4月19日 火曜日 大理→沙渓
【帰りの飛行機を探す】
今日が8日目、今回の旅のちょうど中間点になる。iPadで帰途の飛行機を検索する。麗江(リージャン)→広州は2万円超だが、麗江→昆明なら640元(約8000円)。しかし昆明から鉄道で広州に行くと1日よけいにかかるのがネック。
【沙渓への行き方をいまごろ聞く】
LAZY LODGEをチェックアウトする。初めて見る若い男が朝番だった。デポジットの12元を返してもらい、沙渓(シャーシィ)について尋ねてみたが、言うことが判然としない。昨日のうちにサモハンキンポーに聞いておくべきだったか。
沙渓は麗江まで北上する幹線道路から外れた位置にあり、途中の剣川(けんせん/ジェンツァン)で降りて乗り換えることになる。ここまでは調べてある。剣川からはミニバスがあるのか乗り合いタクシーなのかは出たこと勝負。方角から考えれば剣川方面に行くバスに古城付近から直接乗車できそうなものだが、それは推定であって確実ではない。剣川行きのバスがどこから出てどこを通るのか、わかっていない(だから聞いてみたのだが)。
いったん南に戻ってまた北に向かうことになるのが業腹だが、下関(シァーグァン)まで行けば確実だ。下関へは西門を出たところからバスがあるという。
【バスとミニバスの違い】
07:30、緑色のバスがUターンするので、追いかけて聞く(二路、大理学院行きだった)。「前のバスに乗れ」と言われ、見ればミニバスがいた。ミニバスの乗客はまだ二、三人だった。
出発したミニバスの車内から緑色二路の下関行き路線バスを見つけた。もう少し歩けばよかったのか。こちらのミニバスは古城の東南をかすめて乗客を拾いながら走る。フランス人初老夫妻が乗ってめでたく満員になり、車掌がバス代徴収にかかる。「すーふぁ」、4元だった。路線バスとミニバスの価格はそれぞれ約20円と約50円でたいした差ではないのだが、妙に悔しい。
【この客運站ではない】
ミニバスは下関に入り、市街地のはるか南の客運站で下ろされた、ドライバーは「ここだ」と自信たっぷりだが、客運站で聞けば沙渓行きも剣川行きもなかった。「ツァイナーリ(在哪[口+那]裡)?」と聞くとメモに「北站」と書いてくれた。オート三輪と交渉したら、運転手が指で十字を作った。ペケの意味かと思ったら「10元」の意味だった。なんと強気な。
【下関から剣川へ】
時間がもったいないので言い値で乗る。5分ほどで大理汽車客運北站(大理北バスターミナル)に着いた。
このバスターミナルも近代的な建物で時刻表には麗江や香挌里拉(シャングリラ)行きが並ぶ。幸い、剣川行きは15分おきにあった。距離にして93km。窓口に並び、メモを見せると担当の小姐は表情をキリッとさせて電卓で「30」と料金を見せてくれた(29元に保険1元)。08:55発。ミニバスに毛が生えた程度の中型バスは、ほぼ定時に発車した。子どものおしっこで停車するローカルさがたまらない。このバスにはツーリストはほとんど乗っていない。途中で満員になったが、かまわずさらにどんどん客を乗せる。
路傍の市場を通り過ぎた。炎天下に肉も野菜も板に直のせで売っている。
すでに2時間以上走っている。どうやら「各駅停車」だ。3時間以上はかかるだろうと覚悟した。峠を越える。気圧が下がって耳が痛いのだろう、子どもが泣く。結局、剣川には3時間40分かかって着いた。計算したら平均時速26kmだった。着いたところはバスターミナルというよりは、空き地の駐車場に近かった。
【沙渓行きバスから追い出される】
「沙渓行きはそこ!」と車掌が指さすバスに乗った。座席は荷物で満杯になっている。乗客がなんとか座るスペースを作ってくれたが、結局ドライバーに追い出される。理由は不明だが、沙渓は近いから次のバスにしろ、ってことらしい。権力はつねに横暴だ。次のバスは隣に停まっていた。14:00発、あと1時間以上もある。ドライバーに「喫飯(チーファン/食事)に行く、荷物は置いたままでいいか?」とことわって外に出た。
【乗り合いタクシーでチキンレース】
通りに出たところで乗り合いタクシーを見つけた。「石宝山、沙渓」行きのボードが出ている。これだ! 走って戻り、荷物を持って件のドライバーに「汽車(チーチャオ/自動車)!」と一声かけて乗り合いタクシーへ。乗ったところでちょうど満員になり、客8人を乗せて発車。これが凄まじいカミナリ族(かなり古い死語)で、何度も事故を起こしかける。無理な追い抜きをかけ、反対車線に突っ込んではギリギリですれ違うのが大好きらしい。中国人の乗客が悲鳴をあげている。
【ここが沙渓らしい】
けっこうな高度の峠を越えていく。田舎道がつづく。どこかの空き地に乗り入れて停まった。沙渓に着いたか。降りて10元を支払う。
ただの空き地に放り出され、何の見当もつかないまま、とりあえず通りを歩く。静かを通り越してゴーストタウンのように人影が薄い。それほど広い道ではないが両脇に商店が並んでいるのでメインロードのようだ。後で思えば左手に寺登街があったはずだが気づかずに通り過ぎた。突き当りに「沙渓酒店」の派手な看板があり、沙渓の地図を眺めていたら気のよさそうなおじさんが「ニーハオ」と話しかけてきた。
【成り行きにまかせてみる】
どうやらこの酒店(ホテル)のオヤジらしいので、「有没有単人房(ヨウメイヨゥタンレンファン/シングルルームありますか)?」と聞く。部屋を見せてもらうと、中庭に面した伝統様式の家で、庭では子どもたちが遊んでいる。
2階の広いツイン、シャワートイレ付き、庭を見下ろせる静かな部屋だ。「多少銭(トゥオシャウツェン/いくら)?」と尋ねたら100元だった。オヤジはニコニコしている。「好(ハオ/いいです)!」と即決する。
沙渓酒店に落ち着き、オヤジに石宝山への行き方を聞くと「汽車! すぐそこから」というので、たぶん乗り合いタクシーを降りたあそこだろうと見当をつける。途中、雰囲気のいい古道を撮影する。ここが実は寺登街だった。タクシーたまりにいた乗合タクシーと交渉する。一台しかないので、ターゲット決定は容易だったが交渉は難航が予想された。「石宝山」と書いたメモにつづけて「多少銭」と聞くと、「180元」と書いてきた。粘って往復150元(約2000円)にしてもらう。何しろ選択の余地がない。クルマからは鶏糞の匂いがした。生きたままニワトリを運んだな。
【石宝山、宝相寺の猿】
石宝山へはさっき沙渓に来た道を戻ることになる(安くあげるなら剣川からの乗り合いタクシーを石宝山入口で降り、そこから徒歩で回る方法もなくはないが、宝相寺と石鐘寺を両方回るとトレッキング並みの距離だ)。乗り合いタクシーを独占チャーターしたから、途中の停留所で待っている客は乗せないわけで、不満げなおばさんたちが「乗せろ!」と窓やドアを叩く。さすが中国を生き抜く人々。やがて静かな道になり、牛たちを追い越していく。
石宝山の入場料は50元だった。ガイドブックでは30元だったから、観光インフレが進んでいる。さて、宝相寺はどこだ? ドライバーがあそこ、と指さすのは石段のはるか上だった。延々と石段を上っていく。巨岩を立てて水を流し、滝に見立ててある。仙人でも住んでいるのかのような風情をかもしだしているが、仙人の代わりに猿の群れが住んでいて、人を見ても逃げない。
猿に食べ物を与えるな、と注意を促す看板のはずがあまりにもトンデモ翻訳なので、とくに掲載してみる。
英語も日本語も支離滅裂、おそらく自動翻訳をそのまま転記しちゃったんだろうが、なんで「movie/映画」なんて単語が出てくるのか?
ようやく寺に着くと、正面の岩盤はるか上に巨大な像や鳥取県三朝温泉にある投入堂のような堂宇がはめ込まれている。お堂の先にはまたお堂がある。
そして壁を上るには石段をまた登らなければならない。仏の道を究めるのは苦行である。岩壁を背にして立てた堂宇、人工的に水を導いたらしい滝。福々しい像を行き過ぎてから振り返る。
さらに上がると最近作ったような像もあり、最後はお堂に塗装の仕事中だった。
さらに頂上まで石段は続いていたが、「ま、このへんにしてやろう」と自分を許す。降りたら1時間たっていた。ふう。一仕事をやり終えた感がある。しかし、待っていたドライバーが「まだある」と壁の浮き彫りを指さした。え、これもかい。
【石宝山、石鐘寺の石窟】
さらに7kmほどドライブすると石鐘寺に着いた。今度はさっきよりもさらにアプローチが長い。しかも谷を降りていくということは帰りは上りではないか。
途中、岩にかすかに色が残る壁画があった。寺では男たちが賭けトランプをしている。チケットチェックがあり、石窟へ。
フランス人の家族連れは小さい男の子と女の子を連れていた。
剣川のモナリザと称される像や、愁いを帯びた老人のような像が小さな石窟に鎮座している。女性器の形象を崇めるのは仏教では極めて珍しい。途中でまた岩壁画を見つけた。
見晴らし台からは絶景に点のような建物の配置が絶妙だ。その建物へも行ってみる。
さらに獅子関窟に行こうと思ったが、道を間違えたか、戻る道に合流してしまったので、帰ることにする。ドライバーが途中まで迎えに来てくれていた。「シャーシィ(沙渓)?」にうなずく。帰り道は眠りこけた。時々目が覚めると車窓には菜の花畑と田んぼがつづく。
まことにのどかな道だ。谷沿いにクネクネと曲がる道に入ると、沙渓に着いた。「そこが寺登街だよ」とドライバーが教えてくれて、150元を支払い、握手する。ついクセで「ぼられてないか」と神経質になるが、もっと素直になってもいいのかもしれない。
【寺登街で水音を聞く】
夕方の寺登街を歩く。小川の水音が響く。それだけ静かだ。子どもが友だちを呼ばわる声。客桟、カフェがたくさんある。というか、観光地としての沙渓、ツーリストにとってのメインストリートはこっちだった。
趣はあるが大半は観光客向けの店が並ぶ。ただ、ツーリストは外国人も中国人観光客もほとんど見かけない。暇なのか、庭で卓を囲んで麻雀をしていた。中国の麻雀は捨て牌を中央の「海」に放るので誰の捨て牌か確認できず、故にフリテンがない。その他にもルールがけっこう違う。ちなみに中国ではマージャンは「麻将」で、「麻雀」はスズメの意味になるそうである。
通りは短く、あっという間に大きな広場に着いた。四方街だ。大声が聞こえるのは携帯電話でリコンファームか何か悪戦苦闘する外国人ツーリストだ。たぶんさっき会ったフランス人家族の父ではないかと思う。俗事の電話以外は実に静謐で落ち着いた空間だ。寺の門に派手な色の仁王が立っていた。寺の名は光教寺、向かいに三層楼、古戯台が建つ。
広場中央には巨大な木がそそり立ち、それより高いポール(柱)の上に飾りが乗っている。子どもたちが缶蹴りらしき遊びをしていた。門から外へ出ると空き地が広がり、その向こうを川が流れていく。
【玉津橋と工事中の橋】
どこかの写真で見た趣のある橋はどこだろう? たしか玉津橋とかいったが。
川の上流を見れば、すぐそこにかかっていた橋が玉津橋だった。その先では新しい橋を工事中で、手押し車で資材を運び、鑿で岩を穿ち、路傍に火釜をしつらえて鍛鉄に火入れしていた。自動車もドリルマシンもない。手作業で、火も薪でおこしている。
ここだけ、時代が止まっているような錯覚に襲われる。
玉津橋は見事なフォルムをしていて、小さな彫刻に味があった。来た道とは別の奥まった道をたどって戻る。自転車のツーリストとすれ違った。
東門は石と土でできた方状の門で、素朴。広場に面した壁には中国共産党のかなり古いスローガンが残っていた。「中国要富強、民族要共和、人口要控制(試訳:国を富ませて強くし、民族は共に和し、人口を抑制するべし)」。
寺登街を戻ると、ツーリストの姿が少し増えてきたようだった。さて、欧陽大院はどこだろう?
この門かな。確信はないがくぐってみる。
【沙渓の静かな夜】
少し早いが夕食にする。あまり選択肢もなさそうだ。桔木飯店ORANGE RESTAURANT、メニューに料理名は中国語と英語で表記されているが、値段がない。材料を指差しての注文もできるようだが、それはまだ難易度が高い。猪肉排骨FRIED PORK RIB、炒飯FRIED RICE、大理啤酒BEERを頼む。
ビールはよく冷えていて、すぐ出てきた。通りを眺めながらビールを飲む。娘が「SPICY?」と注文を確認しにきた。雲南料理は四川料理系統なので、辛いのは半端なく辛い。「JUST A LITTLE BIT.(少しだけ辛めに)」お願いする。
でてきたのは味付けスペアリブの唐揚げに唐辛子となんかの葉っぱの素揚げ、なんかの漬け物らしい醗酵したうまみが少し利いた炒飯で、どちらもおいしくいただいた。日本人には塩味と油がきついかもしれないが、完食した。
勘定は計28元(約350円)、推定では排骨12元、炒飯10元、脾酒6元あたりか。ミニッツメイドのオレンジジュースを3元で買い、沙渓酒店に引っ込む。今日は移動と山歩きで疲れた。
電気ポットが沸かず、テレビが映らない。別にいいが、気になる。たぶん、どこかに電源をコントロールしているスイッチがあるはずだ。シャワーを浴び、WiFiがあったのでメールチェックをした後、寝ようと思ってベッド脇のスイッチをいじったら、音楽とともにテレビがついた。このスイッチが電源と連動していたとは。せっかくなのでテレビでいくつか番組を見て、寝た。