栗本軒貞国詠「狂歌家の風」(1801年刊)、今日は恋の部から一首
寄薬方恋
せんやくのわしをふり捨又外にしやうさいこまてなした悪性
題は薬方に寄する恋。「せんやく」は先約と煎薬というのはすぐにわかった。それに対して、下の句「しやうさいこまてなした悪性」はかなり難敵のように思われた。しかしながら、薬の名前という正攻法で今回はあっさり見つかった。小柴胡湯(しょうさいことう)という漢方薬だった。小柴胡湯の出典とされる中国古典の「傷寒論」は製薬会社等のページに各条ごとに分けて載っていてざっと見たところ小柴胡湯、柴胡湯という記述は度々あったものの、「小柴胡」だけで湯がつかない箇所は見つからなかった。近代の用例もほとんど柴胡、柴胡剤、そして小柴胡湯に限られるが、明治12年「経方弁」に「小柴胡亦汗解之剤非和解之謂」とあり、「小柴胡」という用例もあった。ただ、これは見出しであって文中はすべて小柴胡湯だった。歌に戻ると、この薬の名前と、最後までなした悪性、という趣向になっている。
狂歌家の風には悪性(あくしやう)を詠んだ歌がもう一首ある、紹介しておこう。
間夫非一
恋風を引込病ひの悪性はいくつもかさねてきるさよ衣
これも題からみて相手の女性の悪性だろうか。「きやうか圓」には、
悪性非一といふことを 左闌
窓よりもちよと手をにぎる性わるの此人にしてこひの病あり
という歌があり、これは性別不明だが手を握られたということであれば女性の悪性のようにも思われる。恋愛相手の悪性を嘆くのは狂歌のモチーフのようだ。もっとも、江戸文学全体で言えば、酒色にふける悪性の代表選手は放蕩息子かな、おそらく男の方が圧倒的に多いだろう。数えてはいないけれど・・・
【追記】 「狂歌辰の市」に悪性の歌、
悪性非一 峯女
さためなくあちこち恋をしくれ月かみさまのないぬれ男つら
時雨月は陰暦10月の異称、これは女性が詠んだ男の悪性だろうか。悪性非一は狂歌では普遍的なテーマだったようだ。