それは、たった一日ではありましたが、想像以上に重く衝撃的な道のりでした。
今まで、気仙沼や南三陸、石巻などを中心にボランティアをしてきましたが、福島へご縁があり南相馬へ訪問する事になりました。
今後、スジャータプロジェクトの活動も必要とされている土地です。
私たちを案内して下さるのは、天理教猪苗代分教会会長である齊藤容久さんです。
この方は震災直後からいろいろな土地へ足を運び、ボランティアを続けてこられました。
南相馬へ通うようになってからは、仮設住宅を一軒一軒訪ね歩き、その戸数だけではなく家族数も把握し、公平に細かい配慮がなされたボランティア活動をされてきました。
そのかいあって、つらい思いをされて疑心暗鬼にならざる得ない土地の方たちとも深い信頼関係ができ、外部の方々との間に入って「繋げる役割」を引き受けてくださっています。
代わりのできないその役割の過酷さに、一度は倒れてしまったこともあるそうです。
でも、アタシ達と会った時の齊藤さんは温かく強くパワーあふれる方で、疲れを見せずに快く一日付き合って下さいました。
どこへ行っても「齊藤さん!いつもありがとうございます!」と声がかかります。
さて、まず私たちが立ち寄ったのは飯舘村です。
よくニュースで聞く飯舘村は全村避難区域で、現在も「避難指示解除準備区域」(年間被ばく線量20シーベルト以下)「居住制限区域」(20~50シーベルト)「帰還困難区域」(50シーベルト超)に分かれています。
帰還困難区域である長泥行政区では、区域へ至る道路6カ所に放射性物質の拡散防止や防犯のため、バリケードが設置されました。原発より40キロほど離れていても、線量が未だ高いのです。帰還困難区域へは、長泥行政区の住民と見守り隊や警察、消防等以外の一般の立入りはできません。
飯舘村のことを調べると、胸が苦しくなるような情報ばかりですが、それは最後に書き足します。
今回の旅では、地蔵院(東京都あきる野市雨間)の編み物の会の方からの181枚もの手編み品と、手土産代わりの「かやふきんと無添加石鹸のセット」を預かってきました。
まず立ち寄った「いいたてホーム」は飯舘村役場の隣にあって、入居者は避難をせずそこに残ることにしました。
環境が変わることがお年寄りにとって命取りになるほどきついことだからです。ヘルパーさんは避難先から通ってきています。笑顔の素敵な元気な方ばかりです。
仮設住宅や避難所と違い、行政からの援助なども望めません。ボランティアも来ません。齊藤さんのお陰で、皆さんがとても喜んで初めて訪問するアタシたちを温かく受け入れて下さいました。
この日は、皆さん手編みグッズを手にとり選んだり、しっかりと目を開け、生き生きとされてると職員の方に言われました。
スタッフの方々には、ふきんと石鹸のセットをお渡ししました。
この写真を見ていただけば、様子が伝わることと思います。
これから寒い季節を迎えます。
何より暖かい贈り物だったことでしょう。
手編みの会の方、ありがとうございました!
また、よろしくお願いします!\(^o^)/
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飯舘村について
あるブログに飯舘村区長鴫原さんのお話が載っていたので、抜粋し紹介します。
飯舘村は30km圏の外にあるのに放射線量が高く、それが伏せられたまま4月になってから「避難しなさいと」言われ、結局、役場の避難が完了したのは6月下旬という数奇な経緯をたどった地域である。ここでの菅野村長の判断(例えば、政府の「全村避難」命令を蹴って、特養施設などを移さなかった)は賛否両論あるけれど、一つの勇気ある決断だったと思う。
そこで放射線量の高いところに住民を残す結果となり、村長は「人殺し!」という非難を村人から浴びせられたのだった。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20111016
あらゆる不満は区長、村長に集中した。だって政府も東電も責任を取らないのだから。
東電のえらいさんは長泥に一度も来ていない。すべては自治体にまかされたのだった。
事故直後、政府は「20km圏内は逃げろ」と指示したが、実際にどのように住民に連絡し、どんな交通機関を確保し、どこに逃げるかは現場に丸投げされた。例えば、村役場の職員がバス会社に交渉して、これから何台借りられますか、と交渉したのである。移動中のお年寄へのペットボトルの手配もあるだろう。目に見えない膨大な作業と責任が自治体に負わされたのだった。
だから、村長であれ、鴫原さんのような区長であれ、現場の「首長」たちは、恐ろしい責任とプレッシャーのなかでこれまでを過ごしているのだ。
そこには100%の正解などない。そもそも未曾有(と政府も東電も言っている)の災害なのだ。どちらかに勝ち負けをつける問題ではないと私は思う。どちらも地獄のような事態を「よかれ」と思って奮闘したのである。
大量の放射性物質が放出された3月15日朝、風が海から北西方向に吹き、しかも雪になった。飯舘村とりわけ長泥地区の放射線量がきわめて高くなっている可能性を政府はすぐに察知した。その夜には文科省職員が浪江町山間部で330マイクロシーベルト/時を計測していた。しかし、その職員がもっと驚いたのは、17日に長泥で95マイクロシーベルトあることを確認したときだった。浪江町はすでに住民が避難して空になっていたのに、長泥には住民が普通の暮らしを続けていたからだ。
長泥にはその後、白い防護服を着た人々が測定器を持って測りにきたが、正確な情報を誰も教えてくれなかった。行政や学者がやってきては「大丈夫だ」と説明を繰り返した。
「原発周辺の人はすぐに逃げたから被曝していない、一番被曝したのは我々だった」と鴫原さんはいう。鴫原さんが村を出たのは6月だった。
人間扱いされなかったことに、毎日が憤りばかり。頭がおかしくなって、去年一年の記憶がとんでいるという。
情報を今ごろ出してきたが、誰も責任を取らない。自宅の除染もやってみたが半分くらいにしかならない。最低5年は帰れないというが、そのあと戻れるのか戻れないのか分からない。今は、土地も仕事も失い、高齢者は仮説住宅に引きこもっている。
避難して畑仕事もしなくなった高齢者は特に大変らしいが、何もやることがないのはものすごいストレスだそうで、私が以前、チェルノブイリで紹介していた話と重なる。放射能で死んだ人は少なく、ほとんどは、事故の関連死(移住で死んだり、自殺したりした人)なのだ。
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最後に、もう一つニュースを付け加えます。
東電が和解方針拒否 飯舘・長泥被ばく不安への賠償
福島民報 6月27日(木)10時8分配信
東京電力福島第一原発事故による福島県飯舘村長泥地区住民の被ばくへの不安に対する賠償を認めた原子力損害賠償紛争解決センターの和解方針を、東電側が「(住民への)権利侵害があったと認めることは困難」として拒否していたことが、26日、分かった。同日、住民を支援する原発被災者弁護団が都内で記者会見し、明らかにした。
同弁護団によると、センターは5月までに、放射線量が高くなった平成23年3月15日以降、長泥地区に2日間以上滞在した住民に50万円、妊婦と18歳以下の子どもには100万円を支払う和解案を提示していた。東電側は26日、被ばくと健康影響に関する科学的根拠がないとした上で、「本事案にとどまらない影響があり得ることから受け入れは困難」と回答した。
鴫原良友行政区長(62)は「常に被ばくへの不安はつきまとう。東電は住民の声に耳を傾けてほしい」と訴えた。
今まで、気仙沼や南三陸、石巻などを中心にボランティアをしてきましたが、福島へご縁があり南相馬へ訪問する事になりました。
今後、スジャータプロジェクトの活動も必要とされている土地です。
私たちを案内して下さるのは、天理教猪苗代分教会会長である齊藤容久さんです。
この方は震災直後からいろいろな土地へ足を運び、ボランティアを続けてこられました。
南相馬へ通うようになってからは、仮設住宅を一軒一軒訪ね歩き、その戸数だけではなく家族数も把握し、公平に細かい配慮がなされたボランティア活動をされてきました。
そのかいあって、つらい思いをされて疑心暗鬼にならざる得ない土地の方たちとも深い信頼関係ができ、外部の方々との間に入って「繋げる役割」を引き受けてくださっています。
代わりのできないその役割の過酷さに、一度は倒れてしまったこともあるそうです。
でも、アタシ達と会った時の齊藤さんは温かく強くパワーあふれる方で、疲れを見せずに快く一日付き合って下さいました。
どこへ行っても「齊藤さん!いつもありがとうございます!」と声がかかります。
さて、まず私たちが立ち寄ったのは飯舘村です。
よくニュースで聞く飯舘村は全村避難区域で、現在も「避難指示解除準備区域」(年間被ばく線量20シーベルト以下)「居住制限区域」(20~50シーベルト)「帰還困難区域」(50シーベルト超)に分かれています。
帰還困難区域である長泥行政区では、区域へ至る道路6カ所に放射性物質の拡散防止や防犯のため、バリケードが設置されました。原発より40キロほど離れていても、線量が未だ高いのです。帰還困難区域へは、長泥行政区の住民と見守り隊や警察、消防等以外の一般の立入りはできません。
飯舘村のことを調べると、胸が苦しくなるような情報ばかりですが、それは最後に書き足します。
今回の旅では、地蔵院(東京都あきる野市雨間)の編み物の会の方からの181枚もの手編み品と、手土産代わりの「かやふきんと無添加石鹸のセット」を預かってきました。
まず立ち寄った「いいたてホーム」は飯舘村役場の隣にあって、入居者は避難をせずそこに残ることにしました。
環境が変わることがお年寄りにとって命取りになるほどきついことだからです。ヘルパーさんは避難先から通ってきています。笑顔の素敵な元気な方ばかりです。
仮設住宅や避難所と違い、行政からの援助なども望めません。ボランティアも来ません。齊藤さんのお陰で、皆さんがとても喜んで初めて訪問するアタシたちを温かく受け入れて下さいました。
この日は、皆さん手編みグッズを手にとり選んだり、しっかりと目を開け、生き生きとされてると職員の方に言われました。
スタッフの方々には、ふきんと石鹸のセットをお渡ししました。
この写真を見ていただけば、様子が伝わることと思います。
これから寒い季節を迎えます。
何より暖かい贈り物だったことでしょう。
手編みの会の方、ありがとうございました!
また、よろしくお願いします!\(^o^)/
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
飯舘村について
あるブログに飯舘村区長鴫原さんのお話が載っていたので、抜粋し紹介します。
飯舘村は30km圏の外にあるのに放射線量が高く、それが伏せられたまま4月になってから「避難しなさいと」言われ、結局、役場の避難が完了したのは6月下旬という数奇な経緯をたどった地域である。ここでの菅野村長の判断(例えば、政府の「全村避難」命令を蹴って、特養施設などを移さなかった)は賛否両論あるけれど、一つの勇気ある決断だったと思う。
そこで放射線量の高いところに住民を残す結果となり、村長は「人殺し!」という非難を村人から浴びせられたのだった。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20111016
あらゆる不満は区長、村長に集中した。だって政府も東電も責任を取らないのだから。
東電のえらいさんは長泥に一度も来ていない。すべては自治体にまかされたのだった。
事故直後、政府は「20km圏内は逃げろ」と指示したが、実際にどのように住民に連絡し、どんな交通機関を確保し、どこに逃げるかは現場に丸投げされた。例えば、村役場の職員がバス会社に交渉して、これから何台借りられますか、と交渉したのである。移動中のお年寄へのペットボトルの手配もあるだろう。目に見えない膨大な作業と責任が自治体に負わされたのだった。
だから、村長であれ、鴫原さんのような区長であれ、現場の「首長」たちは、恐ろしい責任とプレッシャーのなかでこれまでを過ごしているのだ。
そこには100%の正解などない。そもそも未曾有(と政府も東電も言っている)の災害なのだ。どちらかに勝ち負けをつける問題ではないと私は思う。どちらも地獄のような事態を「よかれ」と思って奮闘したのである。
大量の放射性物質が放出された3月15日朝、風が海から北西方向に吹き、しかも雪になった。飯舘村とりわけ長泥地区の放射線量がきわめて高くなっている可能性を政府はすぐに察知した。その夜には文科省職員が浪江町山間部で330マイクロシーベルト/時を計測していた。しかし、その職員がもっと驚いたのは、17日に長泥で95マイクロシーベルトあることを確認したときだった。浪江町はすでに住民が避難して空になっていたのに、長泥には住民が普通の暮らしを続けていたからだ。
長泥にはその後、白い防護服を着た人々が測定器を持って測りにきたが、正確な情報を誰も教えてくれなかった。行政や学者がやってきては「大丈夫だ」と説明を繰り返した。
「原発周辺の人はすぐに逃げたから被曝していない、一番被曝したのは我々だった」と鴫原さんはいう。鴫原さんが村を出たのは6月だった。
人間扱いされなかったことに、毎日が憤りばかり。頭がおかしくなって、去年一年の記憶がとんでいるという。
情報を今ごろ出してきたが、誰も責任を取らない。自宅の除染もやってみたが半分くらいにしかならない。最低5年は帰れないというが、そのあと戻れるのか戻れないのか分からない。今は、土地も仕事も失い、高齢者は仮説住宅に引きこもっている。
避難して畑仕事もしなくなった高齢者は特に大変らしいが、何もやることがないのはものすごいストレスだそうで、私が以前、チェルノブイリで紹介していた話と重なる。放射能で死んだ人は少なく、ほとんどは、事故の関連死(移住で死んだり、自殺したりした人)なのだ。
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最後に、もう一つニュースを付け加えます。
東電が和解方針拒否 飯舘・長泥被ばく不安への賠償
福島民報 6月27日(木)10時8分配信
東京電力福島第一原発事故による福島県飯舘村長泥地区住民の被ばくへの不安に対する賠償を認めた原子力損害賠償紛争解決センターの和解方針を、東電側が「(住民への)権利侵害があったと認めることは困難」として拒否していたことが、26日、分かった。同日、住民を支援する原発被災者弁護団が都内で記者会見し、明らかにした。
同弁護団によると、センターは5月までに、放射線量が高くなった平成23年3月15日以降、長泥地区に2日間以上滞在した住民に50万円、妊婦と18歳以下の子どもには100万円を支払う和解案を提示していた。東電側は26日、被ばくと健康影響に関する科学的根拠がないとした上で、「本事案にとどまらない影響があり得ることから受け入れは困難」と回答した。
鴫原良友行政区長(62)は「常に被ばくへの不安はつきまとう。東電は住民の声に耳を傾けてほしい」と訴えた。
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