これは間違いなく「本の本」と言える本 「エンデュミオン・スプリング」
「エンデュミオン・スプリング」 マシュー ・スケルトン(著) 大久保 寛(訳) 新潮社 2006年
これは児童書なのでしょうか?主人公は子どもです
今、巷には「ダヴィンチ・コード」まがいと「ハリー・ポッター」まがいの本が多く出回っているように思います
「ダ・ヴィンチコード」まがいは、すでに何作か紹介したパターンで
若い女性と、知的な雰囲気の中年男性(あるいは謎の、万能の)
映画を意識した過剰気味なアクションが散りばめられ、早い展開
そして必ず上・下2巻になっている
「ハリー・ポッター」まがいはいささか難しいですが
これは「ライラ・シリーズ」のように上・中・下3巻以上
主人公が子どもなので、成長する間シリーズが構成できて
主人公には他にはない特別な能力や使命がある
額の傷と予言による守護、大人や他の子どもには見えないものが見える
さて、ようやく「エンデュミオン・スプリング」です
時代を違えた二つの物語が語られます
偶然主人公が手に入れた謎の「本」
主人公と「本」をめぐる今の物語と
その「本」が隠された過去の物語
この過去の物語こそ、これが「本の本」であることの証の一つ
グーテンベルグの印刷機の発明とそれによる初めての印刷版「聖書」の出版
この辺りは、ある程度史実にも重ね合わせてある部分もあってそれなりに面白いです
そして現在の物語は、二つに分かれた「謎の本」(「最後の書」)の探求と争奪戦です
歴史的な枝葉末節は面白いのですが
ストーリー展開、筋書きにいささか難があるような
なにも書かれていないがゆえにすべてが書き記すことができる
その本を手に入れることですべての知識、情報が手に入ると
それを確信するに十分な状況説明が不十分
この本の皮が知識の龍のものであること
そのあたりをもっと「児童書」あるいは高度なファンタジーらしく書いてみると
もっと良かったのではないか・・
グーテンベルグによる印刷の始まりに興味があればとても面白い場面がある
何とも評価しがたいけれど、今の気分に率直に言えば
「普通」だけれど場合によっては「苦痛」、だから気長に読もう
「エンデュミオン・スプリング」 マシュー ・スケルトン(著) 大久保 寛(訳) 新潮社 2006年
これは児童書なのでしょうか?主人公は子どもです
今、巷には「ダヴィンチ・コード」まがいと「ハリー・ポッター」まがいの本が多く出回っているように思います
「ダ・ヴィンチコード」まがいは、すでに何作か紹介したパターンで
若い女性と、知的な雰囲気の中年男性(あるいは謎の、万能の)
映画を意識した過剰気味なアクションが散りばめられ、早い展開
そして必ず上・下2巻になっている
「ハリー・ポッター」まがいはいささか難しいですが
これは「ライラ・シリーズ」のように上・中・下3巻以上
主人公が子どもなので、成長する間シリーズが構成できて
主人公には他にはない特別な能力や使命がある
額の傷と予言による守護、大人や他の子どもには見えないものが見える
さて、ようやく「エンデュミオン・スプリング」です
時代を違えた二つの物語が語られます
偶然主人公が手に入れた謎の「本」
主人公と「本」をめぐる今の物語と
その「本」が隠された過去の物語
この過去の物語こそ、これが「本の本」であることの証の一つ
グーテンベルグの印刷機の発明とそれによる初めての印刷版「聖書」の出版
この辺りは、ある程度史実にも重ね合わせてある部分もあってそれなりに面白いです
そして現在の物語は、二つに分かれた「謎の本」(「最後の書」)の探求と争奪戦です
歴史的な枝葉末節は面白いのですが
ストーリー展開、筋書きにいささか難があるような
なにも書かれていないがゆえにすべてが書き記すことができる
その本を手に入れることですべての知識、情報が手に入ると
それを確信するに十分な状況説明が不十分
この本の皮が知識の龍のものであること
そのあたりをもっと「児童書」あるいは高度なファンタジーらしく書いてみると
もっと良かったのではないか・・
グーテンベルグによる印刷の始まりに興味があればとても面白い場面がある
何とも評価しがたいけれど、今の気分に率直に言えば
「普通」だけれど場合によっては「苦痛」、だから気長に読もう
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