迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

東寺探しの徒労【2011雲南】DAY04・昆明到着

2011年04月15日 | 旅する。

4月15日 金曜日 (広州)→昆明

【不機嫌の理由】
夜半、トイレに行ったがなぜか開かない。真夜中なのに先客か。その先の車両まで行ったがふさがっていた。あきらめて帰る。7時に起きて、懸案のトイレをすませるため列車の中を遠征する。結局7号車の軟臥(2段寝台)まで行くとようやく空いていた。

どこかの都市を通過した。高層ビルと街路樹を備えた大通りは立派なものだ。

補助椅子を確保し、朝食も昼食も抜き(車内販売の味とコストパフォーマンスが悪いため)、窓の外をひたすら眺める。

棚田が広がる。

13:05、石林(シーリン)駅に着いた。ここで降りることも考えたが、昆明(クンミン)まで行くことにする。

14:37、ほぼ所定の時刻に昆明駅に到着。下車するにも人民の渦に巻き込まれるのだが、たまたま車掌が「こっちからも降りられる」と別の出口を教えてくれたので比較的スムーズに出られた。

【巨大なショーケースとしての昆明火車站】
改札を出ると巨大なホールは大量の団体客やダフ屋や客引きらしき面々で埋まっていた。広州駅をしのぐ巨大さは雲南省における近代資本主義のショーケースなのだろうか。

きっぷ売り場で大理行きを探す。明日の大理行き夜行は硬臥なら空席があり、昼行は硬座のみだった。本来ならさらにバスターミナルまで行って情報収集したいところだが、気力がない。早く宿を決めよう。

駅の回りには客引きやダフ屋が群れをなし、食べ物や日用品の道売り、耳掻き屋までが路上に屋台を並べていた。

【金馬碧鶏広場に宿をとる】
歩いてみる。北京路を北へ、環城南路を西へ、東寺路を北へ。左手に西寺塔が見えるが、観光は後回しにして先を急ぐ。金碧路を西へ行ったのが間違いだったようで、西昌路へ引き返してようやく昆明の中心部に出た。碧鶏門と金馬門がつづく広場だ。

この広場の奥にHUMP HOSTEL(駝峰客桟つまり「駱駝のこぶホステル」)を見つけた。ドミトリーは満室、150元(約1875円)のバストイレ付き個室が1泊だけしか空いてなかったが、他を当たるのも面倒くさいのでここに投宿。

けっこうゴージャスな部屋だった。ちなみにチェックインでは250元(100元はデポジット)支払う。このホステルは旧市街にあり、古い家屋を改装したもので西洋人に人気が高いようである。

【西寺があるのに東寺が見つからない】
外に出て書林街を往復したが、レストランも東寺も見つけられない。金碧路を東へ。やはり何もない。意固地になって三度書林街を往復する。行けども行けども東寺の塔がない。なぜだ? そうこうしているうちにネットに包まれた塔を発見した。これだったのか。

修復工事中だったらしい。意地を張って時間も体力も消耗してしまった。

【美食街はまだはじまらない】
途中の遊歩道で「美食街」なるイベントをやっていた。各地の物産展のようだが、肝心の「美食」はまだ始まっていない。どうやら運に見放されているようだ。

東寺路を渡って西寺へ行き、撮影してみたりする。

【昆明でBBQ】
美食街の周辺ををさまようがピンとくるレストランがない。金馬碧鶏広場の南に広がる新宿歌舞伎町みたいな歓楽街あたりで探してみる。決められず、優柔不断に陥る。遊園地の残骸のようなさびれた地下の広場や、伝統建築とアメリカ文化が野合した欲望の混沌を眺める。美食街と広場南の歓楽街を往復する。もっと遅い夜が本番なのだろう、まだスタートしない夜の街の風情が漂う。

この建物がカフェらしい。何でもありだな。

結局、「BBQ」という看板に釣られて、とある店に入ってみる。日本で言うバイキング(フランス語ならbuffet、北欧ならsmorgasbord、沖縄なら「バッフェ」、つまりセルフサービスの食べ放題)の料理をのせた大テーブルがあり、さらにシュラスコ風にBBQの串焼きが客の卓を回っていくシステムらしい。ビール、ドリンク、サラダ、フルーツ、スイーツ込み込みで48元(約600円)。スタッフは英語はできないが、笑顔で懸命にサービスしてくれるのがけなげ。

クミン味付けの羊肉、豚肉は甘辛く、鶏軟骨が美味。炒飯は薄味だが米線と一緒ならいける。サーロインも食べたいが、すでに食べ過ぎでお腹がいっぱいだ。ビュッフェのテーブルにはスープにお粥、ライチのジュース、メロンのジュースなども並んでいる。ビールはアルコール薄め、コク多めの若い感じの生ビール(ベトナムでいうビアホイよりは濃いめ)だった。不運つづきの日にしては上出来の食事。