墓石クリーニングの女

お墓と向き合うことで『大切なもの』を日々感じながら、あつく生きる女…それが、アタシ。

父の話 ~少年シン~

2013年09月05日 | あきねぇ便り
父の命日でした。

私はあきねぇ便りを通じて、自分が経験した身近な人の「死」について、何度か書いてきました。

でも、何故か父の話はなかなか書けずにいたのは、多分いい思い出だけじゃなかったからです。

あれから8年。少しずつ、父のことを思い出してみようかと思います。


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少年シン


父の名は「進」。家族にはシンと呼ばれていました。
秋田のなまはげの生地、男鹿半島の船川という港町で三人兄弟の真中として生まれました。
シンが小学生の頃、その家の壁には線路が書かれていました。見ると、線路は隣の部屋の壁に続いています。
玄関を出発した線路は、家の中を一周して戻ってくるようになっていたのです。
この落書きはシンの仕業です。家に訪ねてきたお客様が唖然としていると、父親が「線路はどこまでも続くものですから、これでいいんですよ。」と答えたそうです。

悪戯も徹底していて、とことんやる。そしてそれを認めちゃう親に育てられたとこがスゴイと思います。

お仏壇におまんじゅうをお供えすると、我先にと食べてしまうのもシンでした。
さすがにこれは母親がこっぴどく叱り、押入れに閉じ込めました。
しかし、何度閉じ込めてもまたおまんじゅうが消えてしまう。
で、押入れを開けると、中で嬉しそうにおまんじゅうを食べているシンがいるのだそうです。

めげない性格なんです。

その時代、男鹿ではハタハタが沢山捕れました。
雷がなり嵐が来ると漁師たちは沖に出ていき、湾に入って卵を産み落とす前に捕まえるのです。
ハタハタ漁は命がけです。ハタハタとは鰰と書きます。漁師の妻たちは、荒れ狂う海に船を出して向かっていく夫の帰りを祈りながら待ち続けたのだそうです。

そんな戦いの翌朝、網をかいくぐり湾に辿り着いた雌は卵を産み死に絶えます。港はブリコだらけになります。
それが、シンの大好物です。虫あみですくって、ポリポリ食べるのです。

生前、嵐の後はうまいブリコ食べ放題なんだよ~と嬉しそうに話していました。

本当にこの人って…と我が親ながら呆れ返ってしまう、そんなエピソードだらけのシン少年です。

・・・つづく

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ここまで書いて、この自由奔放の少年がアタシのルーツなのだと妙に納得し、笑ってしまいました。

彼の素っ頓狂なエピソードは、大人になってからも続きます。

多分、親としても、夫としても、優秀な人ではありませんでした。

ただ、こんなマイペースな人も運命には逆らえず、自分の思う道から外れ、ジレンマの中で生きていたのです。

今だからわかります。

人生とはそんなものなのでしょうね。

  

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