栗本軒貞国詠「狂歌家の風」(1801年)、今日は釈教の部から一首、
念仏一行のこゝろを
馬駕籠の心遣ひも南無あみた仏の道はろく字はかりて
念仏一行の心という題から、「南無阿弥陀仏の道は六字ばかりで」というのはわかる。それが「馬駕籠の心遣ひ」とどうつながるのか。これも最初はわからなかったが、ヒントは「狂歌詠方初心式」の中にあった。
○仮名違の事
凡詞のいひかけよくとも、仮名の違ひたるは嫌ふよし、行風は制し置れし、たとへば
山吹の花がまことのかねならばいかにぬすみに井手の里人
出はいてにて、井手はゐで也、此類きはめて多し、梶はかち、加持はかじ、六字はろくじ、陸地はろくぢ也、是等類あげてかぞふべからず
これによると、歌中の出で(いで)と井手(ゐで)を掛けるのは仮名違でよろしくない。同様の例として、六字(ろくじ)と陸地(ろくぢ)も挙げてある。すると貞国の歌は、馬駕籠の心遣いをしていただきましたけれども平地ばかりですから歩いて行きます、みたいな意味が掛けてあることになる。
この狂歌詠方初心式の著者、江月翁了山は木端につながりが深い栗派のようだが、その論に従えばこの貞国の歌は仮名違いの難ありということになる。しかしこの時代、栗派であっても「ゆゑ」を「ゆへ」と書いているし、歴史的仮名遣いの通りということはない。当時区別可能であったものに対して比較的厳格だったということだろうか。一方、貞佐の門人によって編まれた「狂歌桃のなかれ」には「~へ」というところを「え」とした箇所が複数みられた。一例をあげると、
寄鏡恋 帛掌
美しい姿もよそえ移り気と聞は恨もますかゝみやま
また同じ「狂歌桃のなかれ」の貞国の歌、
初秋 貞国
今朝の秋風の音にも驚ぬ御代や目にしる稲の出来はゑ
最後の「出来はゑ」の「はゑ」は本来「栄え」でヤ行だと思われる。それで思い出したが、ゑびす講も歴史的仮名遣いだと「えびす」のようだ。恵の字をあてたためだろうか、ゑびすの表記もよく見かける。ともかく、貞国やその門人たちは上記栗派のようなタブーはなかったように思われる。いや、緩かったというべきかもしれない。
【追記】明治41年、広島尚古会編「尚古」参年第八号、倉田毎允氏「栗本軒貞国の狂歌」の中に、狂歌桃のなかれから引用した貞国の歌と同じ歌があるが最後が少し違っている。
今朝の秋風の音にも驚かぬみよや目にしる稲の出来はへ
と、こちらは至って普通である。こうして比べてみると桃の流れの「出来はえゑ」は面白い。