4月18日 月曜日 大理
【喜洲へ】
早朝、宿からいったん外に出たが、寒いので部屋に戻って薄手のシャツを着て出かける。今日はちょっと遠出してみようと思う。西門を出たら、駱駝がいた。
客引きのおばさんに「喜洲(シージョウ)行きは?」と聞く。
「もっと向こう」
そうですか。さらに駐車場誘導係の兄ちゃんに聞く。
「向こう、さらに左手に回ってドウタラコウタラ」
西側を見上げると、峰々に朝日があたってきれいだ。
暇そうな警官に聞く。
「まだまだ、向こう」
ミニバスが停まっていたのでこれかと思ったが、ドライバーも乗客も
「道の向こう、あそこ!」
と左手に停まっていた青い車両を指差す。あれか! 北に向かうのだから、と道の右側を歩いて来たのだが、喜洲方面に行くミニバスは反対側だった。この空き地から往復しているらしい。道を渡る。広い車道を太陽が照らしている。いい天気だ。
[注]いかにも流暢に聞いているようだが、実は「シージョウ(喜洲)?」と地名を発音しているだけである。聞き返され、言い直しを重ねて発音が現地に近くなり、だんだん平仄にも習熟すると、旅が楽しくなってくる。
このミニバスは洱[さんずいに耳]源行きだった。乗車して発車を待つ。こういう類いの近距離ローカルバスには定時がなく、満員になってから出ることが多い。車掌が回ってきた。7元と意外に高い。30分足らずで喜洲に着いた。下ろされたところは何もない道路脇で、めざす喜洲の街は東側に少し入ったところにあるはずだ。歩いても15分くらいか。
【ピラニアに1元】
バスを降りたときからオート三輪の男が寄ってきて、執拗に「乗れ」という。あまりにしつこく、ピラニアみたいだ。「1元」というので、後でどこかに連れていってリベートを稼ぐつもりだろうとは思ったが、乗ってみる。回りには田んぼが広がる。日本と違うのは稲刈りしたばかりの田や植えたばかりの田が混在していることだ。二毛作あるいは二期作なのだろう。大理はもともと洱[さんずいに耳]海(アルハイ/じかい)という水源に恵まれて発展した地域である。オート三輪はすでに喜洲の街のなかに入っているが、ピラニアはかまわずさらに進み、何やら古い大きな家に入って停めた。ここの白族伝統民居(古民家)を見学し、三道茶と民族舞踊を楽しんで40元という。やはりリベート目当てだった。
伝統民居で三道茶と民族舞踊は喜洲観光の定番だが、こうした観光民居がたくさんできて、競争になっているらしい。そのうちどこかの民居には行くつもりだが、いきなり頼んでもいないところに入るほど、人はよくない。しつこいピラニアを約束の1元で振り切り、外へ歩き出した。
【広場で焼きうどん】
歩いてみると、街は自然な古色を帯び、大理古城のように開発も進んでいず、なかなかフォトジェニックである。広場に出たら、いい匂いがした。焼きうどんのようなものを食べてみる。
屋台にしては5元(約78円)と高いし、量が少ないが、ニラ、唐辛子に漬け物と素朴な麺に風情を味わう。広場から東へと細い道をゆく。観光馬車がコトコトと蹄を鳴らして追い抜いていった。
このまま東へまっすぐ行けば洱[さんずいに耳]海に達するはずだが、けっこう遠いのであっさりあきらめる。老爺が自転車に幼児をのせて行きすぎていった。
さっきの広場に戻ると団体の観光ツアーが来ていた。ここもやはり観光地ではあるが、幸いにして他の観光地ほど演出過多ではない。
広場から北にのびる通りが路上市場になっていて、その先にオート三輪がたまっていた。本来は買い出しの人たちの足になっているようで、さっきのピラニアのように観光客を狙うのは少数派(というか、一人だけ)のようだ。
【人生には三つの味がある】
狭い路地をジグザグに折れながら、行きつ戻りつする。こういう時間がいちばん楽しい。小さな街だが、商都であり、古道の宿駅でもあったろう。
厳家民居を見つけたので入る。ここは50元。さっきのところより高いが、住宅としては驚嘆する広さと建築の巧緻さを誇る。典型的な「三房一照壁」「四合五天井」だ。空いているのを幸い、ゆっくりと建築を見て回る。
[注]三房一照壁は、白族民家独特の庭院形式で、三つの建物で囲んだ中庭に白い壁を立て、陽光を反射させる。下の写真が中庭、白い壁が照壁。
[注]四合五天井は、四つの建物で中庭を囲み、外側の四隅にできた空間を中庭とすることで、中央と四隅合わせて五つの庭を配する形式。中国語の「天井」は屋根のない囲まれた空間をさす。ちなみに日本語の「天井」にあたる中国語は「天花板」。
向こうから手招きされたので行ってみると、イベントが始まるらしい。どうやら今来た団体と一緒になるようだ。ステージのある会場に入り、まずお茶をいただく。三道茶を楽しみながらステージの民族舞踊を見る。踊り子にカーリングの本橋麻里にそっくりの娘がいて、勝手にマリリンという名前に決める。
[注]三道茶は白族に伝わるもてなしの茶道で、最初に苦い茶(緑茶)、次に甘い茶(乳製品や砂糖を加えた茶)、最後にいろいろなものを混ぜた茶(蜂蜜、生姜やスパイスなど)が出る(これを称して一苦、二甜、三回味という)。それぞれを一道、二道、三道と呼び、人生の苦楽をあらわすとされる。つまり、最後は「いろいろあった」ということか。
バスに乗るため幹線道路に向かって歩く。
道路に出たら、あのピラニアに会った。ここで客待ちをしているのだから、当然か。最初の民居に入らなかったので怒っているかと思ったら、親切にもバスが停まる場所を教えてくれた。しかもわざわざ向かい側に一緒に渡り、とくに目印もないところで来たバスを止めてくれた。乗り込むと、道路からピラニアが手を振っていた。
【風船売りの背中】
途中、崇聖寺三塔が見える。大理随一の観光名所だが、入場料が高すぎる。車窓から見たことで「観光した」ことにしておく。バス代は今度は8元だった。細かいことにはこだわらないことにする。朝と同じ場所に着いたが、今は祭りの喧騒でけたたましい。風船売りが売り物の風船を大量に身にまとわせて歩き回っていた。
【千円でマッサージ】
LAZY LODGEに帰ったら、タオルが交換してあった。ゲストハウス的安宿と思っていたが、サービスは意外に緻密だ。
14:30、昨日目をつけておいた博愛路にはマッサージ店が並んでいる。中国伝統の経絡云々で80元/60分というコースがたぶんツボを押してくれるだろうと思い、それを頼む。日本円で約1000円。
個室に案内されてお茶が出た。頭、手、足、腰のツボ、とくに首筋と脚の付け根のリンパ節を念入りにマッサージしてくれる。腕のツボはかなり痛かった。続いて肩、お尻、腰、背中。実質1時間以上、丁寧で良かった。客のカラダがあまりに硬かったので、余計にやってくれたのかな。
【祭りと商魂】
洋人街広場では、昨日軽く撮影した建物をツアーガイドが長々と解説していた。後で来てみよう。今はカメラを持っていない。
16:05、カメラを持って出直す。坂道を上がって城外へ出たら、祭りの人混みに突入することになった。西門から玉耳路を歩くとキャンペーンガールが何か飲み物を売っている。2.5元は安い。服飾店の値付けは「19元!」が多い。レート換算するなら137.5円だが、感覚的には「490円!」あたりか。所得水準がわからないから何とも言えないが。
【雲南風のキリスト教会】
博愛路を左折して北上する。大理公試院を探すが、それらしき建物は見つからない。駐車場奥に素っ気ない建物はあるが。北門から南下したあたりに天主堂(キリスト教会)があったが、探している天主教堂とは違うようだ。映画館の前には出店が多数。昨日と同じ場所で、昨日とは違う団体が伝統音楽を演奏していた。
さっきツアー解説していた洋人街広場の建物。さっきマッサージを受けた店。人民路のカフェ通り。東へ行くと清真料理(イスラム料理)の店が並ぶ。だんだん大理という街になじんできた。
「天主教堂」の文字が見えた。行ってみたら、見事な建築(1927年)だった。これか。施錠されていたので、外側だけ拝観する。
西正面に三つのアーチ門、捻り円柱。西に正面を向け、塔が立ち、東へ長くつづく堂宇という構成はカトリック教会のものだが、屋根の傾斜、瓦、装飾は雲南のものだ。
【あてのない散歩】
人民路に戻る。カフェ、貸本屋、日本食レストラン、客桟がちらほら。
じいさんたちが疎水べりで煙管を吸う風景は絵になる。東門からは団体ツアーのバスが次々と出ていく。叶楡路を南へ行くと、人民軍らしき警備兵が遠くから威嚇する。手真似で「行けない?」と聞くが、剣呑に銃を構える。通行禁止の掲示もなく、地図にも載っていないが、軍の施設が古城のなかにあるようだ。
【楼上から】
軍施設のせいで南西に行けない。路地をぐるぐるして、結局は人民路に出た。復興路を南へ。昨日ほどではないにせよ、人混みの中を歩く。五華楼。さらに南下。南門をくぐると城外には花壇があり、門を背景に記念撮影する観光客が互いに互いを邪魔扱いしている。南門は登楼できなかった。
五華楼に登ることにする。階段を登ると費用徴収係(食事中)がいて、2元支払い。四方をぐるっと回る。見渡す瓦の波の中に興醒めな貯水塔のタンクがいくつか。ここの仏像を拝観する。
上にあがる階段を見つけた。まだ上があるんだ。登る。また回廊があり、さらに最上段へ登る。大理を見下ろす。
この高さからは洱[さんずいに耳]海が見える。その向こうの東山に夕焼けが反射してきれいだ。そうだ、思い出した。明るいうちに洗濯物を取り込まないと。
【書店にて】
帰りに本屋を二つ見つけた。
本屋1、教科書中心、ケルアック "ON THE STREET" 中国語訳『在路上』あり、日本の作家では渡辺淳一も。
本屋2、樹林書房みたいな名前だった。『ONE PIECE』21巻(中国語版)8.8元(約110円)、大理、麗江他をおさめた雲南写真集40元(約500円)を購入する。計48.8元、50元札を出したら律儀に1元札と1角札2枚を渡してくれた。
【関帝廟で白族に間違われる】
さすがに歩き疲れた。日が暮れていく。空腹のまま洋人街から、博愛路を南へ。仮設ステージでイベントをした形跡があり、その奥に関帝廟があった。入ってみたらおじいさんが歓待してくれて、お香をあげろだの、なんだかんだ説明してくれたりするが、もちろんわからない。白族か聞かれたので「ウォーシー、リーベンレン(我是日本人)」と答える。
関羽の隣、張飛はわかるが、もう一人は幼子を抱えて走った李鵬かな。ステージ跡では子どもたちが遊んでいる。
関帝廟と隣の建物と2階で接続するつくりになっていた。そこはアンティークショップ中心のコマーシャルコンプレックスだった。モスクかと思った尖塔はホテルらしい。宵闇が迫る。LAZY LODGEに戻る。庭にいるサモハンキンポーに会釈したら、手を振ってくれた。干していた洗濯物を回収して、すぐまた外出する。夕食だ。店頭に野菜や魚を並べ、派手に中華鍋をふる店がいくつもある。メニューはなく、材料と料理法を指定する注文方法だった。
【烏骨鶏の滋味】
そこはやめて博愛路を下る。角でギターとジェンベのセッションをやっている。BAD MONKEYの向かいの店で熱心なウェイターに根負けして庭のテーブル席に座る。最初に器セットにお茶が出た。メニューとビールを頼む。鍋が3個重なって蒸してある烏骨鶏らしきスープ30元をとくに薦めるので、頼んでみる。料理名は「汽鍋烏骨鶏」。すぐにきたのは、たぶんもう作ってあったから。
すくえば黒い鶏の足。骨ごとぶつ切り、キノコや生姜やネギや臓物や漢方薬膳の香りがする実もみえる。洗練とは対極だが、スープはものすごく美味。漢語の「滋味」そのものだ。途中で米飯(ミーファン)を頼む。ここは櫃(ひつ)ではなく皿にのって出てきたが、けっこうな量をほぼ食べきる。会計は38元だった。
【大理でジャズ】
向かいのBAD MONKEYへ。あまりに高いので悩む。ビールの値段が2倍だ。結局いちばん安いラムをオンザロックで、18元(約225円)。
今晩はジャズのライブで「SO WHAT?」など4曲を演奏した。4人編成、ドラムスがリーダーで、ベースがサブリーダーっぽい。他にエレキピアノ(キーボードというよりもエレピ一辺倒だった)、ギターは唯一のアジア系で、民族楽器も弓でちょっと弾く。なかなかのレベルで、民族楽器もアレンジし、面白かったが、酒がむやみに高いのでさっさと出る。
街角でギターとジェンベがなんとなく集まって、楽しそうな夜。あまり関係ないがウブド(バリ島)を思い出した。少し幸せな気分でいつものねぐらに帰った夜。幸せの真っ只中でなく、ちょっと外側で気分だけ味わって帰る。