阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

12月27日広島県立図書館「尚古」など

2018-12-27 19:01:41 | 図書館

 今日は午前中に餅つきがあって出るのが30分遅れた上に蕎麦買って帰れと言われて図書館の滞在時間は1時間弱だった。それで「狂歌桃のなかれ」の解説の参考文献にあった「尚古」を読むことにした。明治41年の第参年四号と八号に貞国関連の記述があるということだったが、県立図書館では芸備史壇としてまとめられていて何巻に入っているかわからない。1から3を出してもらったら、両方とも2巻にあった。第四号の方は倉田毎允氏による「名家墳墓」に栗本軒貞国の項があり、

「苫屋弥三兵衛と称し広島水主町に住す狂歌に巧妙なるを以て栗本軒貞国の号は京都狂歌の家元より受けたるものなりとそ天保四年二月二十三日歿す年八十七本譽快樂貞國良安信士と謚し天神町教念寺に葬る墓石表面に合塔の二字を刻し両側面には文化八年閏二月七日とあるのみ蓋し其祖先の歿年月を記したるものなり」

とある。もちろん京都狂歌の家元とあるのは誤解で栗本軒の号は堂上歌人の芝山持豊から賜ったものだ。それから普通の先祖代々のお墓だったようだ。天神町というと戦前までの繁華街で今の平和公園のあたり。中区の同じ三角州でも旧天神町から1キロ以上南の羽衣町に今も教念寺というお寺があるが、このような普通のお墓だとすると、原爆に耐えてしかも移転して残っているかどうか、難しそうな気もする。

参年八号は同じ倉田毎允氏「栗本軒貞国の狂歌」、三十七首の貞国の歌が載っており、狂歌家の風や狂歌桃のなかれと重複する歌も語句や表記が異なっていて出典は別のようだ。長い詞書の歌もあり、歌集あるいはそれに近い形式のものからの引用と思われるが、残念ながら出典の記述はない。原爆で焼けてしまった資料もあったのだろうか。家の風関連の歌はそちらに追記、あるいは近々書いてみることにして、それ以外で興味を引かれたところでは、まず亥の子の歌、

 

  ついた所つかぬ所も見ゆるなり亥の子の餅もあらかねのつち

 

亥の子石で叩いた場所は跡がついてわかるということなのか、今ひとつはっきりしない。また、古市の餅の歌、

 

     沼田郡古市村なる名物餅のことをよめる

  能因に味あわせたやあめならて古市に名の高き歌賃を

 

これはどんな餅だったか気になる。「能因に味あわせたや」も現時点ではよくわからない。

また貞国の商いや辞世の碑についての記述もあった。明治41年というと貞国が没してからまだ百年たっていない時代、伝承も残っていたのかもしれない。まずは、初詣のついでに辞世の碑があるという聖光寺に行ってみたい。お天気と体調次第だけど。

借りたのは4冊、近世上方狂歌叢書は二巻を、江戸狂歌は十二巻を借りた。上方は頭から、江戸は後ろからという感じで深く考えて選んだわけではない。それから守貞謾稿の4巻5巻を借りた。国会図書館のカタカナは読みにくく活字でと思ったけど1から3は書架になく貸出中だろうか。まあ3週間で読む分量としては十分だろう。上方狂歌を読み始めたら狂歌手なれの鏡(木端撰)の木端の歌がちょっとアレだった。

 

      男色のこゝろを

  和歌集かいや若衆もおほかたは十一二より恋の部に入る

 

たしかに古今集などでは巻第十一から恋の歌だが、若衆の方はそれでいいのか。しかし木端師の歌であるから、そういうものだったのかもしれない。

貞国については次の方針が難しい。貞国は若い時の歌が見つからず、貞佐の没後の寛政年間にいきなり「柳縁斎師」と登場してくる。柳井の本にある「道化」という号の歌を見つけることができないでいるが、どこを探せばいいのか。しばらくは用例集めをしながら周辺をうろうろ、ということになるのかもしれない。