迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

民族の祭り、三月街【2011雲南】DAY06・大理

2011年04月17日 | 旅する。

4月17日 日曜日 昆明→大理

【ドミトリーの朝】
大地を揺るがすいびき、フランス人の話し声、誰かの目覚まし。10人ドミトリーならではの雑多な騒音のおかげで寝過ごすこともなく、6時前に起床。シャワーを浴び、シーツなどをはいで所定の場所に置き、寝ている人に気を遣って荷物を廊下でパッキングして、チェックアウト。デポジットの50元がかえってきた。

テラスに出ると朝日がもうのぼっていた。街路でタクシーを待つが、なかなか来ない。清掃車が通ったあとの道路でバイク、自転車が次々に転倒している。交通量が多いのでハラハラする。明らかに大量の洗浄液を垂れ流しているのが原因だが、問題になっていないのだろうか?

【発音練習の代わりに】
やっと来たタクシーに行き先を伝える。最終的には漢字で書いたメモを見せるのだが、早く行き先くらいは発音できるようになろうと思う。途中、タクシーとトラックの衝突事故現場を通過。アイヤー。早朝の郊外は空いていて、あっという間に着いた。メーターで20.6元、21元支払い。

路上の飯屋がうまそうだ。写真を撮ったら、晴れやかに笑いだした。釣られてボクも笑った。

【大理へのバスはどれだ?】
大理(だいり/ダーリー)行きバスを探している、と言うと「アール・サン・スー・スー」とゆっくり言ってくれる。バスの番号「2344」はわかっている。問題はバスにその番号の掲示がないのだ。適当にあたりをつけたバスのドライバーにチケットを見せたら違っていて、隣のバスだった。乗客から笑いが起きる。ボクも明るく笑って教えられたバスに乗る。

車内はこんな感じ。

07:43、発車。途中、公安のクルマが問答無用とばかりにクラクションを浴びせて他の車をどかし、Uターンしていった。自分さえよければ、他はどうでもいいらしい。

【下関から古城へ】
12:32、到着。昆明から大理へのルートは景色がいいらしいが、熟睡してしまった。さて、バスが着いたここは大理であってまだ大理ではない。旅行者にとっての大理は 「大理古城(ダーリークーチョン)」という城壁に囲まれた街だが、現代の大理市の中心は下関(シャーグヮン)で、ここが交通の起点になっている。長距離バスのほとんどはここに発着するが、行き先は「大理」と表記されるのでまぎらわしい。

バスを降りたところはただの路上で、飯屋が並んでいた。

古城へ行くバスを探すが、何の標識もなく、試しに勘で歩くが手がかりがない。客引きかと思ったおばさんが「パーシー(8/八路)」とバスを教えてくれた。けっこう遠い。南北に通る大通りにバスがたくさん走っていたので、北行きのバス停から八路のバスに乗車、1.5元だった。

左手に蒼山、右手に洱[さんずいに耳]海(アルハイ/じかい)。住宅開発が進んでいる。バスが城壁のなかに入ったら、凄まじい渋滞になっていた。それも、クルマではなく人波で渋滞している。途中、交差する通りが車両通行禁止になっていた。やがてバスが左折しようとする行く手にものすごい行列がバス待ちしているのが見えた。これはいかん。降りよう。

【お祭りだった】
バスから降りて道を少し戻り、車両通行禁止の道を歩いてみる。祭りで通行規制しているのか。あ、そうか、三月街(大理白[ペー]族自治州三月街民族祭)か。旧暦ではたしかに今は三月だ。それにしても、ものすごい人出が狭い通りにあふれている。人民の海、あるいは少数民族の海をかきわけてまっすぐ行く。大理文物保管所、復光路を行きすぎる。

西門の前に出た。屋台が並ぶ。このへんでは路上に食材を並べ、店頭で鍋を振る食堂が軒を連ねている。

博愛路から狭い道に入る。

路上で藍染めの布を売っていた。

【宿の怠惰な選び方】
LAZY LODGE(懶人回家)という宿で空室を聞く。サモハンキンポー似のスタッフは英語が苦手らしく、おかみさんを呼ぶが、彼女の英語も五十歩百歩だった。玄関に近いシングルがひと部屋だけ空いていた。室内に無理やりシャワー&トイレコーナーを作った感じで、窓が通りに面しているのも気になったが、また探すのも面倒なので88元(約1100円)で決める。荷物だけ置いて、すぐにまた散歩に出かけた。

【ペー族の料理】
おなかが空いていたので適当な店に入る。決め手は入口に張ってあった料理写真なのだが、あまりほめられた選び方ではない。2階のテラスへ案内され、通りを見下ろしてランチ。白(ペー)族のナントカ砂鍋飯、薄切り肉のナントカ、ビール。菜単(メニュー)があったので、中国語と英語を参照して解読したが、値段はだいぶ高めだった。

大理名物は「砂鍋魚」(土鍋に魚、野菜などを煮る)だが、その土鍋を使った炊き込みご飯だった。薄味。薄切り肉のタレには納豆のような発酵味があり、「大理に来た!」という感を深くする。

通りを龍の行列が練り歩いていった。

勘定は「スースー」、44元らしいが100元出したらお釣りは55元だった。料理はまあまあだが、サービスする人間にいまいち誠意が感じられない。

雨が激しくなり、しばらく雨宿りしてから雨足が鈍ったところを急いで帰る。

【紙幣が検査機を通らない】
LAZY LODGEでチェックインの手続き。例によって多めにとられる。デポジットであることはわかっているが、念のため「デポジットか?」と尋ねたら意図せずおおごとになる。自称「英語ができる」という中国人客が「FOREGIFT」としたり顔で解説するが、たしかにそれは敷金とか前払い金という意味ではあるが土地や家を買うわけではなく、宿泊施設(それも短期)ではあまり使わない英語だし(たぶん)。

結局漢字で筆談して、わかっていることだがちゃんと確認しておく。さて、今度は払った札が紙幣検査機を通らない。安宿で札を検査機で調べるのも初めてみたが。しょうがないので、別のATMからおろした札を試したら検査機を通過した。おそらく検査機の不具合だと思う。サモハンキンポーが「またか」と悩んでいた。中国製品レベルの一端をかいま見る。ちなみに、中国語ではデポジットを「押金(ヤージン)」というらしい。覚えておこう。

フロントで洗濯を聞いたら「洗衣?」と洗濯機まで案内してくれた上ほとんど代わりにやってくれた。洗濯粉つき、12元(約150円)。洗濯機の使い方は日本とほとんど同じだった。

【エスニックを売る街】
夕方の散歩。洋人街を抜けると街頭では伝統音楽を演奏していた。 

復興路を南へと歩いてみる。古い街並みがつづく。時には崩れかけたまま放置されている。お祭りでなおかつ日曜日のせいか、人ごみがただごとではない。東華楼を過ぎ、南門の前には沙悟浄と猪八戒(の格好をした商売)がいた。福を呼ぶという羊がいて、門の南には民族衣装の若い女性が並んで、記念撮影で一緒に写る仕事にいそしんでいる。

路地裏でペー族が「香草肉」を売っていた。屋台ですらない青空商売だ。

一説には少数民族を売り物にした観光地の商売で儲けているのはほとんどが漢族で、元手がない少数民族はこうした路上の商売でしのいでいるという。

某友人に聞いていたBAD MONKEYを発見する。いわゆるライブカフェだ。なかなかワルい雰囲気である。通りを少し行くと日本人とおぼしきカップルが道売りをしていた。その近くにはジェンベなどを4人で叩いて遊んでいる連中もいた。バスキングしているのか、ただ演奏を楽しんでいるのかは不明。ひとりでギターを弾く若者もいて、このあたりはそういう界隈らしい。

【洗濯機を直す】
LAZY LODGEに戻ったが、洗濯機はまだすすぎの段階だった。けっこう時間がたっているのにおかしいと思い、よく見ると排水トラブルがあってエラーになっていた。直す。洗濯が終わるまで、庭で地図を見たり、スタッフが自転車を点検する様子を見ていたり、なんかゆるい感じでぼーっとする。こんな時間が実はいちばん記憶に残ったりする。ようやく洗濯が終了し、おかみさんに干す場所を聞く。螺旋階段を上がった上に干し場があった。

【あちこちで踊りの輪が】
夕食を求めて外出する。試しに西側から城外に出たら、そこも祭りだった。無数の屋台がひしめいていて、めまいがしてきた。適当に街をぐるぐる一周してみる。マッサージは18:00前なら割引だった(「8折!」は八掛け、つまり2割引の意味と判明)。広場というか交差点というか、いろんなところで踊りが披露されている。

祭りの高揚した雰囲気に浮かされたように人々がうごめく。さらに暗くなっても踊りはつづく。揃いの民族衣装からは「官製パフォーマンス」の雰囲気が漂う。

果物の屋台には裸電球。

そうだ、夕食を食べるところを探していたのだった。この店に入った理由は、いいかげん疲れていたし、客引きのお姉さんが熱心だったからである。青椒肉絲に見えた炒め物にはタケノコでなくキノコがたくさん。ビールを飲み、米飯(ミーファン)を頼んだらおひつ(!)ごとテーブルにやってきた。たらふく食べる。下の写真に同じ皿が二つあるのは、一方は取り皿だから。もともとは大人数で料理を分け合うのが本来の形であろう。

どうやら食べ過ぎた。勘定は36元(約450円)、お茶も有料らしい。BAD MONKEYではライブをやっていたが、食べ過ぎで気持ち悪いのですばやく帰る。