おばあちゃん子であった私は、つねに祖父母の部屋に入り浸り、小学2年生までその部屋で寝てました。
という生粋のジジババッ子であった私は、家で一人で遊んだり、祖母ちゃんの仕事を眺めたりするのが大好きでした。
祖母は着物を仕立てる仕事をしていました。
老眼が厳しくなってきてから「糸を通してくれる?」とよく頼まれたものです。
ハギレでいっぱい遊んだし、ハギレをもらって自分の通学バッグを縫ったり、絹糸を普通に使ってたり・・・・
今思うと好き放題ですな
そして、高校2年ぐらいだったかな。
父親とそりが合わなくて家をとび出てしまったものだから、祖母ともそれっきりあんまり会わなくなってしまった。
(アルバイトしながら高校に通って、ちゃんと卒業しましたよ(^_^;)
私が成人になる頃「成人式に振り袖着るでしょ?」って母伝いに聞いたけど
「私成人式出ないから、着物着ない」って断ってしまったのです。
祖母ちゃん、着せたかったんだろうね私に。
作りたかったんだろうな・・・と今ならわかるので、悪いことしちゃったと思います。
今更だけど、ごめんね、おばあちゃん。
そんな祖母は着物を普段着に着ている人でした。
家事をやるときもいつも着物の上に割烹着を着て、サザエさんのふねさんのような感じです。
もうかなり前に亡くなりましたが、葬式にも行けず、さらにごめんなさい…。
今思うとこの「着物を普段着にしている」ってすごく格好いいなぁと思うのです。
漫画家の故杉浦日向子先生も着物を普段着にして、粋な着こなしをしている方でした。
杉浦日向子先生、すんごく尊敬しているのです。
もう一人の祖母、母方の祖母と晩年一緒に暮らしましたが、こちらの祖母も着物を普段着にしてました。
子どもの頃はいつ会っても(祖母がかつて住んでいたのは山形だから、滅多に会えなかったけど)着物でいましたから、
「おばあちゃんというのは、いつも着物でいる人たち」
という誤った認識が私の中に生まれてしまうくらいでした(^_^;
さて、そんな私もおばあちゃんを初めて認識したときの年齢に近づいてきました。
前々から、そう東海道を歩き出した頃から「和物」にハマりだし、昔の日本人の事を知る度に「日本の文化はいいものだよなぁ」と思えるようになりました。
着物、普段着に着てみたいなぁ・・・おばあちゃんの着物
と思い、母のアパートに行き、「タンスから金目のもの着物を出せ」と脅し(嘘です脅してません)
持っている着物を全部見せて貰いました。
あ、ちなみに母は呉服屋に勤めていた経験があります。
そしてタンスの中には・・・
出てくる出てくる謎の着物と反物と帯
シミがついていたり、帯は仕立てていなかったり、仕立ててある着物もしつけ糸がついている状態で、一度も着ていない状態だったり
反物もかなりの数が出てきて
な・・・な・・・なんじゃこらぁ!!!
となったのは言うまでもありません。
で、誰の?と聞いても、母はかなり認知入っているので
「わかんない」をひたすら繰り返します。
もしかして、わかっててとぼけているのかもしれないんだけど。
もう事実は闇の中ですね。
仕立てていた父方の祖母のものなのか、晩年一緒に過ごした母方の祖母のものなのか
あるいは呉服屋に勤めていた母のものなのか
謎は深まるばかりなのです。
母は「もう着ないから、持ってってもいいよ」という。
タンスの肥やしにするぐらいなら、私が着る!!って
ありがたく貰ってきました。
後から知ったのですが、しつけ糸つけっぱなしの袷の着物は・・・
大島紬だったのです!!(泥大島の7マルキ・・・?かな?)
大島紬は反物もいくつか残ってて
シミになるやろがいっ!!という危ないところを引き上げて来たことになります。
裁縫は得意だから、いっそのこと着物仕上げちゃおうか・・・などと安易に考えてしまっていて
娘の浴衣とか肌着とかを買ったお店に相談しにいったら
「頼むから大島紬にそんなことしないで!!」と全力で止められました🤣
とりあえず、その野望は胸に秘めたまま・・・一旦保留にして
私はばあちゃんの着物を着ることに決めたのです。
今は動画で着方をおぼえられる時代です。
今年の正月は、その大島紬の着物(袷)を着て、石清水八幡宮の参道(石段)を昇るという暴挙に出ました。
あー・・・でも、絶対にいると思っていた「参道の着物姿の人」は私一人でして
しかも石段を登るために「おっし!!裾まくっていくぞいっ」というドスコイっぷり。
残念な着物のオバさんがそこには居たのでした・・・(^_^;
しかも、背の低い祖母の着物なのでツンツルテンではありました。
襦袢も合ってないのでちょっと大変。
でも祖母の大事な着物を蘇らせるにはうってつけのチャンスなのでツンツルテンでもいいのです。
元旦は、上方寄せにも和服で行けたし、まあ何とか無事に着物でびゅーできたかなぁ。
冬はウールの普段着の着物を、ガウンがわりに着用していたり、どうにかこうにか慣れてきました。
杉浦日向子先生には程遠いけど、普段着に着物を着てお出かけできるようになったら最高だよなぁ・・・などと書いてみる。
おっし、いつか久能山東照宮の参道を和服で昇るぜ!!
のぼるぜ1159段っっっ
そして最後に、ありがとう❤お祖母ちゃん's!!
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という生粋のジジババッ子であった私は、家で一人で遊んだり、祖母ちゃんの仕事を眺めたりするのが大好きでした。
祖母は着物を仕立てる仕事をしていました。
老眼が厳しくなってきてから「糸を通してくれる?」とよく頼まれたものです。
ハギレでいっぱい遊んだし、ハギレをもらって自分の通学バッグを縫ったり、絹糸を普通に使ってたり・・・・
今思うと好き放題ですな
そして、高校2年ぐらいだったかな。
父親とそりが合わなくて家をとび出てしまったものだから、祖母ともそれっきりあんまり会わなくなってしまった。
(アルバイトしながら高校に通って、ちゃんと卒業しましたよ(^_^;)
私が成人になる頃「成人式に振り袖着るでしょ?」って母伝いに聞いたけど
「私成人式出ないから、着物着ない」って断ってしまったのです。
祖母ちゃん、着せたかったんだろうね私に。
作りたかったんだろうな・・・と今ならわかるので、悪いことしちゃったと思います。
今更だけど、ごめんね、おばあちゃん。
そんな祖母は着物を普段着に着ている人でした。
家事をやるときもいつも着物の上に割烹着を着て、サザエさんのふねさんのような感じです。
もうかなり前に亡くなりましたが、葬式にも行けず、さらにごめんなさい…。
今思うとこの「着物を普段着にしている」ってすごく格好いいなぁと思うのです。
漫画家の故杉浦日向子先生も着物を普段着にして、粋な着こなしをしている方でした。
杉浦日向子先生、すんごく尊敬しているのです。
もう一人の祖母、母方の祖母と晩年一緒に暮らしましたが、こちらの祖母も着物を普段着にしてました。
子どもの頃はいつ会っても(祖母がかつて住んでいたのは山形だから、滅多に会えなかったけど)着物でいましたから、
「おばあちゃんというのは、いつも着物でいる人たち」
という誤った認識が私の中に生まれてしまうくらいでした(^_^;
さて、そんな私もおばあちゃんを初めて認識したときの年齢に近づいてきました。
前々から、そう東海道を歩き出した頃から「和物」にハマりだし、昔の日本人の事を知る度に「日本の文化はいいものだよなぁ」と思えるようになりました。
着物、普段着に着てみたいなぁ・・・おばあちゃんの着物
と思い、母のアパートに行き、「タンスから
持っている着物を全部見せて貰いました。
あ、ちなみに母は呉服屋に勤めていた経験があります。
そしてタンスの中には・・・
出てくる出てくる謎の着物と反物と帯
シミがついていたり、帯は仕立てていなかったり、仕立ててある着物もしつけ糸がついている状態で、一度も着ていない状態だったり
反物もかなりの数が出てきて
な・・・な・・・なんじゃこらぁ!!!
となったのは言うまでもありません。
で、誰の?と聞いても、母はかなり認知入っているので
「わかんない」をひたすら繰り返します。
もしかして、わかっててとぼけているのかもしれないんだけど。
もう事実は闇の中ですね。
仕立てていた父方の祖母のものなのか、晩年一緒に過ごした母方の祖母のものなのか
あるいは呉服屋に勤めていた母のものなのか
謎は深まるばかりなのです。
母は「もう着ないから、持ってってもいいよ」という。
タンスの肥やしにするぐらいなら、私が着る!!って
ありがたく貰ってきました。
後から知ったのですが、しつけ糸つけっぱなしの袷の着物は・・・
大島紬だったのです!!(泥大島の7マルキ・・・?かな?)
大島紬は反物もいくつか残ってて
シミになるやろがいっ!!という危ないところを引き上げて来たことになります。
裁縫は得意だから、いっそのこと着物仕上げちゃおうか・・・などと安易に考えてしまっていて
娘の浴衣とか肌着とかを買ったお店に相談しにいったら
「頼むから大島紬にそんなことしないで!!」と全力で止められました🤣
とりあえず、その野望は胸に秘めたまま・・・一旦保留にして
私はばあちゃんの着物を着ることに決めたのです。
今は動画で着方をおぼえられる時代です。
今年の正月は、その大島紬の着物(袷)を着て、石清水八幡宮の参道(石段)を昇るという暴挙に出ました。
あー・・・でも、絶対にいると思っていた「参道の着物姿の人」は私一人でして
しかも石段を登るために「おっし!!裾まくっていくぞいっ」というドスコイっぷり。
残念な着物のオバさんがそこには居たのでした・・・(^_^;
しかも、背の低い祖母の着物なのでツンツルテンではありました。
襦袢も合ってないのでちょっと大変。
でも祖母の大事な着物を蘇らせるにはうってつけのチャンスなのでツンツルテンでもいいのです。
元旦は、上方寄せにも和服で行けたし、まあ何とか無事に着物でびゅーできたかなぁ。
冬はウールの普段着の着物を、ガウンがわりに着用していたり、どうにかこうにか慣れてきました。
杉浦日向子先生には程遠いけど、普段着に着物を着てお出かけできるようになったら最高だよなぁ・・・などと書いてみる。
おっし、いつか久能山東照宮の参道を和服で昇るぜ!!
のぼるぜ1159段っっっ
そして最後に、ありがとう❤お祖母ちゃん's!!
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