◆十月二十三日、土曜日の夜。 身体で感じるはげしい揺れが、三回。
そのとき、青山にいて、ビルの地下で、友人と呑んでいた。 地下にいると、気持ち悪いくらい妙な揺れ方をして、もし、上の階がくずれて、生き埋めになったら、どうしよう ... と、恐怖心を煽られた。
なんとなく、胸騒ぎがしたのだけれど、まさか、大変な被害に遭われた地域もあるほどの大地震だったとは ... 。
その晩、わが友人 (というか彼) からメールが入った。
「さっきの地震の影響で、混線してるのか、電話がつながらない」 と。
仕事を終えて、会いに来ようとしていたらしいのだ。
私は、午後十時くらいに帰宅して、彼にわが家まで来てもらった。
そして、テレビの映像に、ふたりで、くぎづけになった。
(テレビは、ここ数年、ヴィデオ観賞用としてしか使っていないので、テレビ番組を観るのは、ひさしぶりだった)
ふと、阪神大震災のときのことを思い出す。
当時付き合っていた彼と、同じようにテレビの映像に喰い入っていたことを。 神戸に身内がいるので、肝を潰すような思いでいたところの、身内の無事を確認できた、あのときのうれしさと言ったら。
元・彼は、「もし、東京にも大地震がきたら、どうする?」 とたずねてきた。
「どうしよう?」 と、私。
「きっと、おれんちは、崩壊するな」 ―― 元・彼は、築十年くらいの分譲マンションにご両親といっしょに住んでいた。
「タッちゃんの家が崩壊するなら、うちもそうだよ。 っていうか、東京は全滅しちゃうのかも」 ―― 私は、六階建てで、一フロアに二家しかない、小ぢんまりとしたビルの一部屋で、一人暮らししていた。
「もし、もしさ。 東京が大震災に遭って、お互いの家がなくなっちゃって、連絡が取れなくなったら、**川の土手で、待ち合わせしようか?」 と、元・彼は、言った。 **川というのは、私たちが住んでいた街の近くにある、大きな川で、私たちは、その前の年、いっしょに、その河川敷で花火を見たことがあったのだ。
「万が一のことがあっても、**川に行けば、会えるのね」
「そうだよ。 どんなことがあっても、**川で、必ず会おうね」
私たちは、指切りをした。 なにがあっても、きっと、ふたりの思い出の場所で会おう ... と。
まだ、学生だった私たち。 考えてみると、なんという幼い約束なのだろう ... 。
それから、月日は流れて、私たちは、別々の道を歩むことになり、この約束は、事実上無効となった。
もちろん、この約束が果たされないこと = 震災が訪れないこと、が、なによりではあるが、約束が、その意味を失ってしまったのだ。
遠い遠い、彼方へ、風に吹かれて、飛んでいってしまった。 二人をつなぐ糸がぷつりと切れて、まるで凧のように、空の彼方へ消え去っていってしまったのだ ... 。
今日、ふいに、私は、現在の彼に、九年前、元・彼に訊かれたのと同じ質問をしてみた。
「もし、東京に、大地震がきたら、どうする?」
「ひとたまりもねえな」 と、ひとこと。
「ねえ、もし ... 、もしもだけど、大震災に遭って、お互いに連絡がとれなくなったら ... 」 と、私が言いかけると、
「そのときは、そのときだよ」 と、あっさり。
「ええと、どこかで、待ち合わせする?」 と、私が、おそるおそる訊ねると、
「どこかって?」 と、彼は、ぽかんとして、訊ね返してきた。
「んん~、たとえば、川原とか ... 」
「川原ねえ。 この辺、川原なんかないしなあ。 あっても、堤防が決壊して、水浸しになってるかもよ?」
「ああ、じゃあ、どこか広い公園は? ###さんちの近くにある?」
「うちの近所じゃ、*** (筆者の名) が、来るのが大変だろ。 あそこでいいじゃん」 ―― 私の家の近くにある、広い公園のことを言った。 そこには、二人で、よく出かけているのだ。
この待ち合わせ案、彼にはあまり興味がないのかな ... と思っていたところ、どうやら賛成してもらえたのかと思って、うれしくて、
「じゃあ、なにかあったときは、○○公園で、会いましょうね」 と、喜び勇んで言ったら、
「行けたらね」 と言われてしまった ... 。
そのとおりだ。 行きたくても、行けない状況だってありえるのだ。 生きてさえいれば、いつか会えるかもしれないけれど、万が一、ということだって、ありえるのだから ... 。
これが、九年の歳月というものなのだろうか。
九年前、私たちは、じぶんたちが死ぬ、なんてことを考えたことすらなかった。 どんなことがあっても、きっと生き延びれる、と。
そして、私たちは、幼い、無邪気な約束を交わした。 守り通すことのできなかった約束を。
そんな約束を、九年後、もういい年とも言える年齢になって、ふたたび交わそうとするなんて ... 。
じぶんが、ほんの少し、情けなくなった。
内心、しょんぼりしつつも、そのあと、二人で用事を済ませに、出かけた。
予想外に用事があっというまに済んでしまって、途方に暮れてふらふら歩いていたら、スーパーの一角に、たい焼き屋さんがあるのを発見。 どうやら、『銀だこ』 屋さんのたい焼きのようで、もの珍しかったから、買ってみることにした。
(私の家の近所にも、『銀だこ』 屋さんはあるが、たい焼きは売られていない気がする ... 。 それとも、私が気がついていないだけだろうか ... )
見てみると、たい焼き、なにげに大きい。 あんこもはみ出している。 とても、一人一個は食べられそうもないので、二人でひとつを半分こすることに。 でも。 たい焼き一個だけ買うのも気が引けたので、結局、たこ焼きも買うことにした。
そうして、たい焼きとたこ焼きを半分こしながら、〈二人だと、たい焼きも、たこ焼きも、食べられていいな〉 ... なんて、うれしさにひたっていたら、 彼が、ふいに、
「―― おれさ、がんばるからさ」 と言い出した。
いきなりで、わけがわからなかったので、「がんばるって、なにを?」 と、私は、訊いた。
「ん? いろいろだよ。 とにかくがんばるからさ、なにがあっても ・・・・・・・・・・ 」
と、思いがけず、確かな “新しい約束” を、してもらえた!
なにがあっても、きっと、約束の場所で会おう、と。
九年前の、前回の約束は、破棄されてしまったけれど。
今度は、“果たされない” 約束として、ずっと、お互いののこころのなかに、刻みつけられたら、いいなあ ... 。
ちなみに、“新しい約束” を交わしてもらえたのだけど、万が一、なにかの災害で音信不通となっても大丈夫なように、現実的に考えて、わが故郷の住所や電話番号も 教えることにした。 これで、私の身になにかが起きても、安否を確かめることができるだろう ... と。
考えてみたら、ここ数年、携帯電話の番号やメールアドレスしか知らない友人・知人が増えたな ... ということに気づく。 ときどき会って、呑みに行って、お互いにいろいろ語り合ったり、メールのやりとりなんかはしているけれど、年賀状すら出さないような間柄だったりして、正確な住所も知らないし、実家がどこだかも知らない ... という人が。
もし、なにかあって、音信不通になっても、ここに行けば会えるかも / ここで訊けばわかるかも ... という “確かな場所” を、友人にも知らせておいたほうが、いいのかな ... と、ふいに考えた。
* 今回の震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。 そして、一日も早い、被災されたかたの快復、被害からの復旧を願います。
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trackback:
・『J'sてんてんてまり』 - 「個人ができること」
・『BLOG STATION』 - 「【新潟中越地震】出来ることから始めよう。」
* ほんとうは、もっとたくさんの、震災に関する記事をご紹介したいのですが ... 。
* こちらに寄せられたコメント、trackback からも、さらに、さまざまな情報が得られます。 (2004.10.27 追記)
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当 blog 関連記事:
・「7.17 / ムーン・リバー」
BGM:
Bert Jansch ‘Promised Land’
そのとき、青山にいて、ビルの地下で、友人と呑んでいた。 地下にいると、気持ち悪いくらい妙な揺れ方をして、もし、上の階がくずれて、生き埋めになったら、どうしよう ... と、恐怖心を煽られた。
なんとなく、胸騒ぎがしたのだけれど、まさか、大変な被害に遭われた地域もあるほどの大地震だったとは ... 。
その晩、わが友人 (というか彼) からメールが入った。
「さっきの地震の影響で、混線してるのか、電話がつながらない」 と。
仕事を終えて、会いに来ようとしていたらしいのだ。
私は、午後十時くらいに帰宅して、彼にわが家まで来てもらった。
そして、テレビの映像に、ふたりで、くぎづけになった。
(テレビは、ここ数年、ヴィデオ観賞用としてしか使っていないので、テレビ番組を観るのは、ひさしぶりだった)
ふと、阪神大震災のときのことを思い出す。
当時付き合っていた彼と、同じようにテレビの映像に喰い入っていたことを。 神戸に身内がいるので、肝を潰すような思いでいたところの、身内の無事を確認できた、あのときのうれしさと言ったら。
元・彼は、「もし、東京にも大地震がきたら、どうする?」 とたずねてきた。
「どうしよう?」 と、私。
「きっと、おれんちは、崩壊するな」 ―― 元・彼は、築十年くらいの分譲マンションにご両親といっしょに住んでいた。
「タッちゃんの家が崩壊するなら、うちもそうだよ。 っていうか、東京は全滅しちゃうのかも」 ―― 私は、六階建てで、一フロアに二家しかない、小ぢんまりとしたビルの一部屋で、一人暮らししていた。
「もし、もしさ。 東京が大震災に遭って、お互いの家がなくなっちゃって、連絡が取れなくなったら、**川の土手で、待ち合わせしようか?」 と、元・彼は、言った。 **川というのは、私たちが住んでいた街の近くにある、大きな川で、私たちは、その前の年、いっしょに、その河川敷で花火を見たことがあったのだ。
「万が一のことがあっても、**川に行けば、会えるのね」
「そうだよ。 どんなことがあっても、**川で、必ず会おうね」
私たちは、指切りをした。 なにがあっても、きっと、ふたりの思い出の場所で会おう ... と。
まだ、学生だった私たち。 考えてみると、なんという幼い約束なのだろう ... 。
それから、月日は流れて、私たちは、別々の道を歩むことになり、この約束は、事実上無効となった。
もちろん、この約束が果たされないこと = 震災が訪れないこと、が、なによりではあるが、約束が、その意味を失ってしまったのだ。
遠い遠い、彼方へ、風に吹かれて、飛んでいってしまった。 二人をつなぐ糸がぷつりと切れて、まるで凧のように、空の彼方へ消え去っていってしまったのだ ... 。
今日、ふいに、私は、現在の彼に、九年前、元・彼に訊かれたのと同じ質問をしてみた。
「もし、東京に、大地震がきたら、どうする?」
「ひとたまりもねえな」 と、ひとこと。
「ねえ、もし ... 、もしもだけど、大震災に遭って、お互いに連絡がとれなくなったら ... 」 と、私が言いかけると、
「そのときは、そのときだよ」 と、あっさり。
「ええと、どこかで、待ち合わせする?」 と、私が、おそるおそる訊ねると、
「どこかって?」 と、彼は、ぽかんとして、訊ね返してきた。
「んん~、たとえば、川原とか ... 」
「川原ねえ。 この辺、川原なんかないしなあ。 あっても、堤防が決壊して、水浸しになってるかもよ?」
「ああ、じゃあ、どこか広い公園は? ###さんちの近くにある?」
「うちの近所じゃ、*** (筆者の名) が、来るのが大変だろ。 あそこでいいじゃん」 ―― 私の家の近くにある、広い公園のことを言った。 そこには、二人で、よく出かけているのだ。
この待ち合わせ案、彼にはあまり興味がないのかな ... と思っていたところ、どうやら賛成してもらえたのかと思って、うれしくて、
「じゃあ、なにかあったときは、○○公園で、会いましょうね」 と、喜び勇んで言ったら、
「行けたらね」 と言われてしまった ... 。
そのとおりだ。 行きたくても、行けない状況だってありえるのだ。 生きてさえいれば、いつか会えるかもしれないけれど、万が一、ということだって、ありえるのだから ... 。
これが、九年の歳月というものなのだろうか。
九年前、私たちは、じぶんたちが死ぬ、なんてことを考えたことすらなかった。 どんなことがあっても、きっと生き延びれる、と。
そして、私たちは、幼い、無邪気な約束を交わした。 守り通すことのできなかった約束を。
そんな約束を、九年後、もういい年とも言える年齢になって、ふたたび交わそうとするなんて ... 。
じぶんが、ほんの少し、情けなくなった。
内心、しょんぼりしつつも、そのあと、二人で用事を済ませに、出かけた。
予想外に用事があっというまに済んでしまって、途方に暮れてふらふら歩いていたら、スーパーの一角に、たい焼き屋さんがあるのを発見。 どうやら、『銀だこ』 屋さんのたい焼きのようで、もの珍しかったから、買ってみることにした。
(私の家の近所にも、『銀だこ』 屋さんはあるが、たい焼きは売られていない気がする ... 。 それとも、私が気がついていないだけだろうか ... )
見てみると、たい焼き、なにげに大きい。 あんこもはみ出している。 とても、一人一個は食べられそうもないので、二人でひとつを半分こすることに。 でも。 たい焼き一個だけ買うのも気が引けたので、結局、たこ焼きも買うことにした。
そうして、たい焼きとたこ焼きを半分こしながら、〈二人だと、たい焼きも、たこ焼きも、食べられていいな〉 ... なんて、うれしさにひたっていたら、 彼が、ふいに、
「―― おれさ、がんばるからさ」 と言い出した。
いきなりで、わけがわからなかったので、「がんばるって、なにを?」 と、私は、訊いた。
「ん? いろいろだよ。 とにかくがんばるからさ、なにがあっても ・・・・・・・・・・ 」
と、思いがけず、確かな “新しい約束” を、してもらえた!
なにがあっても、きっと、約束の場所で会おう、と。
九年前の、前回の約束は、破棄されてしまったけれど。
今度は、“果たされない” 約束として、ずっと、お互いののこころのなかに、刻みつけられたら、いいなあ ... 。
ちなみに、“新しい約束” を交わしてもらえたのだけど、万が一、なにかの災害で音信不通となっても大丈夫なように、現実的に考えて、わが故郷の住所や電話番号も 教えることにした。 これで、私の身になにかが起きても、安否を確かめることができるだろう ... と。
考えてみたら、ここ数年、携帯電話の番号やメールアドレスしか知らない友人・知人が増えたな ... ということに気づく。 ときどき会って、呑みに行って、お互いにいろいろ語り合ったり、メールのやりとりなんかはしているけれど、年賀状すら出さないような間柄だったりして、正確な住所も知らないし、実家がどこだかも知らない ... という人が。
もし、なにかあって、音信不通になっても、ここに行けば会えるかも / ここで訊けばわかるかも ... という “確かな場所” を、友人にも知らせておいたほうが、いいのかな ... と、ふいに考えた。
* 今回の震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。 そして、一日も早い、被災されたかたの快復、被害からの復旧を願います。
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・『J'sてんてんてまり』 - 「個人ができること」
・『BLOG STATION』 - 「【新潟中越地震】出来ることから始めよう。」
* ほんとうは、もっとたくさんの、震災に関する記事をご紹介したいのですが ... 。
* こちらに寄せられたコメント、trackback からも、さらに、さまざまな情報が得られます。 (2004.10.27 追記)
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・「7.17 / ムーン・リバー」
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Bert Jansch ‘Promised Land’