阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

狂歌家の風(16) ひとよきり

2018-12-15 10:21:16 | 栗本軒貞国

 栗本軒貞国詠「狂歌家の風」(1801年刊)、今日は夏の部から一首、

 

       夏菊 

  活筒のひとよきりより一夜酒の銚子にさゝん夏菊の花

 

一夜酒とは、一夜のうちに熟成するところから、甘酒のことだという。室町時代の宮中の年中行事を記した「公事根源」には、

「供醴酒(ひとよざけをきょうす)

一夜さけとはけふつくれはあすは供するなり一夜をへだつる竹葉の酒なれは一夜酒とは申なり又はこざけとも或文に侍り昔は口中に米を嚼て夜をへて酒に作けるにやこの酒は造酒司(さけつかさ)けふより七月卅日まて日毎に奉るなり」

とあり、六月一日から七月三十日まで作ったとある。の字はあまざけの訓がある。夏ばてに効果があるそうで、夏の季語となっている。このあたり現代の感覚とは違うところだ。もっとも、江戸時代の狂歌にも寒い時に一夜酒という歌もある。「狂歌気のくすり」には、

 

         一夜酒          故人 宣平 

  一夜酒のんて寒さを忘れけりあたゝまりぬる腹のはるへに


とある。また、明治36年百物叢談の甘酒の項には、

「○甘酒 志賀理斎といへる人天保十四年に軒のしのぶといふ本を著はせり其中に近世はよろづ風俗の転変して暑中に甘酒土用入りよりして冬の納豆汁を売りあるき又暑中通して菜漬を売るかくの如く皆時節気ならざる物を売る世となれりとさらばにや此の甘酒をうりあるき始めたるは近き天保初年の頃なるべし」

とあり、天保以前暑中に甘酒は季節外れだったと書いてあって、公事根源の宮中では六月から供したというのと食い違っている。あるいは、土用の鰻や近年の恵方巻のようなことなのか、このあたりもう少し探してみたい。

次に、最初の「ひとよきり」を検索すると縦笛の一節切(ひとよぎり)が多数出てくる。尺八のような楽器だったようだ。その中に数は少ないけれど、竹の花器としても一節切というものがあり、竹の節を一つ残してあると説明があった。遠州流という流派で今でもこの言葉を使うようだ。また、茶道用語の中にも「竹花入の切り方の一種」とあった。

これで「ひとよきり」と「一夜酒」は一応理解したけれど、花器の一節切よりも一夜酒の銚子に挿したい、という貞国の心情はいかなるものであっただろうか。上記の百物叢談の記述を信じるならば、貞国の時代には江戸にも甘酒売りは登場していなくて、一夜酒と夏菊の組み合わせが一般的だったかどうか。どうも、あと一歩か二歩か貞国の歌意に近づけていないようだ。

夏菊について、明治10年「作文必読」の中の贈夏菊文という例文には、

「凡子愛育の夏菊一瓶培養疎雑見所薄候へとも」「花葉ともに見苦存候へとも」

とあり、注にも、「風韻乏少、無幽艶之趣、有艶色無香気、枝葉最鄙、枝重葉厚」と秋の菊に劣るという表現が並んでいる。少し見劣りのする夏菊を、一夜きりとも読める活筒ではなく手元の銚子に活けて、と勝手にストーリーを作ることはできるけれど、実際の貞国の心情はどうだったのか、まだまだ調べてみないといけないようだ。

 

【追記1】夏菊の俳句を読んでみると、夏痩せという連想の句があった。

   ひとり世に痩せたる夏の黄菊哉 正岡子規

   夏菊に木曽の旅人やせにけり 正岡子規

   夏菊や土蔵の陰に痩せてけり 正岡子規 

   痩せたりと言はる夏菊の黄はさえて 細見綾子

   夏菊や戦さに痩せし身をいとふ 渡邊水巴

この線で貞国の歌を解釈すると、痩せた夏菊に夏バテに効くという一夜酒を、ということだろうか。もしこれで正解だとすれば、寛政期までには甘酒は夏痩せに良いと信じられていたということになる。なお、百物叢談が引用している志賀理斎「軒のしのぶ」という著書は見つからないのだけど、志賀理斎の没年は天保11年とあって、百物叢談の考察よりも早く甘酒売りが登場した可能性はあると思われる。


【追記2】天保八年起稿の守貞謾稿に、「夏月専ラ売巡ル者ハ」に続いて甘酒売の記述がある。

「甘酒売 醴売也京坂ハ専ラ夏夜ノミ売之専ラ六文ヲ一碗ノ値トス江戸ハ四時トモニ売之一碗値ハ八文トス」

明治の書物に暑いのを我慢して甘酒を飲むのは江戸っ子の面白いところとの記述があり、夏の甘酒売りは江戸だけかと思ったら上方にもあったようだ。しかし上方が夜だけなのに江戸では四時ともにとあるから、やはり江戸っ子のそういう面は出ているのかもしれない。

 

【追記3】同じ守貞謾稿に当時の銚子の絵がある。しかしここに夏菊を挿しても絵としてはぱっとしないような気がする。やはり、夏痩せの菊に甘酒を飲ませる説が有力だろうか。

 

【追記4】銚子ではなく燗鍋の例歌であるが、「狂歌友かゝみ」に燗鍋に菊を挿した絵があった。


  節句とて竹杖はなれ翁草けふかん鍋の手にそひかるゝ (園果亭義栗


追記3で絵としてぱっとしないと書いたのは私の想像力の欠如で、挿すといっても浸すのではなかった。甘酒は温めてあるのだからよく考えたらわかりそうなものだ。それでも、歌の解釈としては夏痩せに甘酒でいけると思うのだけど、ちょっと自信がなくなってきた。


【追記5】 笛の方の一節切の用例が狂歌上段集(寛政五年)にあった。


       初嵐             枝柑子光成

  あきはやき笛の稽古ははつ嵐ひとよきりにて吹やみにけり


(「き」についている濁点は最初からあったか判別できない。一応除外しておいた。)

また、「狂歌手毎の花 二編」にも、


        旅宿夢         野内庵面也

  尺八の竹のふしみに旅ねしてむすひし夢もひとよきりかな


とある。やはり「一夜きり」と詠みたい素材、貞国の歌にその意味はないのだろうか。