にベースの長岡和弘が脱退。ベースの後任は入れずにサポートメンバーで活動を続け、1984年に元ARBのギタリスト田中一郎が加入し(担当はギター)、また4人組となったものの、1986年に解散しました。

 今回はデビュー50周年記念BOXということで、ジャケットはご覧の通りデビュー時のメンバー4人の写真。このセットにはLPジャケットサイズの写真集も付いてますが、デビュー時の4人の写真がまずあって、その後の3人の時代の箱根芦ノ湖、花園ラグビー場、新宿副都心でのライブ画像が中心。在籍年数の問題でしょうが、田中一郎の写真は少なめでした。

 LPもCDも新たにリマスターした音源で、LPはカッティングにも拘った180gの重量盤だとか。我が家は一応レコードプレーヤーがありますが、まずはCDから聞いてみます。

 今回の注目は未発表テイクやデモ音源が収録されているボーナスディスク。一部は甲斐よしひろのセイヤング21で聞けましたが、何しろあれこれ入ってるので楽しみです。


 それにしても発売日忘れてたので、こういうのがドドンと届くとビビりますね。CDのみのBOXと違ってかさばるので、奥さんに内緒で注文してたご家庭では騒動が起きてるかと思うと楽しいですね。フッフッフ。←意地悪


四万十太郎の元ネタは志摩太郎でしょうか?

2024年08月22日 | 甲斐バンド・甲斐よしひろ

 四万十太郎とは2007年のTBSドラマ「歌姫」の登場人物で「しまんとたろう」と読みます。ドラマでは長瀬智也が演じました。そしてこれは本名ではなく、終戦の日に四万十川に流れ着いたところを救助され、以前の記憶を失っていたため「四万十太郎」と名付けられたもの。

 そもそもこの「歌姫」という物語は、サタケミキオ(宅間孝行)による戯曲で本人主宰の劇団「東京セレソンデラックス」で2004年に初演、その後に再演もされたもの。その評判によりドラマになったのでしょうか。

 そして、先日「甲斐バンド40周年 嵐の季節」という本を読んでいて「ハッ!」としました。なぜかというと、過去に「志摩太郎」と呼ばれた人物がいたことが記されていたため。

 それは1980年12月のこと。同年11月末に福岡県志摩町の海岸で夜にひとりの青年がずぶ濡れのまま歩いていたところを発見され、ポケットに3000円だけ持っていて自分の名前も何も覚えていなかったと。地元の警察が「志摩太郎」と名付け、その後病院に保護されました。

 その約1か月後、同室にいた患者のラジオから流れて来た甲斐バンドの「翼あるもの」を聞いた彼は頭痛を訴え、顔を紅潮させ、身震いしてうずくまったのち、しばらくして立ち上がり「思い出した。俺は〇〇だ。」と言ったというもの。

 彼は東京の大学生で、無事に両親との再会を果たしたものの、なぜ福岡をさまよっていたのかも記憶をなくした経緯も不明。この件は毎日新聞社会面に記事が掲載されて世間の知ることとなりましたが、暮れが押し詰まっていたためか大きな話題にはならず、バンドからの公式コメントもなかったとか。

 「四万十太郎」と「志摩太郎」というのは文字で見るとわからなかったのですが、発音してみると「しまんとたろう」と「しまたろう」なので、凄く似てますね。そしてどちらも記憶喪失で発見された男性ということで、この二つは関連性があるのでしょうか。その辺、宅間孝行は何かコメントしているのかどうか。どなたかご存じないでしょうか。気になりますね。


長岡さんのジャズベースはメイプル指板でした>甲斐バンド

2024年08月15日 | 甲斐バンド・甲斐よしひろ

 長岡さんというのは、甲斐バンドのベーシストだった長岡和弘さんのこと。その長岡さんが甲斐バンドの初期で使用していたベースはヤマハのSBではないかと勝手に思い込んでいたのですが、その理由は指板が白かったこと。

 それも甲斐バンドデビュー直後に発売された「ビッグヒットコレクション」に使用楽器としてフェンダージャズベースと書かれていたのにも関わらずです。というのも、当時中学生でフェンダーのベースなんて本物どころか写真も雑誌でチラッとしか見たことなく、「ボディが黒でメイプル指板のジャズベースなんてあんの?」という認識だったので。

 

 何しろ当時甲斐バンドはテレビにはほとんど出ず、たまにみる雑誌のステージ写真も白黒がほとんど。おまけにベースまで写ってることはほぼ無し。そんな中でも、フジの「ニューミュージックスペシャル」に出たのは印象に残ってます。昭和51年でしたが、演奏したのは「裏切りの街角」「光と影」「ダニーボーイに耳をふさいで」など。

 ただ、当時我が家は近所にできたビルの影響でテレビの映りが悪く、各自の使用楽器まで目が行きませんでした。とにかく甲斐さんを見るのに必死でしたし。

 で、その時の映像と白黒のステージ写真の記憶から、長岡さんはヤマハのSBというベースを使ってたのでは?というイメージが勝手にできあがってたのでした。

 それがちょっと前に入手したこちらの雑誌であっさり解決。たしかにジャズベースでした。こちらも白黒写真なのでボディの色が黒一色なのか紺色っぽいのかはわかりませんが、サンバーストではないです。そして「指板が白い」という記憶も確かに間違いではなく、こうやって見るとメイプル指板ですね。

 調べてみると、フェンダーのジャズベースは1960年の発売で当初はローズ指板のみだったのが、1966年以降はメイプル指板の物も存在するそうです。現行のモデルにも同様のベースがありました

 我が家にあるのは割と新しい個体でなおかつフェンダージャパンのものですが、このようにローズ指板です。ジャズベースのイメージというとこっちですね。

 

 この記事によると、そのジャズベースはデビューするときに池袋で買ったもので、アルバムでいうと「この夜にさよなら」までは全部これだとか。そして「誘惑」からは写真右のスティングレイ・ベースになったので、音の違いを体験したい人は低音再生をガンガン上げて聞き比べてみるといいかもしれませんね。

 もちろんベースなので大体どの曲にも入ってますが、私が思うにそのジャズベースの音やフレーズが特に印象的なのは当然「悪いうわさ」。それ以外では、

恋時雨
魔女の季節
東京の冷たい壁にもたれて
狂った夜
黒い夏
新宿
最後の夜汽車
きんぽうげ
夕なぎ
氷のくちびる


などなど。ライブアルバムの「サーカス&サーカス」の頃はもうスティングレイのようですが、ジャケ写を見るとジャズベースも使ってたかも。ちなみに「ザ・ベストテン」に出た時は当然スティングレイでした。あの時もかっこよかったです。今となっては貴重なテレビ出演でしたね。


甲斐バンドの蔵出しライブ音源が放送されました>NBCラジオ「Happy Go Lucky!」

2024年06月30日 | 甲斐バンド・甲斐よしひろ

 長岡和弘さんがパーソナリティーを努める長崎NBCラジオ木曜夜の人気番組「Happy Go Lucky!」ですが、6月27日の放送にて甲斐バンドのライブ未発表音源がオンエアされました。

 これは1978年5月に長崎県大村市民会館で行われたライブの音源で、最近長岡さんの自宅から録音テープが発掘されたというもの。長岡さんというと当時は甲斐バンドのベーシストだったわけで、在籍時代に故郷の大村でコンサートが開催されたのはこの一度だけだったとか。曲は「きんぽうげ」と「ポップコーンをほおばって」。

 会館のPA卓からの録音なので楽器の音や歌はしっかり録音されており、会場の拍手や声援は聞こえないもののライブステージの生々しさが伝わってくる音でした。発見された際にはテープがよれててまともに聞けなかったのが、長岡さんが現在館長を努めるシーハットおおむらの音響担当の人に修復を依頼してちゃんと音を拾いだしたとのことです。

 トップの画像は雑誌ヤングギター1978年10月号なので、このコンサートのちょっとあとくらいの写真ですね。使った楽器も大森さんはレスポールカスタムでしょうし、長岡さんもここに写っているミュージックマンのスティングレイベースでしょう。

 甲斐バンドのライブというと78年3月に「サーカス&サーカス」が発売されてますが、
これは前年の12月4日に録音されたもの。その半年後のライブであって、ツアーを重ねてバンドの音がますます練りあがった頃の貴重な音源です。

 メンバーの詳細はわかりませんが、この時もオリジナルメンバーの4人に加えてキーボードの豊島修一さんがいた感じでしょうか。後期のようにパーカッションやサックスが入った編成ではありません。本当にバンドとしての音ですね。

 今ならまだradikoプレミアムのタイムフリーにありますので、お聞きになりたい方は是非どうぞ。


今だからこそ田中一郎「CHINA GROVE」を聞かねば

2024年06月11日 | 甲斐バンド・甲斐よしひろ

 田中一郎さんはギタリスト、プロデューサーで、バンドではリンドン、ARB、甲斐バンドでお馴染みです。今年はリンドンでデビューして50周年なのでライブ活動も活発です。

 その一郎さんが1990年に発売したアルバム「SUPER NOMAD」で、ドゥービー・ブラザーズの「CHINA GROVE」のカバーをやってます。

 

 原曲の歌詞の意味はよくわかりませんが、一郎さんはこれに日本語詞をつけた際に天安門事件をイメージさせる内容にしてます。そのAメロの歌詞は以下の通り。


当たり前を求めて 集まってきた
でも俺たちが欲しかった 夢は奪われた
不安渦巻く広場は まるで戦場

 

 先週で天安門事件から35年経ちましたが、ニュースで見た映像にびっくり。中国の若者に「天安門事件を知ってますか?」と尋ねたら「えっと…、わからないです。」と笑いながら答えてました。あちらの事情を考えたらそんな事にいちいち驚くのもおかしいのかもしれませんが、当時のニュースで戦車が出てきた映像は私でも鮮明に覚えてます。そんななので、この曲の一郎さんのこのカバーは今だからこそ聞かねばと思いました。

 ところで、このCDは当時車でヘビロテしてたので歌詞は見なくても歌えるのですが、今あらためて歌詞カードを見たら結構違っててびっくり。歌詞カードでは上記の2行目が「俺と奴らの夢は 大分違ってた」となってました。どういう事情なのでしょう。まずはお手元にCDがある人は是非ご確認ください。

 なお、このアルバムはサブスクにあるので当然「CHINA GROVE」も聞けます。(Spotifyではこちら) 歌も演奏もかっこいいし、日本語の言葉遊びもあったりで、大人が本気でカバーアルバム作るとこういうのができます。


甲斐バンド 50周年アニバーサリーBOXですと

2024年05月29日 | 甲斐バンド・甲斐よしひろ

 今年デビュー50周年なので何かあるだろうと思ってたら、「50周年アニバーサリーBOX」の発売が発表されました。これはLP2枚、CD3枚、写真集の豪華仕様だそうです。

 甲斐よしひろ公式サイトに詳細がありましたが、レコードもCDもシングル曲中心のベストアルバム的内容。ただし、どちらもリマスターされているものでCD、アナログともに音質には違いがありそう。

 音楽界では今やサブスク全盛ですが、甲斐バンドは「虜」からのNY三部作と「REPEAT & FADE」はまだ配信されてないです。この機会にそちらも開始されることはないでしょうか。

 ただ、私が予想してたのはスタジオ録音のアルバム全部をまとめたBOXセットでした。私にとっての甲斐バンドは1986年に武道館で解散するまでが基本ですので、それ以降の再結成はあまり追いかけておらず、もしかしたら何年か前にそういうのも出てたかもしれません。ちなみに1986年までのオリジナルアルバムは全部CDで持ってます。

 あとはライブアルバムも結構出てるので、そちらをリマスターでまとめたBOXセットも期待してました。画像にある「サーカス&サーカス2019」はすごく音も良くて、特に「ビューティフル・エネルギー」は「流民の歌」に収録のとは全然ミックスが違ってたので、ああいう路線を期待してたり。ちなみに「BIG GIG」はレーザーディスクだけでCD持ってないです。

 それはともかく今回のBOXセットには写真集も付くそうですし、CDの3枚目はレア音源が入るそうなのでそちらも期待して購入します。縁起物ですし。そして、さらなる問題は50周年記念のライブハウスツアー。会場のキャパを考えるとチケット争奪戦が激しいのも想像できますが、なんかオールスタンディングとかいう話も。ここはちょいと厳しいなあ。ホールコンサートもあればいいのですけど、追加公演がないものか。


甲斐バンド初期の使用楽器

2024年05月07日 | 甲斐バンド・甲斐よしひろ

 画像はどこのご家庭にも1冊はあるかと思われる「甲斐バンド ビッグヒットコレクション」です。これは1stアルバムと甲斐さんのアマチュア時代の楽曲、そして一番新しい曲として「裏切りの街角」が収録されています。まさにビッグヒットコレクションですね(?)。

 そこには各メンバーの使用楽器が掲載されてますので、それを並べてみましょう。

・甲斐よしひろ
 グレッチEG、アンペッグEG、ギブソン・ハミングバード
 アンプ:フェンダーツインリバーブ

・大森信和
 ギブソン・レスポール・デラックス
 バーニー・レスポール・ジュニア・TVモデル
 グレコ・レスポール・カスタム
 アンプ:フェンダーツインリバーブ、バイブロラックスリバーブ

・長岡和弘
 フェンダージャズベース
 アンプ:サン・コンサート・ベース

・松藤英男
 ドラムセット:ラディック
 シンバル:ジルジャン
 ハイハット:パイステ


 そしてこの本にはステージでの写真もありますが、もう少しはちゃんとしたものがなかったのでしょうか。そもそも白黒な上に大森さんは顔がまったくわかりません。このギターはバーニー・レスポール・ジュニアでしょうか。TVイエローではなさそうですが。

 甲斐さんの方はなぜかテレキャスを持ってますが、上記の使用楽器一覧にはないので、これは借り物?

 長岡さんは書いてある通りジャズベースですが、別の記事で見たところデビューするときに新品で調達したそうですから実際にピカピカですね。そして痩せているのが衝撃(?)。

 

 ということで、人に歴史ありという話でした。当時はこれらの機材を積んで全国を走り回ってたのでしょうね。甲斐さんも大森さんもツインリバーブということは、移動の時には大変そう。


甲斐よしひろ 10th Anniversary Billboard Live 2024 go EAST, go WEST

2024年04月07日 | 甲斐バンド・甲斐よしひろ

 Billboard Live東京での甲斐よしひろライブに行ってきました。「10th Anniversary KAI YOSHIHIRO Billboard LIVE 2024 go EAST, go WEST」というタイトルがついているように、このBillboard Liveでの公演も10年経ったそうです。

 ツアーは昨日から始まり、東京から、名古屋、横浜、大阪、福岡と回り、来月また東京に帰ってくるという予定。いかにもにエネルギッシュなスケジュール。

 私は甲斐バンドのライブは実際に見た事ありますが、ソロライブは初めて。このBillboard Liveはアコースティックスタイルですが、先日WOWOWでBillboard Liveのベストセレクションを放送してたので予習はバッチリ。

 今回もそこの映像で見たのと同じ編成で、バックはアコースティックギター、ウッドベース、バイオリンの三人のみ。そこに甲斐さんが時折ギターも弾いてハーモニカも吹くという至ってシンプルなスタイル。

 ツアーが始まったばかりなのでセットリストは書きませんが、「えっ、この曲やる?」という意外性もあり。この編成なので歌声はじっくり聞こえますが、昨日はMCも含めて絶好調。会場のノリも良かったのでご本人もご満悦だった様子。「初日の初回からこの盛り上がりはどうだい?」とメンバーに語り掛ける場面もありました。ツアーは始まったばかりで、まだチケット入手可能な会場もありますから関心ある方は公式サイトでスケジュールチェックをどうぞ。

 既に70代に入ってますが、甲斐さんは50年前に甲斐バンドを始めてからずっと全国を回って全力のステージを見せてくれてますので、日本では最も活躍したアーティストともいえるでしょう。ステージを引退したり亡くなってしまう方も多い中、今や対抗できるのはさだまさしくらいでしょうか。

 そしてここからはビルボードライブの会場の話。私は横浜には2回行ってますが、東京は初めて。横浜と東京は客席の配置が結構違います。WOWOWの放送で見て大体の様子はわかったつもりでしたが、実際行ってみたら想像とは大きく違いました。

 というのも、かなり上下の段差が大きいのが実際。今回はエリアのみ選べて席はおまかせの予約だったためDXシートカウンターを選択し、横浜はこのタイプのシートが左右両側と正面にありますが、東京は正面のみ。

 なので、横浜の正面のDXシートカウンターくらいのつもりでいたら、そもそもここが横浜の2階席くらいの高さ。しかもDXシートカウンターが2列あり、その間にDXシートDuoという席が挟まってて、私はDXシートカウンターの後列の方。(座席図はこちらで、私は今回DH列でした。)

 それぞれに段差があってほぼ3階席という感覚でした。行ったことある人はわかると思いますが、バーカウンターの前のところです。出入り口にもトイレにも近いので便利といえば便利なのですが。

 まあ段差が大きいという事は前の客が立ってもステージは見やすいのですが、どういう視界かというとステージは端から端まで全体がよく見えます。ただ、1階のテーブル席のお客さんは最前列しか見えません。なので、どれくらいの人が立ちあがってたかはわからず。

 と、色々書いてますが、なんだかんだ言ってビルボードは好きな会場ではあります。ライブに行くこと自体が非日常を感じるためであって、入った瞬間から「お~、おしゃれ。」という雰囲気になりますし。普通のコンサート会場よりは料金お高めですが、まあ私が選んだシートのタイプだとスタッフが席まで注文聞きに来てくれて料理もドリンクも運んでくれるし、そこは覚悟を決めて行けばと。まあ、もちろんコンサートホールとは別物ですので、あくまでもライブレストランを楽しむという話。


イチローがスペースバンドに?

2023年11月19日 | 甲斐バンド・甲斐よしひろ

 

 田中一郎ギターアッパーカット2にて驚きの話が聞けました。なんとスペース・バンドのレコーディングに、田中一郎さんが参加してたそうです。

 スペース・バンドというのはつのだひろさんのバンドですが、第一期はキャプテンひろ&スペース・バンド、その後つのださん以外は全員メンバーチェンジをしてつのだひろ&スペース・バンドになった様子。

 トップ画像はそのメンバーチェンジの際の記事ですが、これは1974年の話。記事によると新たなメンバーは角田順さん、高橋伊久馬さん、藤井真一さん。「ミスターD.J」というシングル曲がありますが、レコードのジャケットでは名義が「スペース・バンド 歌/高橋伊久馬」となってます。

 一郎さんは当時つのださんと親交があり、そのレコーディングを見学に行ったところコーラスで参加することになったそうです。実はこの曲は私も当時ラジオで聞いてたのですが、普通に「スペースバンド」として紹介されてたので、つのださんとこの曲が頭の結びついたのはずっと後でした。

 この曲を聞いてみると後半に何人かで歌ったコーラスが入ってるので、そこに一郎さんの声も入ってたのですね。知らずに聞いてました。まあジャケットにクレジットもないのでわからないのは当然ですが。

 この高橋伊久馬さんはその後トランザムのヴォーカル担当になりますが、「ああ青春」とか「ビューティフルサンデー」とかは当時よく聞いてて、その人と「ミスターD.J」が同じ人だったというのは20年くらい前につのださんのラジオで知ったのでした。高橋さんはトランザムの頃は改名してましたが、今はもう亡くなったのですね。

 一郎さんはというと、このレコーディングに参加した後「リンドン」でデビューし、同期にはがむがむ、とんぼちゃんなど。ここには出てませんがふきのとうも同期ですね。

 

 

 その一郎さんがいつ頃から東京に出てきて、つのださんとどうして繋がりができたかというあたりは、今回のギターアッパーカット2をご覧下さい

 ところで、このスペース・バンドのメンバーチェンジの記事は雑誌「guts」の1974年5月号なのですが、福岡のライブハウスを紹介する記事もありました。そこで注目は「照和」。この日の出演は明日のチューリップを目指す「ピエロ」だそうです。どっかで聞いたことがあるバンドですが、もしかしたらステージにいるのは松藤さん???

 

 

 そうやって時代が動き出した頃なんですね。いろいろ勉強になります。