古市憲寿・著『絶望の国の幸福な若者たち』を図書館の閉架書庫から出してもらって読んでいる。
2011年発行なので、閉架に収納されていても文句は言えないけれど、経験上、利用の多いものは開架に置いているはず。
月日の経つのは早い。
古市憲寿氏は、気鋭の社会学者だそうだが、TVをあまり見ないのでよくは知らない。「高橋源一郎の飛ぶ教室」(ラジオ番組)に「小説家と名乗っていいのか」という若い学者に「小説家です!」と言い切った高橋源一郎。その若い学者が古市氏ではなかったかという程度。
だから(だから?)最新作の小説を読んでみた。
第二次世界大戦下の若者観か。
戦争賛美の若者、学究肌の兄、その恋人の涼子は歴史学者の娘で、洞窟の図書館(涼子が危険な書物を密かに保管していた)で、主人公と良子は出会う。
類型的ではあるけれど、私も(もちろん作者も)知らない戦時下を描き、思想だけではない人間も描けていて、夢中になって読んだ。
初めて小説を書いたのは、こちらの作品だという。
平成元年に生まれた子も、終わりには30歳。キリがいいから〈死ぬ〉という。
フィクションだからか、この時代の日本で積極的安楽死が容認されている。
それを許したくないガールフレンドとのやり取りが主だが、読後の感想は、なんてリッチな!だった。
主題は安楽死ではなく、上流階級のモノに溢れた生活ではないのか。
『ヒノマル』も、あの「欲しがりません」の時代とは思えないほど、いいものを飲食している。
ここでも本当に書きたいのは、若者論ではなく、格差論なのではないかと思ってしまった。
『絶望の国の…』はまだ読み始めたばかりだが、50年代から80年代まで、ティーンから青年、若者に、太陽族からみゆき族、竹の子族、そしてジャニーズ系、呼び名は時代と共に変わり、今や若者論はもう成り立たないという。
ベビーブーム世代が高齢者になってしまったから。
これを読んで、個人的だと思っていた悩みも流行に流されていただけだった、そうそう時代だったと冷めた気持ちで思う。
まだ読み始めたばかり。
今は読みやすい文庫本になっているのですね。
歳のせいか、読書は遅々として進みません。