4月21日 木曜日 麗江
【歩いて黒龍潭へ】
今朝は北へと上がっていくことにした。
今日もいい天気だ。過橋米線屋がある。昨日バスを降りて着いた広場で巨大水車が回っている。古城から外に出て、玉河道を北上、黒龍潭(麗江玉泉公園)へは矢印が出ていた。川べりの気持ちいい道だ。
ホームレスやジョギングや犬の散歩や老夫婦。現代中国のいろんな切り口を見る朝だ。黒龍潭風景区に入る門で古城維持費を徴収される、80元。
[注]古城維持費は古城地区に宿泊・観光する場合、各観光地の入場料とは別に支払わないといけないこと(という建前)になっている。一度買えば、他の箇所では領収証を提示すればいい。要記名。しかし、高額な上に検札がいい加減なので払わないで抜け道を探す旅行者もいる。
湖畔にお堂が点在し、かなたの玉龍雪山には雲がかかる。ビューポイントにはツーリストが多数群れていた。中国以外では韓国、フランスの団体が多い。
晴れて鏡と化した湖面に青空が映り、鯉が泳ぐ。写真を撮りまくる。湖の東を回る。解脱林、トンパ文化研究所などが並ぶ。
[注]麗江玉泉公園は麗江古城から北に約2km、玉龍雪山からの雪どけ水が湧出した黒龍潭を中心にした公園で、澄んだ泉水を碧玉にたとえて玉泉と称する。明清年間に建築された得月楼、五鳳楼などをはじめ、解脱林、一文亭、五孔橋、鎖翠橋、東巴(トンパ)文化研究所などがある。
濃青の湖面から白骨のような枯木が枝を広げる。水辺を歩き、いろんな写真アングルを試す。透明度が高いのは雪解けの春だからだろうか。
湖面に橋が映り、向こうに玉龍雪山がそびえる撮影ポイントには人民が我先に殺到する。喧噪を回避し、鎖翠橋を渡ってベンチで休憩する。湖のなかの得月楼へ行くと、近所のじいさんばあさんの社交場と化していた。朝だからか、体操するひとが多い。
五鳳楼に登る。ナシ族から雲南省省長になった和志強を顕彰する展示が目を引く。中国における少数民族の問題を少し考える。
[注]五鳳楼は高さが20m、三階建ての建築で、反り上がった屋根を飛び立とうとする鳳凰になぞられて名付けられた。漢族、チベット、ナシ族の三つの建築が融合しているそうだ。
【ナシ族の祭祀に焼香する】
公園内でナシ族の祭祀を執り行っていた。
観客にも線香3本が渡され、順番に焼香する。フランス人の団体は非常に喜んでいた。
園内でカップルが着飾って撮影している。中国で「婚紗照」、日本では「変身写真」と呼ばれるこのビジネスは、モデル気分でコスプレしてプロが撮影してくれるサービスで、中国では大人気らしい。
スタジオ撮影だけでなく、観光地の名所ではこのように素人がいろいろ着替えてポーズにも余念がない。どうも結婚記念とは限らないようだ。一周し、博物館には入らず、花を接写し、牡丹園を回り、再び鎖翠橋で休憩する。西出口から出たときには11時を過ぎていた。
【古城を過ぎて騰冲料理に出会う】
しばらく歩いて八路のバスを見つけたので乗った。1元。古城口を過ぎて席に座れたが、一瞬寝てしまったらしい。バスが民主路から外れて左折したので、慌てて下車したが、実は古城地区を過ぎてかなり南側に乗り過ごしていた。間違いに気づかないまま、祥和路から歩いて民主路に戻り、さらに南下してしまった。
食堂というより飯屋という方が近い店で鮮肉火腿炒飯(肉とハムのチャーハン)を食べる。7元。テーブルに麺用らしいが調味料その他ネギ、香菜があったので入れてみた。
店内を見るとここは騰冲(とうちゅう/トンチョン)料理の店で、名物の大救駕が売りらしい。
[注]騰冲は雲南省西端の地で、温泉がある。マルコポーロも立ち寄った。四川省、雲南省からビルマやインドへ抜ける西南シルクロードの要衝。米からつくるトコロテンのように細い麺「騰冲餌糸」が名物。店内にあった中国語の説明を読むと、明の永暦帝が敗走する際に現地で(あり合わせの材料で作ったものを)食べて体力を回復したことから「大救駕」の名前を与えたという料理があり、いまは雲南名物になっている。うるち米からつくるラビオリのような形のもちと肉、野菜を炒めたものだそうだ。
11:55、康仲路まで南下した時点で間違いにやっと気づいて反転、北上する。祥和路は古城南門から出る道で康仲路は客運站の道だから、古城の南端からバスターミナルまで歩いたことになる。
【白沙の壁画と十六羅漢】
白沙行きの乗り合いタクシーを探す。「白沙(バイシャ)?」と聞けば、まだ先だと北を指さした。石鼓方面行きのようだ。大きな通りに沿っていくつも乗り合いタクシーのたまりがあり、各車のフロントガラスに行き先を表示している。ようやく見つけた「白沙」行きを見つけて乗る。
12:30、乗車と同時に発車した。女性のドライバーで乗客は7人と本来の定員そのまま。アジア的常識では定員の1.5倍は乗せるんだが。もちろん安全でラクな方がよい。12:50には白沙に着いた。3元だった。
民族衣装の女子高生が歩く背景に玉龍雪山がそびえる。
白沙のメイン観光地である白沙壁画の駐車場で下ろされたようで、巨大な門が入場口になっている。入場料は30元だった。入ってすぐの文昌堂は「木氏土司歴史博物館」というミニ博物館のような展示内容で、麗江やナシ族について勉強する。ここ白沙は明元代に麗江を支配した豪族(土司)の木(ムー)氏が地盤としたところだ。
さて、壁画はどこなんだろう? 柳の巨樹があり、さらに奥へ行くと中国の壁画を概説する展示があって、その先に壁画はあった。撮影禁止。ブッダ、僧のキャラクターが描き分けられていて、ちょっと曼荼羅を想起した。
そこに英語のツアーがやって来た。ガイドのあまりにも冗長な説明に、客の大半は飽きていた。出口に向かったらそこは土産物屋通りだったので出るのをやめ、園内に戻って見逃していた金剛閣や十六羅漢を見学する。
ツアーが去ったところで戻り、ひとりで壁画と対峙する。濃密で、静謐な時間。
【白沙古街の憂鬱】
出口からは足早に土産物屋の包囲網を通り抜け、しつこい勧誘を笑顔であしらいながら、白沙古街という名のツーリスト通りを歩き出した。青空を鋭角に区切る稜線がきれいだ。
カフェ、土産物屋、街頭演奏。静かでもなく、かといって観光客でごった返しているわけでもない。ツーリストに媚びながら失敗した観光地の憂鬱がただよう。
中途半端な路上駐車のせいでもともと狭い道路をクルマが通れなくなっている。中国式混乱の好例か。もうちょっと気を遣って停めればいいのに、そういう公共感覚がない。
門をくぐって南へ向かう。舗装とは縁遠い土を踏み固めたような道がつづく。店はまったくなく、放棄された家が散見される。牛がのんびり草を食んでいた。
【束河古鎮まで歩いてみた】
天気もいいので束河古鎮(スーフェークーチン)まで歩いてみようか、と突然思いついた。地図もなく、標識もないが、このまままっすぐ歩けば着くだろう。あまり根拠のない予想では1時間半程度か。まっすぐな道の両脇には田んぼと菜の花畑がつづく。
田んぼの中でモデルになりきって撮影をしていたのは例の観光地「変身写真」ではないかと思う。自転車のツーリストたちが行きすぎる。仁里新一村という村名を記した真新しい石碑があった。分岐を通り過ぎて振り返ったら「←束河古鎮」の標識を見つけた。ここまで約50分、ゆっくり歩いたからたぶん4km程度、拍子抜けするほど近い。
3時前には束河古鎮に入った。カメラのバッテリーが少なくなっている。地図と現在地が符合しないが、とにかく南へ向かう。ブックショップ兼カフェがある。中和堂、茶馬古道博物館、そして四方街。ここが中心の広場か。橋の上では着飾ったカップルをモデルに撮影していた。
仁里路を北上する。典型的な三眼井があった。あまりに新しく分かりやすいので、現代に観光用としてつくられたのでは? と疑う。
軍人のブロンズ像のようないでたちをした2人が歩いている。どこかで立って大道芸で稼ぐつもりらしい。湖水のほとりではソプラノサックスの生演奏をしていた。なかなかの腕前で、自分のCDを売っている。水路ではまた別のカップルをモデルに撮影していた。邪魔しないように遠回りして水路の反対側を戻る。
ナシ古楽を演奏しているオヤジたちには、白沙のような悲壮感はない。明るく「聞いていかないか?」と誘ってきた。
【雲南コーヒーを優雅に】
雲南小粒珈琲を試してみようと水路沿いのカフェに入る。看板によれば店名は「錐刻時光SCULPTING IN TIME CAFE」、いかにも時流に乗った名前だ。水路沿いのテラスに席をとる。メニューを見ると、雲南小粒珈琲はなんと30元もする!
15元のビールで驚いていられないな。ありえない高額だが雰囲気はいいので自分に贅沢を許す。日本円なら375円だし。この高価なコーヒーを分岐点にして、このあと旅はどんどん贅沢になっていくことになる。
コーヒーにはなぜかお湯がついてきた。薄めるためなのか? 深煎り珈琲を濃く淹れてあって、たっぷりのミルクで久しぶりのカフェオレを楽しむ。
水路沿いに四方街、そこから少し南へ。「飛花触水」は水路沿いの樹木から花が散って水面に浮かぶさまを言うらしい。この辺にはカフェらしき店が雨後のタケノコのように並ぶ。水煙草とかライブが流行っている。というか、店が模倣しあうのだろうが、3、4軒で同じようなアコースティック中心の演奏をやっていた。
楽しみにしていたナシ音楽広場(四方聴音広場)では、イベントが何もなかった。しかも、ついにカメラのバッテリーが切れた。代わりに携帯で撮影する。
【ATMで幼児につきまとわれる】
広場で子どもを観察する。フラフープが見事なまでにできないコ、着飾って自慢げに歩く女の子。子どもって面白いな。
束河古鎮入り口の門に出た。本来はここから入場するらしい。白沙から歩いて来るビンボー旅行者は考慮の外だろう。麗江行き乗り合いタクシーに乗車、2元と行きより安かったが古城まで行かず、そのはるか手前で下ろされた。市場を抜けて福慧路に出て東へ歩く。
中国建設銀行のATMで1000元を引き出しておく。幼児がうろちょろしてATMのブース内までやってくる。お金を狙っているようには見えないが、場所が場所だけに、優しく、しかし強く「OUT OF HERE!」と追い出す。親は甘やかし放題のようだ。
【インターネットにつながらない】
麗江古城に入る。夕焼け空に塔がシルエットを刻む。
玉河広場、新義街、積善巷を経て古月坊に帰る。宿のオヤジにインターネットのパスワードを聞いて部屋でアクセスしてみるがつながらない。ちなみにタオルもベッドも今朝出たときそのままで、この宿にホテル的サービスを期待してはいけないようだ。つながらないネットを解決しようとまたフロントへ行き、いろんな人を巻き込み、ある客は自分のiPadまで持ってきてくれたが、結局ダメであった。今思えば設定をいったん初期化してから試せばよかったかもしれない。
19時半、城外を歩いて金虹路、玉縁路と食堂を探す。玉河広場、さらに一周して北側を巡るがピンと来る店がない。ちなみに、麗江には城壁がない(木氏が「木を囲むと『困』という字になる」のを嫌った、という説がある)。それでも城外と城内を区別できるのは、城内がいかにも観光仕様の街並みになっているからで、だからこそ城外には地元御用達の安食堂があるのではないかと探してみたのだが、城外では観光施設がより大規模になっているという違いだけだった。夕食の場所を決めかねたまま古城内に戻り、積善巷、新義街をまたさまよう。
【贅沢は素敵だ】
安い店を探すのが面倒くさくなってきた。菌王庄餐庁という店にフラフラと入る。「菌」はキノコの意。二階へと上楼し、まったく英語が通じないが、メニューから麗江酸辣魚48元、大理啤酒12元、米飯7元を頼む。もう安さを追求するのはやめて、「贅沢は素敵だ」に方向転換する。
他のテーブルは大人数で卓を囲んでいる。その卓に並ぶ料理の豪勢さに中国の経済発展を実感する。バックパッカーの水準はもとより、日本人の平均的旅行者よりも中国人旅行者の方がはるかに金離れがいい。
料理はうまいがやはり辛い。魚がやや土臭いのは湖水育ちのせいか。唐辛子の量以外はスープは極めて美味、ご飯ひと椀も適量といえば適量だが、ご飯が櫃(ひつ)で出た大理の鷹揚さが懐かしい。マイタン(勘定)! 計67元(約838円)。
WiFiカフェを探して東大街、四方街、科貢坊と歩くが、騒々しいライブバーだらけだ。この時間に麗江の古城を歩くのは興ざめだな。人ごみをさけて裏へ。南の路地、七一街、忠義街官口巷、天雨流芳、木府回りの路地をゆく。店は見つからないが、人通りは落ち着いている。流し灯籠を売っていた。
日光傾城というカフェバーを見つけた。2階から路上に聞かせるライブをやっていた。手書きでWiFiとあり、今日はもう遅いが明日来ようかと思う。さらにその先には手頃な食堂がいくつかあり、この路地はよさそうな感じがする。