そうだ
丸子行こう
と突発的に行く丸子(^^;第二弾は歴史編(泉ヶ谷地区)
吐月峰柴屋寺
美味しい珈琲で気分が良くなった私は、丸子に来たらほぼ必ず立ち寄る「吐月峰柴屋寺」へ向かいました。何度もリピートして行くお寺です。増田先生とも行きました。
今川氏に仕えた連歌師宗長が創建した……とサラッと紹介されてますが、いろんな所でもそんな紹介ばっかりですが、宗長ですよ、宗長!!
連歌師宗長っつったらあーた、「急がば回れ」を詠んだ有名な人でございますよ。
連歌師っつったら歌を詠んでただけでなく、連歌です、つなげていくのが大変な連歌。
※上の句の「五・七・五」がお題のごとく出され、
それに下の句「七・七」をつなげていく。代わる代わる「七・七」を挙げていく。
それが百句に及ぶ百韻連歌は相当なものです(^^)
(歌を詠むこともできない私からすれば、異世界に住む人です)
連歌師は引く手あまただった。様々な武将から歓迎された。
各地を巡っている連歌師が、あちこちの情報を持っていたからですね。
特に宗長はネゴシエーターとしても活躍したようです。
しかも連歌師の第一人者である宗祇の弟子であり、一休宗純に参禅した人物でもあり、若き日の今川氏親と共に丸子城に閑居した人でもあり…交友関係だけでもお腹いっぱいだわ!
となってしまうような方でした。
その交友関係は、宝物にあらわれています。
後水尾天皇より「御寝筆」
足利義政より「分福茶釜」
一休宗純より「鉄鉢」
宗長自筆「百韻連歌」
今川義元より「横笛」
武田信玄より「高麗焼村雲茶碗」・・・等々
宗長の師である宗祇と、肖柏と三人で読んだ水無瀬三吟百韻は連歌の代表作らしい(この記事を書くときに知った!!)
一部読めます(^^)
https://koten.sk46.com/sakuhin/minase.html
そんな有名人がこのようなところでひっそりと、しかし優雅に月を待ちながら、庭作りも丹念に行いながら暮らしてたかと思うと、感慨深いモノがあります。
という思いで、何度もリピートしてしまう。
リピートが激しい余り、受付のお寺の奥さんが高齢になってしまったこともあるので
「あ、何度も来てるので勝手に見て回りますよ、ご案内なくても大丈夫(^^)/」などと言ってしまうのです。
平日で桐井の貸し切り状態を楽しんで、会社のiPhoneで撮影してました。
大満足の帰り道、のどかな茶畑を撮影するのでした