迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

巨大観光都市【2011雲南】DAY09・麗江

2011年04月20日 | 旅する。

4月20日 水曜日 沙渓→麗江

【夜明け前】
今日は沙渓(シャーシィ)発08:00乗り合いタクシー、剣川(ジェンツァン)発09:30麗江(リージャン)行きバス、麗江に12:00到着を目標にしよう。標高が高いせいか、放射冷却か、夜は冷え込む。紅茶を淹れて、軽くパッキングし、朝の散歩に出かけた。フロントではオヤジが寝ていた。まだほの暗い6時半、ゴミ回収車が爆音を立てて走り抜けていった。路上でもう餃子屋が湯気をたてている。

寺登街には提灯のような街灯がついている。

四方街では三層楼が暗い空にシルエットを描く。四方に伸びた隅棟にそれぞれ二体の神獣(鳳凰か)が乗っている。学校へ行く子どもたちとすれ違った。

南宗古道へ入ってみた。丘の上の古趣を帯びた道を行く。視線の下方に街が広がる。三方一照壁の家があり、瓦の波が連なる。突然、村中に音楽が鳴り響いた。夜が明けたようだ。途中から犬がついてきた。

一種のguide dogか、道案内をするかのように先導し、立ち止まると一緒に止まってこちらに「歩こう」と催促する。かつてアイルランドのアラン島で吹雪のときにguide dogに宿まで案内してもらったことを思い出した。

小さな門をくぐり抜ける。

分岐に差し掛かった。学校は左手の方向にあるようだ。右手に折れるとちょうど沙渓酒店の前に出た。さらに歩くと、餃子屋がもう一軒店開きしていた。荷物を満載したトラックが走っていく。道案内の犬はどこから拾ったか、獣骨をくわえて帰っていった。ここで役目は終わりらしい。もう一度、最後に寺登街を歩く。欧陽大院へ。青空が広がっている。

路上の餃子屋が妙にフォトジェニックに見える朝だ。

【フランス語と英語と筆談で仲裁する】
沙渓酒店に戻るとオヤジは今日もニコニコしていた。朝の街は気持ちいい。乗り合いタクシーはちょうどあと一人だった。フランス人らしき中年夫妻は軽装だから石宝山までだろう。乗り合いタクシーだと入場ゲートの数km手前までしか行かないからかなり歩くことになるが。

やはり石宝山で中年夫妻は下車したが、料金でもめる。フランス語と英語を駆使して聞けば「昨日は2人で16元だった、1人10元はあり得ない」という。ひとり当たり2元(25円)の差だが、公共交通機関なのに料金の差があるアジア的いい加減さが許容できないらしい。フランス人が折れそうにないので、ドライバーに漢字筆談で説明したら、ドライバーはしぶしぶ折れた。

剣川に着いた。行きと同じ10元。ドライバーに「在哪[口+那]裡、巴士、到麗江(ツァイナーリ、バーシー、ダオリージャン/麗江までのバスはどこ)?」とめちゃめちゃな語順で聞き、指差してくれた方向へ行ったら剣川客運站があった。

【窓口の混沌】
客運站で開いている窓口はひとつだけだった。そこに人民が群がって混沌状態になっている。体を食い込ませ、肘を張って順番を主張しないと何も進まない。手を突っ込んでメモ帳の「麗江」を見せると、「09:30」とPCの画面を回して見せてくれた。17元+保険1元で18元。大理から剣川までは30元だったから、剣川→麗江間より近距離なんだろう。時刻表は古いままで、香挌里拉(シャングリラ)は中甸と本来の地名表記のままだった。

まだ8時半を過ぎたばかりだ。トイレに5角払う。いわゆるニーハオトイレだが、小用だから我関せず。食堂を探して歩く。客運站の隣に並ぶ数軒のうち、米線の店に入ってみる。

料理を指差して注文する。辛いが、うまい。朝日が逆光になって店に射し込む。4元(約50円)だった。

【労働争議で麗江行きは遅れた】
30分前に改札を抜け、麗江行きのバスを探す。構内では何事か揉めていた。不穏な匂いがする。09:15、麗江行きバスは来たが、そのドライバーが紛争に参加する。どうやらドライバーたちが上役と何か争議になっているようだ。ドライバー集団には高橋克実似やココリコ田中似がいて、距離を置いて見ているお局さま然としたおばさんは友近に似ている。それぞれに役柄を当てはめてストーリーを想像して遊ぶ。しかし当事者の表情はさらに険悪になり、事態はどんどん深刻の度を増してゆく。バスには乗車すら出来ず、その麗江行きのドライバーが一番興奮している。

10:00、やっと乗車。すぐに発車した。争議がどういう解決になったのかはわからないが、ドライバーはいまだに激昂している。ただでさえ安全運転とはいえない中国のバスなので、とにかく事故がないことをありとあらゆる神様に祈る。

バスの車内から馬に乗る観光客とガイドたちが見えた。このあたりからツーリスティックな匂いがしはじめた。

12:10、すでに麗江市内に入ったようだ。目の前がシャングリラ大道だ。12:20、麗江バスターミナルらしい。下車地点は車両の駐車場で、客運站はその隣だ。例によって客引きに囲まれる。今回はすぐ目の前にバス停があり、経路も停留所名も書いてあるので楽勝である。 

【古城に宿を探す】
11路のバスが停まっていた。発車しかけていたが乗る。ドライバーに「グーチェン(古城)?」と聞くと頷いて、運賃入れに顎をしゃくる。乗客のほとんどが降りたところで降りた。そこが古城口だった。道の向こうに百貨大楼がそびえる。どうやら麗江は大理とは桁違いの規模の観光都市に変貌しているようだ。

客引きのおばさんをあしらい、公園に入ると、麗々しく世界遺産を謳った碑(揮毫は江沢民)や巨大な水車、トラベルインフォメーションが並ぶ。ああ、観光地なり。この時点ですでに疲れそうな予感がする。

玉縁路を南東へ、公安派出所で右折して五一街興仁上段を行く。路地を折れると小学校を囲む塀にトンパ文字が描いてあった。坂の上から西側を見下ろすと甍の波が連なる。その坂を降りたら正面が古月房客桟だった。

部屋は残りひとつ、通り側のツインが「イーパイ(百)」、100元なら許容範囲だがトイレその他設備が古いのが気になる。いったん辞して隣の老謝車馬店へ。中庭を抜けるとレセプションがあった。今日は満室だそうだ。ここなら英語が通じるのだが。昆明のHUMP HOSTEL(駝峰客桟)と同様に外国人向けのゲストハウスのようだ。

古月房に戻って、さっきの部屋にチェックインする。2泊で200元を前払いするが、デポジットはなかった。ただし、パスポートにビザがないことを不審に思われる。滞在15日以内ならビザ不要であることを説明するが、なかなかわかってもらえない。

【帰途の飛行機を買う】
近所を歩くと、古い家屋を改築したらしい客桟が目につく。ここも宿泊施設が供給過剰らしい。たまたま見つけた旅行社で帰途の飛行機を決める。麗江→広州はやはり高いので、どうせならと香挌里拉(シャングリラ)まで足を伸ばしてみることにする。 1日で香挌里拉→昆明(クンミン)→広州と乗り継いで、計1660元(約20750円)。

【路地をさまよう】
街を歩く。街全体が「観光テーマパーク化した」と悪口を言われる麗江だが、そう割り切って歩けばとくにストレスはない。ただ、やっぱり人ごみは苦手だ。レストランを探し、干し肉屋に興味をそそられ、水路を愛でる。水辺にはやはり高そうな飲食店が並ぶ。

四方街には民族衣装で踊る輪ができていた。ここもか。お揃いの民族衣装、盛り上がる飛び入りの観光客、冴えない表情の踊り手たち。

迷路のような細い路地に入り込み、思いっきり迷ってみる。また四方街に出た。まだ踊りの輪がつづいていた。

【ナシ族風ランチ】
水路沿いにはいかにも観光客向けのカフェが並び、レゲエカフェもある。南へ。雲南珈琲、三道茶、プーアル茶の店が目につく。ジェンベを叩く店員のいる楽器屋が多い。三眼井がいくつかあった。

[注]三眼井は、水路から引いた水を順番に三つの井構につづけて流し、一番上流は飲料水に、真ん中の水で野菜などを洗い、下流は洗濯などに用いる。今もよく野菜洗いには使われていた。

インフォメーションブースで麗江の地図を買う、5元。

15:20、雲南特色菜館という食堂でランチにする。納西小炒肉(ナシ族風の肉炒め)15元、納西炒飯(ナシ族風のチャーハン)10元、お茶はサービスらしい。計25元(約325円)。

食べ終わって「ムーフー、ツァイナーリ(木府、在哪[口+那]裡/木府はどこ)?」と聞くと、笑顔の娘さんがその方向を指差してくれた。

[注]木府(ムーフー/もくふ)は麗江を統べたかつての政庁で、いまは古城博物院になっている。明代から麗江宣慰司の官職を世襲した木(ムー)氏の役所と私邸を兼ねた。獅子山を背に傾斜した土地に、一連の建造物が直線上に並ぶ。元代の建物だったが、1998年に再建された。麗江は1996年に大地震に見舞われ、翌1997年に世界遺産の指定を受け、復興という名の「観光テーマパーク」化を遂げた。なお、木氏はもともとは白沙を本拠地にしていた地元の有力豪族(土司)。

とりあえず歩く。この道は茶馬古道として売り出しているらしい。とびきりの笑顔で教えてもらった木府だが、見当たらない。さっき地図を買ったブースにまで戻り、地図を見直してみる。まあ、別にいいか。適当に歩こう。 

【えげつないイチゴ売り】
北へ向かい、なにげなく西へ。「激沙沙」なる民居客桟の看板を目印にする。ごく細い路地というより筋のようなところでイチゴなどを道売りしていた。さらに先へ進むと大きな市場が広がっていた。ここが忠義巷らしい。

すでに夕暮れ、市場は弛緩して麻雀をする人々が目立つ。かなり広い。調子に乗って撮影したら、SDカードのメモリーがなくなった。宿に戻ろう。せっかくなのでイチゴを買う。「8元/キロ」のはずが、中国語がわからないと見て取ると10元と言い出す。こすからい。5元分くれ、というと計って6元という。5元、と強く言うとイチゴを減らした。実に食えないばあさんだ。

帰りを急ぐが、急ぐにはツーリストたちの流れが邪魔になる。中国人は急ぐ他人のために自分が譲ったりはしない。しかも観光客で混雑する中を軍か公安が隊列を組んで行進していった。かなり不思議な光景ではあった。四方街を抜ける。古月坊客桟に戻ってSDカードを交換し、イチゴを食べた。

【少数民族の文化というビジネス】
今度は南西へ。ある店では客寄せか、織機の前に民族衣装の女のコを座らせている。

小石橋、大石橋をたどる。緩やかに傾斜した石畳の道に排水溝が切られている。

四方街から科貢坊へ。馬に乗った民族衣装の男がカモを探している。有料で記念撮影をさせる商売か。ここから南へは上り坂になっている。細い路地を仕事場に男が看板を彫っていた。

あとで地図を見直すと木府の裏をぐるっと回っていたようだ。大きな三眼井で休んでいたら、関西のおばさん3人組が「ニーハオ!」と現地の人たちの写真を撮りまくっていた。元気と言えばポジティブな表現だが、むしろ失礼を通り越して傍若無人か。

櫻花美食広場という巨大な集合屋台街、一種のフードコートに雲南料理をはじめとする各種食べ物が集結している。その規模と熱気が壮観すぎて、気圧される。なんだか追い立てられているようで、気が休まらない。官による統制と漢民族の商売上手が結合したような施設だ。

【木府前の広場】
七一街やら川沿いを適当に歩いていたら、忠義碑なるものを見つけた。ライトアップまでしている。天雨流芳の扁額が新しい。 

どうやらここが木府前の広場らしい。川沿いに北西へ。四方街はものすごい人出と騒音で、サッカーのワールドカップで盛り上がった(あるいは悪乗りした)2002年の渋谷を思い出す。 

【安い食堂が見つからない】
水辺の菜館はあまりに高いのでやめる。大理啤酒が15元はありえない。その反動で安い菜館を選んだはずなのに、なぜかトータル42元(約525円)もかかった。

 回鍋肉ホイコーロ15元、苦瓜卵ゴーヤー卵炒め12元まではメニューにあり、啤酒(ビール)はいつもの大理、米飯をつけてこの勘定ということは、ビールが10~12元、米飯3~5元か。麗江では今までの相場で考えてはいけないようだ。店選びは慎重にしよう。