10/4は、南相馬の小池長沼仮設にて、三回目のリンパマッサージボランティア&ペンキ塗り支援に行ってきました。
今回から常磐道~6号線ルートが開通し、移動時間は短縮になります。
しかし、ここまでと常磐道を降ろされると、警官やマスクをした作業員が道の至る所にいます。
バインダーを持ってなにかチェックしている様子にも見えました。
そして、両サイドにある空き地は草がボウボウになり荒れ果て、店舗はもちろん住宅にもゲートが。
ここは一体・・・なんとも見たこともない光景が続くのです。
原発迄あと数キロ地点を通過。車内でも、この放射能値を示します。(出発前に戸田で測った数字は0,04マイクロシーベルト)
正面に福島第一原発が。2㌔~3㌔の距離でしょうか。
そのまま、6号線を走っていると、数分で数値は下がってきます。
浪江町を抜け、南相馬に入って、時間があったので小高地区の海岸沿いを走ります。
除染袋の山と瓦礫の山に遭遇。
さて、第一の目的地である南相馬社会福祉協議会に到着しました。
ここでは、前回のバスツアーボランティアの時に楽しい歌と踊りのショーで盛り上げて下さった五家英子さんと、小池第三仮設の方々の御寄付で購入した車椅子を2台寄贈します。
確かにお渡ししましたよ~~!!
南相馬鹿島地区のお年寄りのデイサービスなどに使っていただくことになりました。
次回の広報誌に掲載されるそうです。
次なる目的地、通い慣れた小池長沼仮設です。
なんだか親戚のおうちにお邪魔しているみたい。
秋田に帰省した時に、壇蜜オススメのお菓子(TVで紹介していた)さなづらやあきたこまちサブレやいぶりがっこをおみやげに購入、持参しました。
あきる野市の地蔵院では、毎月手編みの会を開催し、沢山の温かい手編み品を寄付してくださいます。
皆さん、とても喜んで選んで下さいました。あっという間に、一つ残らずなくなりました~~~!!
お茶飲みをしている間に、先生2人は着々とマッサージを進めています。
常連さんだけでなく、今回は誘い合って初めての方や身内の方を引っ張って来てる方もいます。
今回のチラシ。
私達はマッサージが出来ないので、やぎの隣でペンキ塗り。
そうこうしているうち、南相馬の空が色づいてきました。
本当にキレイな夕焼けでした。
この夕日は、アタシの住む街も赤く染めています。
そう、アナタが見たキレイな夕陽とこの夕陽は同じものです。
同じ大地で同じ夕陽に赤く染められながら、かたや何の不自由も無く暮らしている・・・かたや4畳半の狭い部屋で家族とも離ればなれになり思う通りにならない寂しく不便な暮らしをしている。
この南相馬の方達は、何か罪を犯しましたか?
この南相馬の方達は、怠けて暮らしてましたか?
「ただ、誠実に土を耕し、作物を植え、牛を飼い、まじめに暮らしてきたんだよ。家族を作り、懸命に守ってきただけだよ。」
そう語るオジさんの目に、一粒の涙。
失ったものの大きさに、この国は気がついているのでしょうか?
また、同じ過ちを繰り返すつもりでしょうか?
10/5日は、いいたてホームへマッサージボランティアです。
朝から地元の方に案内をしていただき、まだ放置されている住居が立ち並ぶ小高区村上の付近に連れて行ってもらいました。
環境庁が無料で解体と撤去をしてくれるそうですが、順番待ち?らしいです。
もう3年半ですよ。
多少傷みが少ない家もありますが、1年半後、仮設を出され家に戻るように言われても、ここで暮らせると思いますか?
荒れ放題の土地と、お店も無い地域、戻って暮らす人も何割なのか…
それでも、仮設からは出されるので、選択肢は「ここに戻る」か「どこかに移り住む」しかないのです。
現在、ライフラインも電気のみ。
これから水道等をつなげるようです。
アナタなら、どうしますか?
海岸に出ました。
この写真の中に、小さなピンクのテープがみえますか?
いたるところにあるこのテープは、ご遺体が見つかった場所を示すため自衛官が残したテープです。
意識してみるとかなりの数のテープが残っており、3年半も経過したというのに、当時の情景が目に浮かぶようで、胸が苦しくなりました。
お墓は未だ、こんな状態。お骨を埋葬することもできないそうです。
除染袋と同じ袋から、木の芽が突き破って伸びていました。
除染袋は国道沿いにも沢山あります。
大量に置かれた除染袋の脇を通過する時は、若干放射能値も上がります。
最終目的地であるいいたてホームに到着しました。
ここでは、入居者だけではなく、遠くから通って介護をしてくださっているスタッフさんの疲れも癒やそうと、二人の先生がフル回転です。
竹中氏が、全村避難のため閉鎖している飯舘村役場の前で、放射能測定器を見つけました。
隣のお地蔵様の頭を撫でると、飯舘村村民歌が流れてきて、この村の温かさを感じます。
最後に、このいいたてホームで働いている女性がNHKに取り上げられていて、ちょうど放送されていたので紹介します。
南相馬に400回も通われている齊藤さんのお話
「被災者の声として報道に取り上げられているのは、間違いなくフクシマの声かも知れない。しかし、それはその人の声である。たとえ家族であろうと、考えは違うし、一人ひとり状況や立場で意見は違うものだ。だから、多くの意見を聞き、偏った見解を持たないであげて欲しい。そして、ここまでそれぞれの心に溝を作ったのは、時間の経過であることに気付いて欲しい。」
6回目になる南相馬への訪問は、今まで以上に心に響く旅になりました。
リンパマッサージ江嶋先生のブログ
ぜひご覧下さい。
今回から常磐道~6号線ルートが開通し、移動時間は短縮になります。
しかし、ここまでと常磐道を降ろされると、警官やマスクをした作業員が道の至る所にいます。
バインダーを持ってなにかチェックしている様子にも見えました。
そして、両サイドにある空き地は草がボウボウになり荒れ果て、店舗はもちろん住宅にもゲートが。
ここは一体・・・なんとも見たこともない光景が続くのです。
原発迄あと数キロ地点を通過。車内でも、この放射能値を示します。(出発前に戸田で測った数字は0,04マイクロシーベルト)
正面に福島第一原発が。2㌔~3㌔の距離でしょうか。
そのまま、6号線を走っていると、数分で数値は下がってきます。
浪江町を抜け、南相馬に入って、時間があったので小高地区の海岸沿いを走ります。
除染袋の山と瓦礫の山に遭遇。
さて、第一の目的地である南相馬社会福祉協議会に到着しました。
ここでは、前回のバスツアーボランティアの時に楽しい歌と踊りのショーで盛り上げて下さった五家英子さんと、小池第三仮設の方々の御寄付で購入した車椅子を2台寄贈します。
確かにお渡ししましたよ~~!!
南相馬鹿島地区のお年寄りのデイサービスなどに使っていただくことになりました。
次回の広報誌に掲載されるそうです。
次なる目的地、通い慣れた小池長沼仮設です。
なんだか親戚のおうちにお邪魔しているみたい。
秋田に帰省した時に、壇蜜オススメのお菓子(TVで紹介していた)さなづらやあきたこまちサブレやいぶりがっこをおみやげに購入、持参しました。
あきる野市の地蔵院では、毎月手編みの会を開催し、沢山の温かい手編み品を寄付してくださいます。
皆さん、とても喜んで選んで下さいました。あっという間に、一つ残らずなくなりました~~~!!
お茶飲みをしている間に、先生2人は着々とマッサージを進めています。
常連さんだけでなく、今回は誘い合って初めての方や身内の方を引っ張って来てる方もいます。
今回のチラシ。
私達はマッサージが出来ないので、やぎの隣でペンキ塗り。
そうこうしているうち、南相馬の空が色づいてきました。
本当にキレイな夕焼けでした。
この夕日は、アタシの住む街も赤く染めています。
そう、アナタが見たキレイな夕陽とこの夕陽は同じものです。
同じ大地で同じ夕陽に赤く染められながら、かたや何の不自由も無く暮らしている・・・かたや4畳半の狭い部屋で家族とも離ればなれになり思う通りにならない寂しく不便な暮らしをしている。
この南相馬の方達は、何か罪を犯しましたか?
この南相馬の方達は、怠けて暮らしてましたか?
「ただ、誠実に土を耕し、作物を植え、牛を飼い、まじめに暮らしてきたんだよ。家族を作り、懸命に守ってきただけだよ。」
そう語るオジさんの目に、一粒の涙。
失ったものの大きさに、この国は気がついているのでしょうか?
また、同じ過ちを繰り返すつもりでしょうか?
10/5日は、いいたてホームへマッサージボランティアです。
朝から地元の方に案内をしていただき、まだ放置されている住居が立ち並ぶ小高区村上の付近に連れて行ってもらいました。
環境庁が無料で解体と撤去をしてくれるそうですが、順番待ち?らしいです。
もう3年半ですよ。
多少傷みが少ない家もありますが、1年半後、仮設を出され家に戻るように言われても、ここで暮らせると思いますか?
荒れ放題の土地と、お店も無い地域、戻って暮らす人も何割なのか…
それでも、仮設からは出されるので、選択肢は「ここに戻る」か「どこかに移り住む」しかないのです。
現在、ライフラインも電気のみ。
これから水道等をつなげるようです。
アナタなら、どうしますか?
海岸に出ました。
この写真の中に、小さなピンクのテープがみえますか?
いたるところにあるこのテープは、ご遺体が見つかった場所を示すため自衛官が残したテープです。
意識してみるとかなりの数のテープが残っており、3年半も経過したというのに、当時の情景が目に浮かぶようで、胸が苦しくなりました。
お墓は未だ、こんな状態。お骨を埋葬することもできないそうです。
除染袋と同じ袋から、木の芽が突き破って伸びていました。
除染袋は国道沿いにも沢山あります。
大量に置かれた除染袋の脇を通過する時は、若干放射能値も上がります。
最終目的地であるいいたてホームに到着しました。
ここでは、入居者だけではなく、遠くから通って介護をしてくださっているスタッフさんの疲れも癒やそうと、二人の先生がフル回転です。
竹中氏が、全村避難のため閉鎖している飯舘村役場の前で、放射能測定器を見つけました。
隣のお地蔵様の頭を撫でると、飯舘村村民歌が流れてきて、この村の温かさを感じます。
最後に、このいいたてホームで働いている女性がNHKに取り上げられていて、ちょうど放送されていたので紹介します。
南相馬に400回も通われている齊藤さんのお話
「被災者の声として報道に取り上げられているのは、間違いなくフクシマの声かも知れない。しかし、それはその人の声である。たとえ家族であろうと、考えは違うし、一人ひとり状況や立場で意見は違うものだ。だから、多くの意見を聞き、偏った見解を持たないであげて欲しい。そして、ここまでそれぞれの心に溝を作ったのは、時間の経過であることに気付いて欲しい。」
6回目になる南相馬への訪問は、今まで以上に心に響く旅になりました。
リンパマッサージ江嶋先生のブログ
ぜひご覧下さい。
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