▼2011/12/30に歩いたルート
さてつづきです。
5時間も東坂にかけてしまい、10時すぎに芦ノ湖畔を出発したワタシは、残り半分を歩くためにちょっと急ぎ足で三島へ向かいます。
元箱根の杉並木を駆け抜け、関所を破り(^^;一気にそのまま!
・・・とはいかず、やはりきつい下り坂を前に、雲助だんごとお茶のセットを食べて休憩しちゃいました(^^)
しかしゆっくりはできないので、食べ終わり次第すぐに歩き出します。
甘酒同様、久しぶりに食べた甘いものでしたが、あっというまに消化してしまうこの歩き。
あと16キロ!たかが16キロ。されど16キロ。
道はにぎやかな通りとは再び離れ、あまりひと気のない旧道へと入ります。
ここで目立つのは駒形神社。
記事に載っている写真はすべて、クリックすると大きくなります
駒形神社境内には「犬塚明神」があります。
昔街道を整備するにあたり、箱根の集落にはある問題がありました。
狼が出没しては旅人を襲うことがあったのだそうです。
問題を解決するために村の人々は幕府にお願いして唐犬を二匹連れてきて、狼を退治することに成功したのだが、その二匹の犬も力尽きて死んでしまったとのことです。
村の人々は二匹の犬に感謝して丁重に葬り、祀ったということです。
さて、この駒形神社のすぐ後からはまた石畳の旅が始まります(^^;
まずは【向坂】
まだまだ箱根の観光地に近いせいか、最初は登りやすいです。
しかし途中から石がごつごつしてきて一気に歩きにくくなります。
【赤石坂】
【釜石坂】
【風越坂】
【挟石坂】箱根峠にかかる坂です
あ、坂を撮るの忘れた・・・が、問題はそこじゃない。
同じような風景ばっかりだぁっ (^^;
そして道は箱根峠に差し掛かります。ルート地図を見ると一番標高の高いところがそう。・・・かな。
また国道へ出て歩きやすい道を行きます。
道の駅箱根峠があるのですが、今回は先へ進みたいと身体が申していますので飛ばします。
その後は、無事に静岡県入り!
いやいや、そんなんで安心してはいけないのです。なんせここからが長いのです。
旧道は再び国道から離れて、すぐに石畳となります。
【甲石坂】
いつも何故かここから、急に勇気がなくなるワタシです。今まで石畳で出会う人は少なかったものの、それでも近くには人がいっぱい居たものです。(自分からは見えなくても国道にいるとか)
しかし、西坂となると急に周囲から人の気配は消えます。こちらは人気がないのです。
まったくの1人・・・。ち・・・・ちょっとコワイ。
なんせ、こんなです。
昼なお暗き杉並木♪・・・ではなくて笹トンネル。
ここを歩いているのは自分ひとり・・・と思うと、「怪我しませんように」というのと「モンスターが出現しませんように(そんなものは出ない)」という思いが交錯し、「こんらん」状態です。(@_@;←こんな顔になってます
この恐怖に立ち向かう方法はただひとつ。
走るっ!!
ということで安全なところは時々小走りで進みます。
一度車道へ出て、また石畳に入ります。ここに「かぶと石」があります。
兜をふせたような形をしているから「かぶと石」という説と、もう1つ。
豊臣秀吉小田原征伐のとき、ここに兜をかけて休んだ場所・・・などと云われていますが・・・本当かどうかわかったもんじゃありません(^^;
街道沿いにはそーいうのが多いのです。
誰々が座った石とか対面して話をした石だとか、誰々が鎧をかけた松だとか、誰々がもたれていた松だとか・・・。
事実は今となってはわからないのです。
でも、いいのです。そうであってもなくてもきっと・・・
言ったもん勝ち!
三島の石畳は晴れの日限定で歩きやすいです。
【石割坂】
【石原坂】には「念仏石」と呼ばれるものがあります。
念仏石と呼ばれる大きな石の前に、「南無阿弥陀仏 宗閑寺」と刻まれた石碑があります。
行倒れとなった旅人を、近くの宗閑寺で葬り、ここに石碑を建てたものと思われる、とあります。
今でこそワタシは1人で歩いて楽しんでますが、昔の旅人は本当に帰ってこない人となる場合が大変多かったのです。
恵まれた時代に歩けることを感謝します。
ここは多分【大枯木坂】です。
【小枯木坂】には雲助徳利の墓があります。
多くの人に愛された、雲助の親分格であった方が眠っております。
たぶん、この小枯木坂の辺りで一度リュックを下ろし、中に入っているアナログ一眼レフを出したのではなかろうかと思いますが、このような写真がありました。
本当にここかどうかはわかりません(^^;でも、やっぱりいいところです♪※・・・と思ったら全然ちがいました(^_^;)この写真は芦ノ湖近くの杉並木でした!
この後、山中というところを歩きますがここには「山中城跡」があります。
今回も歩行距離が長いので見学はパス!です。
いったいいつになったらワタシは山中城跡に行くのだろう・・・。
そしてちょっと平らなところに出ますが、「富士見平」という所です。
松尾芭蕉の句碑もあります。
ここから見る富士山がとっても素晴らしいから「富士見平」と名がついていますので、ここからの富士山を撮ってみましょう♪
半分雲に隠れてるぅぅ(T-T)しかもまた傾いているぅ
※ここは「平」といえどもちょっと傾斜のあるところなので、ワタシもそのまま傾くのです(^^;
芭蕉先生の句も「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き」でした。
芭蕉先生も富士山が見えないときにこの句を読んだのですね(^^)
それから比べればワタシの時は見えているほうなのでしょう。しかし富士山が見えなくとも、ここからの富士を心に思い描くという楽しさを詠んでいます。
さすが芭蕉先生!
いろいろな句を拝見することのある東海道中ですが、芭蕉先生の句って実に前向きでユーモラスで、ときどき「ぷっ・・・」と笑っちゃうのもありで大変楽しいです。
頭のやわらかい人だったのでしょう。
そして【上長坂】です。
石畳の向こうに車道が見えます。
時々旧街道は途切れて車道を横断したり合流したりします。
夢空間と現実を行ったり来たりする瞬間でもあります。
やがて見えてくるのは笹原一里塚。
今の旧東海道からちょっと奥ばったところに一里塚はあります。
このあと、ものすごい級の急坂、【下長坂】です。
7月の写真しかありませんが、これです。
別名「こわめし坂」といい、お米を背中に背負ってるとあまりの急坂で汗をかくのでお米がふやけてこわ飯になっちゃうよっていう坂です。
その先、三ツ谷新田の辺りかもしれないですが、富士山の雲がだいぶ晴れてきました。
も・・・もうちょい雲さん、横によけてくれたら嬉しいな(^^;
まあ、多くは望むまい。じゅうぶんじゅうぶん♪
このあと、【小時雨坂】【大時雨坂】【題目坂】【臼ころげ坂】と下ります。
六地蔵です。六体以上ありましたが、六地蔵です。
新年に向けて、真新しい帽子と前掛けでした。すべて手編みです。
素晴らしいです(^^)
この道の先に「箱根路」記念碑がありました。
そしてようやく「錦田一里塚」です。
路の両側に塚が残っている、今となっては珍しいものです。
しかし一里塚の役割って、こうして歩き旅をしているワタシには非常に重要なのですけど、普通に生活していたら全くといっていいほど、今では用の無いものかもしれないのが・・・・ちょっぴり寂しい。
こうして国指定文化財として残してくれているので、旧道ウォーカーは楽しめますが、ワタシも東海道歩きをしていなければ興味も示していなかったかもしれないです。
でもやっぱり旧道がどんどん潰されて名残の松さえ伐採されて住宅地になってしまったり、線路にさえぎられたりと、旧道が「邪魔物扱い」されていることを知るとちょっと残念です。
「昔はこうだったんだよ。これはそのために大切なものだったんだよ」と、次の世代に言葉で、絵で、文章で伝えていかなければ・・・と思います。知っている限りの知識でも構わないと思うのです。
自分は歩いて、こうやって時々ブログで語ってるだけですが(^^;
このあと、歩道が石畳調になっている【愛宕坂】。
十分歩きにくいです・・・。地元の人はここを転ばずに歩けるのだろうか、足の弱い人はどうしているのだろうか、自転車で通る人は大変ではないのだろうかと、よけいな心配しちゃいました。
そして、ついに
新町橋!
なにが「ついに」かというと、ここから三島宿なのです!!
さらに新町橋は富士山眺望地点なのです。
それではここからの富士山を撮ってみましょう。
お約束・・・_| ̄|○
ワタシは富士山の雲が晴れるように、箱根の西坂を下りながらときどき「I Can See Clearly Now (←Youtubeが開きます)を口ずさんでいたのですが・・・力及ばず(^^;
それでもまあ、とにかくとにかく三島宿♪
たしか15:30ぐらいに三島宿辺りに到着しました。
小田原から歩いて10時間ちょっと・・・やはり歩くの遅いですねぇ(^^;
あとはスタスタ(実際はトボトボしてたかもしれません)歩いて三島大社に・・・立ち寄るつもりも今日はなく、夕飯のために東海道沿いのたこ焼き屋にてたこ焼きを買い、さっさと駅に向かいました。
駅に向かう途中で三島のきれいな水に癒されてました(^^)
しかし、あまりにお腹がすいていたせいか、午後4時ごろ三島駅のベンチでたこ焼きをほおばるワタシの姿があったのです。
とにかく達成できました(^^)、歩けました、32キロ。
本当に箱根越えは八里だったのです。これでやっと昔の人の標準歩きに追いついたのです。
昔の旅人は一日十里歩くのが平均的でした。しかし、箱根の坂はきつくて今と比べたら比べ物にならないぐらいの悪路で、八里歩くのがやっとだったのだそうです。
本当に昔の人は凄いなぁ・・・一日十里・・・歩けません。
まあその距離は「宿泊費をいかにおさえるか」ということで、なるべく歩行距離を伸ばしていたのですけどね。
さてさて、寄り道もせずにワタシが駅に向かった理由は別にあります。
実はこの日、青春18きっぷで名古屋へ向かうつもりだったのです。名古屋に宿をとってあるので、翌日12/31は「三重県鈴鹿市から伊勢街道歩きの続き!」をするつもりだったのですねぇ(^^)♪
チェックインが11時までのホテルだったから少々焦り気味ではありましたが、どうやら間に合いそうです。
ということで、この後普通列車の旅に切り替えたのでした。
しかし年末の混雑の中でしたので、三島駅から草薙駅まで痛い足をひきずりながら列車の中で立ちっ放しなのでした
今回は坂の名前をフル出場(多分)させて箱根の東海道を紹介しましたが・・・いやー読んでいてもあんまり面白くないなぁ(^^;
でも、ふだん乗り物に乗って移動している少しの区間でもいいです、歩くことができる方は少しでも歩いてみましょう
歩いてみた事の無い道を歩くとたくさんの発見があって、なんだかハッピーなのです。
近所をいつも自転車で通っていた道を歩くだけでも思わぬ発見がありますよ(^^)
○○街道という道は昔からの道がほとんどですから、そこの旧道(ときどき今の広い道からはずれることもあり)を発見するのも楽しいです。
その後のご飯も美味しくなります♪(^^)
さてつづきです。
5時間も東坂にかけてしまい、10時すぎに芦ノ湖畔を出発したワタシは、残り半分を歩くためにちょっと急ぎ足で三島へ向かいます。
元箱根の杉並木を駆け抜け、関所を破り(^^;一気にそのまま!
・・・とはいかず、やはりきつい下り坂を前に、雲助だんごとお茶のセットを食べて休憩しちゃいました(^^)
しかしゆっくりはできないので、食べ終わり次第すぐに歩き出します。
甘酒同様、久しぶりに食べた甘いものでしたが、あっというまに消化してしまうこの歩き。
あと16キロ!たかが16キロ。されど16キロ。
道はにぎやかな通りとは再び離れ、あまりひと気のない旧道へと入ります。
ここで目立つのは駒形神社。
記事に載っている写真はすべて、クリックすると大きくなります
駒形神社境内には「犬塚明神」があります。
昔街道を整備するにあたり、箱根の集落にはある問題がありました。
狼が出没しては旅人を襲うことがあったのだそうです。
問題を解決するために村の人々は幕府にお願いして唐犬を二匹連れてきて、狼を退治することに成功したのだが、その二匹の犬も力尽きて死んでしまったとのことです。
村の人々は二匹の犬に感謝して丁重に葬り、祀ったということです。
さて、この駒形神社のすぐ後からはまた石畳の旅が始まります(^^;
まずは【向坂】
まだまだ箱根の観光地に近いせいか、最初は登りやすいです。
しかし途中から石がごつごつしてきて一気に歩きにくくなります。
【赤石坂】
【釜石坂】
【風越坂】
【挟石坂】箱根峠にかかる坂です
あ、坂を撮るの忘れた・・・が、問題はそこじゃない。
同じような風景ばっかりだぁっ (^^;
そして道は箱根峠に差し掛かります。ルート地図を見ると一番標高の高いところがそう。・・・かな。
また国道へ出て歩きやすい道を行きます。
道の駅箱根峠があるのですが、今回は先へ進みたいと身体が申していますので飛ばします。
その後は、無事に静岡県入り!
いやいや、そんなんで安心してはいけないのです。なんせここからが長いのです。
旧道は再び国道から離れて、すぐに石畳となります。
【甲石坂】
いつも何故かここから、急に勇気がなくなるワタシです。今まで石畳で出会う人は少なかったものの、それでも近くには人がいっぱい居たものです。(自分からは見えなくても国道にいるとか)
しかし、西坂となると急に周囲から人の気配は消えます。こちらは人気がないのです。
まったくの1人・・・。ち・・・・ちょっとコワイ。
なんせ、こんなです。
昼なお暗き杉並木♪・・・ではなくて笹トンネル。
ここを歩いているのは自分ひとり・・・と思うと、「怪我しませんように」というのと「モンスターが出現しませんように(そんなものは出ない)」という思いが交錯し、「こんらん」状態です。(@_@;←こんな顔になってます
この恐怖に立ち向かう方法はただひとつ。
走るっ!!
ということで安全なところは時々小走りで進みます。
一度車道へ出て、また石畳に入ります。ここに「かぶと石」があります。
兜をふせたような形をしているから「かぶと石」という説と、もう1つ。
豊臣秀吉小田原征伐のとき、ここに兜をかけて休んだ場所・・・などと云われていますが・・・本当かどうかわかったもんじゃありません(^^;
街道沿いにはそーいうのが多いのです。
誰々が座った石とか対面して話をした石だとか、誰々が鎧をかけた松だとか、誰々がもたれていた松だとか・・・。
事実は今となってはわからないのです。
でも、いいのです。そうであってもなくてもきっと・・・
言ったもん勝ち!
三島の石畳は晴れの日限定で歩きやすいです。
【石割坂】
【石原坂】には「念仏石」と呼ばれるものがあります。
念仏石と呼ばれる大きな石の前に、「南無阿弥陀仏 宗閑寺」と刻まれた石碑があります。
行倒れとなった旅人を、近くの宗閑寺で葬り、ここに石碑を建てたものと思われる、とあります。
今でこそワタシは1人で歩いて楽しんでますが、昔の旅人は本当に帰ってこない人となる場合が大変多かったのです。
恵まれた時代に歩けることを感謝します。
ここは多分【大枯木坂】です。
【小枯木坂】には雲助徳利の墓があります。
多くの人に愛された、雲助の親分格であった方が眠っております。
たぶん、この小枯木坂の辺りで一度リュックを下ろし、中に入っているアナログ一眼レフを出したのではなかろうかと思いますが、このような写真がありました。
本当にここかどうかはわかりません(^^;でも、やっぱりいいところです♪※・・・と思ったら全然ちがいました(^_^;)この写真は芦ノ湖近くの杉並木でした!
この後、山中というところを歩きますがここには「山中城跡」があります。
今回も歩行距離が長いので見学はパス!です。
いったいいつになったらワタシは山中城跡に行くのだろう・・・。
そしてちょっと平らなところに出ますが、「富士見平」という所です。
松尾芭蕉の句碑もあります。
ここから見る富士山がとっても素晴らしいから「富士見平」と名がついていますので、ここからの富士山を撮ってみましょう♪
半分雲に隠れてるぅぅ(T-T)しかもまた傾いているぅ
※ここは「平」といえどもちょっと傾斜のあるところなので、ワタシもそのまま傾くのです(^^;
芭蕉先生の句も「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き」でした。
芭蕉先生も富士山が見えないときにこの句を読んだのですね(^^)
それから比べればワタシの時は見えているほうなのでしょう。しかし富士山が見えなくとも、ここからの富士を心に思い描くという楽しさを詠んでいます。
さすが芭蕉先生!
いろいろな句を拝見することのある東海道中ですが、芭蕉先生の句って実に前向きでユーモラスで、ときどき「ぷっ・・・」と笑っちゃうのもありで大変楽しいです。
頭のやわらかい人だったのでしょう。
そして【上長坂】です。
石畳の向こうに車道が見えます。
時々旧街道は途切れて車道を横断したり合流したりします。
夢空間と現実を行ったり来たりする瞬間でもあります。
やがて見えてくるのは笹原一里塚。
今の旧東海道からちょっと奥ばったところに一里塚はあります。
このあと、ものすごい級の急坂、【下長坂】です。
7月の写真しかありませんが、これです。
別名「こわめし坂」といい、お米を背中に背負ってるとあまりの急坂で汗をかくのでお米がふやけてこわ飯になっちゃうよっていう坂です。
その先、三ツ谷新田の辺りかもしれないですが、富士山の雲がだいぶ晴れてきました。
も・・・もうちょい雲さん、横によけてくれたら嬉しいな(^^;
まあ、多くは望むまい。じゅうぶんじゅうぶん♪
このあと、【小時雨坂】【大時雨坂】【題目坂】【臼ころげ坂】と下ります。
六地蔵です。六体以上ありましたが、六地蔵です。
新年に向けて、真新しい帽子と前掛けでした。すべて手編みです。
素晴らしいです(^^)
この道の先に「箱根路」記念碑がありました。
そしてようやく「錦田一里塚」です。
路の両側に塚が残っている、今となっては珍しいものです。
しかし一里塚の役割って、こうして歩き旅をしているワタシには非常に重要なのですけど、普通に生活していたら全くといっていいほど、今では用の無いものかもしれないのが・・・・ちょっぴり寂しい。
こうして国指定文化財として残してくれているので、旧道ウォーカーは楽しめますが、ワタシも東海道歩きをしていなければ興味も示していなかったかもしれないです。
でもやっぱり旧道がどんどん潰されて名残の松さえ伐採されて住宅地になってしまったり、線路にさえぎられたりと、旧道が「邪魔物扱い」されていることを知るとちょっと残念です。
「昔はこうだったんだよ。これはそのために大切なものだったんだよ」と、次の世代に言葉で、絵で、文章で伝えていかなければ・・・と思います。知っている限りの知識でも構わないと思うのです。
自分は歩いて、こうやって時々ブログで語ってるだけですが(^^;
このあと、歩道が石畳調になっている【愛宕坂】。
十分歩きにくいです・・・。地元の人はここを転ばずに歩けるのだろうか、足の弱い人はどうしているのだろうか、自転車で通る人は大変ではないのだろうかと、よけいな心配しちゃいました。
そして、ついに
新町橋!
なにが「ついに」かというと、ここから三島宿なのです!!
さらに新町橋は富士山眺望地点なのです。
それではここからの富士山を撮ってみましょう。
お約束・・・_| ̄|○
ワタシは富士山の雲が晴れるように、箱根の西坂を下りながらときどき「I Can See Clearly Now (←Youtubeが開きます)を口ずさんでいたのですが・・・力及ばず(^^;
それでもまあ、とにかくとにかく三島宿♪
たしか15:30ぐらいに三島宿辺りに到着しました。
小田原から歩いて10時間ちょっと・・・やはり歩くの遅いですねぇ(^^;
あとはスタスタ(実際はトボトボしてたかもしれません)歩いて三島大社に・・・立ち寄るつもりも今日はなく、夕飯のために東海道沿いのたこ焼き屋にてたこ焼きを買い、さっさと駅に向かいました。
駅に向かう途中で三島のきれいな水に癒されてました(^^)
しかし、あまりにお腹がすいていたせいか、午後4時ごろ三島駅のベンチでたこ焼きをほおばるワタシの姿があったのです。
とにかく達成できました(^^)、歩けました、32キロ。
本当に箱根越えは八里だったのです。これでやっと昔の人の標準歩きに追いついたのです。
昔の旅人は一日十里歩くのが平均的でした。しかし、箱根の坂はきつくて今と比べたら比べ物にならないぐらいの悪路で、八里歩くのがやっとだったのだそうです。
本当に昔の人は凄いなぁ・・・一日十里・・・歩けません。
まあその距離は「宿泊費をいかにおさえるか」ということで、なるべく歩行距離を伸ばしていたのですけどね。
さてさて、寄り道もせずにワタシが駅に向かった理由は別にあります。
実はこの日、青春18きっぷで名古屋へ向かうつもりだったのです。名古屋に宿をとってあるので、翌日12/31は「三重県鈴鹿市から伊勢街道歩きの続き!」をするつもりだったのですねぇ(^^)♪
チェックインが11時までのホテルだったから少々焦り気味ではありましたが、どうやら間に合いそうです。
ということで、この後普通列車の旅に切り替えたのでした。
しかし年末の混雑の中でしたので、三島駅から草薙駅まで痛い足をひきずりながら列車の中で立ちっ放しなのでした
今回は坂の名前をフル出場(多分)させて箱根の東海道を紹介しましたが・・・いやー読んでいてもあんまり面白くないなぁ(^^;
でも、ふだん乗り物に乗って移動している少しの区間でもいいです、歩くことができる方は少しでも歩いてみましょう
歩いてみた事の無い道を歩くとたくさんの発見があって、なんだかハッピーなのです。
近所をいつも自転車で通っていた道を歩くだけでも思わぬ発見がありますよ(^^)
○○街道という道は昔からの道がほとんどですから、そこの旧道(ときどき今の広い道からはずれることもあり)を発見するのも楽しいです。
その後のご飯も美味しくなります♪(^^)