普段からツイッターでは「狂歌」のツイート検索をすぐに見られるようにしている。といっても、狂歌についてつぶやく人はそんなに多くないから、一日分を遡るのにそんなに時間はかからなかった。
ところがである。先日、朝日川柳に国葬などを批判する川柳が掲載されたことをきっかけに、狂歌とつぶやく人が何十倍にも増えた。そして、わかっていたことではあるが、狂歌に対する誤解が多数見られた。川柳じゃなくて狂歌を詠め、文字通り狂っているのだから、というツイートもあった。
以前にこのブログでも、狂歌師に求められるのは祝賀や画賛の歌が多く、教科書にのっているような政治風刺の歌は狂歌集には皆無であると書いた。柳門では批判や中傷などを含む歌は落首と呼ばれ、これを詠むと和歌三神の罰を蒙るとされて入門時の誓約書で禁止されていた。ぶんぶというて夜も寝られず、の歌を詠んだと喧伝された大田南畝は公儀の取り調べを受けた。ということは、政治風刺の歌は大っぴらに詠むわけにはいかなくて、もちろん狂歌集にはのっていない。狂歌全体のごく一部と言っていいだろう。
狂歌の定義は色々あるだろうが、伝統的な和歌のルールから逸脱したものが狂歌、ぐらいに考えておけば良いのではないかと思う。これだと正岡子規や俵万智も狂歌ということになるかもしれない。今回、狂歌を愛する人の反論も勿論なされていて、政治風刺は落首であって狂歌ではないとの主張もあった。しかし、柳門で禁止事項にしていることからも、落首も狂歌の一部と考えるべきなのかもしれない。また狂歌の定義については、吉岡生夫先生は、三十一音節の定型詩のうち口語詩に近いものが狂歌と言われていた。これはかなり本質に近いような気がする。
今回は川柳であったが、川柳、狂歌、風刺画など、新聞での権力批判は明治の時代からずっと続いてきたことだ。たしかにここ数年は何かの力が働いているのか、下火だったのかもしれない。私から見ると、今回掲載された国葬などを批判する川柳は別にどうってことはないと思う。もちろん編集者の思想は顕著に出ているけれど。それよりむしろ、政権批判を許さない空気こそ危ういと思う。首相経験者の暗殺は二・二六事件以来だという。そのあとの歴史を繰り返してはならない。
今回の件で私が最も閉口したのは問題が起きてからしばらくの間、狂歌のツイート検索では、左右両派による、悪意にみちた罵詈雑言に近い「狂歌」「川柳」合戦をたくさん読まされる羽目になったことだ。批判精神は結構だが、言葉の使い方が非常に醜いと思った。お前のかあちゃんデベソを連呼した方がはるかにましである。そして、政権批判側の方に申し上げたいのは、少し戦術を考えた方が良いと思う。まずは外堀を埋める、すなわち当該カルト教団の危険性に絞って共通理解を得るというところをしっかりやらないと、あっちもこっちも批判していたのでは森加計桜と同様にまた逃げられてしまうだろう。政治家の名前は後回しが良いと思う。分断統治という言葉がある。その術中から抜け出す知恵が必要なのだ。SNSなどで堂々と論陣を張っても、相手は動員されたカルト信者をあてがわれているだけかもしれない。先方には電通やらカルトやらついているのだから、こちらも知恵を結集しないと百万回選挙をやっても結果は同じだろう。話がそれてしまった。(この段落へのコメントは辞退します。あしからず。)
話を狂歌に戻したい。87歳の母はクイズ番組が好きで毎週何本も見ているが、その中に東大生が多数出演している番組があって、知識の量、ひらめき、頭の切れ、どれをとっても抜群である。思い出すのは天明時代、江戸の狂歌ブームをけん引したのも、このような頭脳を持った人たちだったのだろう。天明狂歌の筆頭、大田南畝は幕臣中でも漢籍の知識も抜群で、漢籍の知識がないと理解できない狂歌も多い。しかし、南畝で好きなのは、もう何回も引用しているが、
やよ達磨ちとこちら向け世の中は月雪花と酒とさみせん
雪月花と酒と音楽、そして酔っぱらって達磨禅師にちとこちら向けと説教する、それも含めて狂歌(人生)なのだ。
そして私が主に読んでいる上方狂歌はというと、貞柳は御堂の前で菓子屋を営む浪花の商人であって、上方狂歌は天明江戸狂歌のような快活なエネルギーやひらめきの部分では劣るけれど、人情であったり、遊び心であったり、十分対抗できるものを持っていた。今回の件は私に言わせればすべて広島弁で言うところの「かばち」(文句、屁理屈、雑言)であった。「カバチタレ」のかばちである。そこでこちらからは以前も取り上げた貞国のかばちの歌を引用しよう。
一文もなけれはちんともならぬ也銭てかはちをたゝく風鈴
貞国の時代、江戸では風鈴は「ふうりん」が多数だったけど、上方や地方では古い読みの「ふうれい」が残っていて、ここも「尚古」の同じ歌の読みに従って「ふうれい」としておく。「ちんとも」は「ちんともかんとも」で「うんともすんとも」と同じ意になる。「一文もなければ」は、青銅製の風鈴の舌には一文銭を用いたことによる。「かばち」は今の広島ではほとんど「たれる」というけれど、昔の「かばち」は言葉ではなくて、言葉を出す器官、ほほの骨のあたりを指したようだ。それで、「かばちを叩く」という表現になる。広島では「たれる」が強すぎて「叩く」は出てこないが、ネットで検索すると山口、島根、鳥取では「かばちを叩く」という表現が残っているようだ。「銭でかばちを叩く風鈴」と貞国は風鈴を風流で心地よい音とは表現していない、そこが狂歌の面白いところだろう。なお、当時は今よりも広い範囲で「かばちを叩く」は使われていて、貞国に方言という意識があったかどうかはもっと調べてみないといけない。
今回の件では、「かばち」にも色々あって、中には悪意100パーセントで近寄ってはならない「かばち」もあることを学んだ。他山の石としたいものだ。